第43話 生還

 補給船の甲板の上で誰かが叫んだ。


 「陸地だ!」


 叫びに反応してざわめきが広がる。やがてそこかしこから歓喜の声が嗚咽混じりに上がり始めた。ある者は甲板から身を乗り出して、船内にいた者は窓にへばり付いて陸地を見ようとした。


 全員が死を覚悟していた身である。飢餓と病気に苛まれながら惨めったらしく死ぬはずだった兵士、死兵となり戦友のために絶望的な遅滞戦闘で死ぬはずだった兵士。今は愛国心も軍人としての責務も忘れ、ただ一人の人間としてまた家族や友人、恋人、大切な人とまた会えることを心の底から喜び、涙していた。


 帝国軍艦隊は這う這うの体で帰港した。損傷が酷い艦はタグボートに付き添われ即刻ドックに入渠にゅうきょした。


 岸壁では大量の医療従事者が待機していた。港の倉庫からは物資が運び出され応急的に医療施設とされ負傷や伝染病の手当てを受けた。負傷の度合いに関わらず一度そこへ収容され重傷者は近隣の軍病院で手術を受けるために搬送された。


 艦隊の入港時、軍楽隊が慰労のために音楽を奏でていたが歓喜の渦の中にあってその音はあまり遠くまでは響かなかない。


 負傷していない兵士も極度の飢餓のため戦線に投入するには健康の回復と再訓練を経る必要があり、そのためには相応の時間が必要だった。


 だがとにかく、兵士にとってのスリン島攻防戦は幕を下ろした。


 結果として帝国軍は石油供給源の二割強を喪失した。戦前から備蓄していたとは言え大きな痛手となった。また戦艦四隻、空母三隻を筆頭にかなりの数の海上戦力を失い、しばらくは両軍ともに海戦は小康状態となった。


 後世ではスリン島撤退作戦に伴った甚大な損害のために戦略上行う必要があったのか多くの議論が行われることになる。


 最後にスリン島戦後の帝国国内について。


 戦争継続の要衝となるスリン島を失ったことは前述した通り大きな痛手だった。だが当然ながら国民にその事は伝えられず、スリン島守備隊の奮戦が英雄的な脚色と共に発表された。


 ランド少将の戦死はプロパガンダ部門にとって都合が良かった。ランド少将は陣中において奮戦敢闘、しかし勇戦及ばず名誉の戦死を遂げたと発表された。死後は二階級特進により大将になり、盛大な軍葬で弔われた。


 プロパガンダ部門はさらにスリン島攻防戦の映画を製作、劇中歌のスリン島守備隊の歌は愛国歌集の一つとして頻繁にラジオで流れるようになった。


 両軍共に大きな損害を負ったが、しかし戦争は終わらない。たった一つの激戦で戦争の勝敗が決まる時代ではないのだ。この後も帝国と連合皇国は軍人、民間人、つまりは国家をすり潰しながら総力戦を戦っていくことになる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る