一話 南京錠の密室①
⒈事件の発覚
蛍雪高校二年一組の教室。朝のホームルームの時間。
薄汚れた教卓に左手を突いている担任の先生が、右手の指を折りながら、連絡事項を怒涛のように報告していた。
どこそこの委員会は昼休みに集合しろだの、誰かの提出物が出ていないだの、俺にとってはどうでもいい情報ばかりだ。
「何か質問がある人はいるか?」
「はい! 俺からちょっといいですか!?」
そこで不意に手を挙げたのは、唯一の俺の友人だった。
左右田隼(そうだはやと)――クラス内ではムードメーカー的立ち位置の男だ。
ワイシャツの裾を右側だけ外に出しており、ブレザーのボタンはすべて開けている。
「なんだなんだ、何か下らないギャグでも思い付いたのか?」とクラスメイトが好奇の視線を向けるが、隼は意気揚々と教卓の前に立った。
寝惚けた頭を震わせるように、教卓を両手で勢い良く叩く。
「とんでもないことが起こったんだ! 我がパソコン部の一大事件だ! どうかみんなの助けが欲しい!」
「一大事件~? また変なこと言い出したぞ~」
「今じゃなくて良くね? 朝くらいゆっくりさせてくれよ」
「私、隣の教室行きたいんだけど~」
「てか左右田君、パソコン部だったんだ! イケメンなのに意外~!」
隼が鬼気迫る様子で叫んだというのに、クラスメイトは面白半分だった。
好き放題言われている様がどうにも不憫に思えてきたので、せめて俺くらいはその話を聞いてやることにする。
と、思ったのだが……。
「いいから聞いてくれ! パソコンが盗まれたんだよ! ハイスペックノートPC! うちの家宝と言ってもいいくらいの即戦力が、失くなっちまったんだっ!!」
一時限目の予鈴が鳴り、あえなく隼は自分の席に戻ってきた――のではなく、俺の席にやって来た。
手を組んで机の角に引っ掛け、その上に頭を乗せる。体勢は中腰。
昔は面倒なだる絡みに感じていたが、今ではすっかりと慣れてしまった。
「――大変なことになったな。パソコンが盗まれたって、普通に警察沙汰じゃないか」
「絢佑もそう思うよな? けどさ、顧問に相談してみたら「どこかに置き忘れたんじゃないか」って言われてさ。まずは可能な限り探してみろってなったわけよ」
「まあテンプレだなぁ。そう簡単に大事にするわけにはいかないんだろ」
ただ、その程度で怒りが抑えきれるわけもなく、この教室で爆発したわけなんだが。
ため息を吐く隼。まるで今年一番の不幸に苛まれたような表情をしている。
「わりーな左右田。力になれそうにはないわ」
「パソコン、見つかるといいね」
「あ~いいよいいよ。何かあったら教えてくれりゃあいいからさ」
労っているつもりなのか、はたまた関わりたくないだけなのか、テキストの準備で教室内を歩き回るクラスメイトは、無難な言葉を掛けてくるだけだった。
それがまた怒りに火を点けてしまったようで、隼が鋭い視線を向けてくる。
「絢佑、手伝ってくれ……」
「は、何のだよ……」
「犯人捜しだよ。お前、そういうの得意だろ……!」
「よりにもよって俺に頼むのか……。みんな本気にしていないからか? 普段の言動が祟ったわけだ。大体ノートPCを持っていくとか、大胆不敵な奴がいたもんだ」
蛍雪高校は特に偏差値が高いわけでも、低いわけでもない平々凡々な高校だ。
特別な学科も特になく、やい留学やら留年やら、そういう言葉を耳にしたことはない。
平和ボケしている先生やクラスメイトは、少なくとも、隼が何かを勘違いしていると思っているようだ。
「実際あったんだから仕方ないだろ! いや、あったっていうか、俺のパソコンが失くなったんだからな!」
えー……面倒くさいな……。
普段はクラスメイトに好かれている隼が、今回に限って避けられている理由が段々とわかってきた。
これはできれば相手にしたくない案件だな……。仕方ない、ここは徹底的に断る流れに持っていくとしよう。
「だとしても俺には無理だよ。他を当たってくれ」
俺は自分の世界、自分の時間に浸ろうと、鞄から一冊の文庫本を取り出した。
有野川有野著――『帝国の城』の続きを読もうとする。
「……おい、だったらそれはなんだ? それ、ミステリー小説って奴だよな?」
「……あ、やべ」
ついつい、いつもの癖で、お気に入りの小説を開いてしまった。
「そういや俺が初めてお前に相談したときも、そうやってミステリー小説読んでたよな?」
一年生のときの出会いの瞬間を思い出す。
――な~な~、俺左右田って言うんだけど、部活でゲーム作っててさ。今ノベルゲームのシナリオ考えてるんだよね。なんかお勧めのもんとかある?
――じゃあこれ、貸してあげるよ。
――マジ!? 助かるわ! いつも本読んでっから、そういうの詳しそうって思ったんだよね! ところでこれ、どういう話なんだ?
最初はうるさい奴が話しかけて来たな、と思ったのだが、意外と反りの合う奴で、仲良くなるのに時間は掛からなかった。
いや隼の場合、天才的なコミュ力が成せる業とも言えるのだろう。
「これも! これも! こーんなにミステリー大好きっ子なのに、得意じゃないとは言わせないぞ!」
勝手に鞄に手を突っ込んで、二冊の文庫本を突き付けてくる。
綾辻来人著――『漆黒館の殺人』。
我孫丸武子著――『からくり人形シリーズ』。
それぞれまだ三回しか読んでいない名作小説だ。
内容を深く知るためにも、最低でもあと二回ずつ読むつもりでいる。
どうやら俺の愛読書を晒して交渉を持ちかけるつもりのようだ。
しかしながらその手は通用しない。
俺はその辺の意志の弱いオタクと違って、この程度では一切動じないからだ。
うん、むしろ気持ちいいくらいだね。まるで俺が秀才みたいに映るじゃないか。
「だから、なんなんだよ……。気が済んだらしまってくれ」
「はっ、効果はいまひとつってか……」
どっかのゲームで聞いたような文言だ。ノベルゲーム作ってるんじゃないのか。
隼は覚悟を決めたようにすっと立ち上がった。
「わかった。じゃあ交換条件だ。もし手伝ってくれたら、その三冊全部読み切ってやるよ。それならどうだ?」
「本気で言ってるのかよ。嘘吐いてまでどうにかしたいのか?」
そもそもお前が、俺の貸した小説を読み切ったことなんて一度たりともないっていうのに。
シナリオの参考のために何度もお勧めを貸してやったが、一部を抜粋するくらいで「良い感じにできそうだわ」と言って、すぐに返されてばかりだった。
その度に俺は失望したんだぞ。
「噓じゃない。本当に盗まれたんだよ。俺たちパソコン部の宝がな……」
「……」
「九条絢佑。もう一度言う。力を貸してくれないか?」
初めて見る隼の真剣な目つき。
いつも他愛のないことを並べて、ちゃらけているだけのこいつが、こんな表情をするとは思わなかった。
互いに息が詰まり、にらめっこのような状態になる。
先に折れた方が負けのチキンレースだった。
盗難事件と言っても、事件は事件だ。
本当に隼が困っているなら、見捨てるわけにもいかないのかな……。
「……わかったよ。そこまで言うなら付き合ってやる」
「ホントか!? やっぱりお前は最高だよ!」
「ただ、あまり期待しないでくれよ。俺は探偵じゃねぇんだから」
「またまたご謙遜を! とりあえず昼休みに現場の確認でいいか? 時間は長めにあった方がいいだろ?」
「『現場確認』ね……。ああ、それでいいよ」
嵐のような男だが、俺は隼のこういうところが嫌いではなかった。
でなければ、こうも一年間仲良くしたりはしないだろう。
不満がないと言えば噓になるが、こいつと絡んでいる時間は、正直言って楽しい。
早朝は一ページも読み進める暇もなく、授業開始のチャイムが鳴った。
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