第41話

 空中戦による飛行機雲が交錯する空の下、海中から帝国軍艦隊に忍び寄る影があった。国防海軍の潜水艦である。水上艦ほどの速力の無い潜水艦にとって敵艦の位置がわかっていることほどありがたいものはない。しかもスリン島西方の一定の海域から動かないのだ。

  

 早い艦は昨日には襲撃しており、既に三隻の輸送船と一隻の駆逐艦を沈めている。潜水艦の跋扈ばっこを阻止すべく駆逐艦は哨戒を厳重にしているが装備や技量の差から成し得ていなかった。


 今も一隻の潜水艦が日頃の研鑽によって研ぎ澄まされた牙を突き立てるべく静かに、着々と近づいていた。聴音探知を避けるため機関を停止し潮の流れに乗って接近していた。


 「あれは……」


 潜望鏡で目標を探していた艦長の目に豪華客船が見えた。


 「生き残ってたのか」


 素直な驚きだった。何せ戦艦や空母に迫る図体だ。対空砲なんかも戦闘艦ほど載せていないだろうし速力も出ないだろう。運が良かったようだ。これまでは。


 豪華客船なら隔壁なんかの防御設備も座礁に備える程度の防御力しかないだろう。魚雷を喰らえば沈むのは必至。撃沈トン数も伸びるし絶好の獲物だ。

 

 潜望鏡を巡らせて他の獲物も探す。一隻の敵戦艦が目に入った。砲身の一つがあり得ない仰角をとっている。どこか違和感を覚える艦影だが新鋭艦というわけではなさそうだ。戦闘による損傷でそう見えるのだろう。


 敵戦艦の奥に敵駆逐艦が接舷しようとしている。おそらく歩兵を戦艦に移乗させるのだろう。たしかに戦艦なら大きい分艦内スペースに余裕がある。ということは現在戦艦は隔壁封鎖をしてないのではなかろうか。わざわざ大勢が通るのにいちいち扉を開閉するのも難儀だろう。もっとも艦底部あたりはそんなこともないだろうがそこは手負いの戦艦だ。撃沈しやすいはず。


 目標が定まったとなれば次は雷撃に必要な各種諸元の算出だ。敵艦までの距離、敵艦の針路および速度。まず距離は敵艦の大きさを知っていれば潜望鏡のミルスペックのメモリと照らし合わせて距離を測ることができる。敵戦艦との距離、4km。次に針路と速力。敵戦艦は移乗中ということもあって停船しているようだからあまり関係無い。ただ戦闘海域で機関の火を落としているとは考えられない。そんなことをすれば再始動までにかなりの時間がかかるからだ。魚雷が迫っているのを発見したらすぐに回避行動を取るだろう。


 ただどのような回避行動を取るかは察しがつく。艦首か艦尾を魚雷の針路と並行にすることで躱そうとする。そして艦尾に被雷するのは避けたいからこちらに艦首を向けるように動くだろう。


 もっともこれは敵が魚雷に気付けばの話だ。発射される魚雷は無航跡が売りの酸素魚雷。もっとも魚雷の機関の関係で最初の700mは通常の魚雷と同じように航跡を残す。ただし近くに敵艦はいないためその航跡が見つかるとは思えない。それに発見したとして図体の大きい船は俊敏には動けない。考慮はすべきだろうがそこまで悩む必要も無い。


 そこまで考えて豪華客船の方に意識を向けた。ここで少し困ったことになった。全長、全高がわからないのだ。遭遇し得る敵船については各種諸元がまとめられたノートがあるのだが、さすがに豪華客船については記されていない。豪華客船ということで誰か知っているかも、と複数の乗組員に見せてみたが全員首を振るばかりだった。


 だが打つ手が無いわけではない。周囲には既存の艦艇がいるのだからそいつらと比較すれば良いのだ。ある程度大雑把にはなってしまうが今回に関しては問題無い。


 ちなみにこのように計測されることを妨害するためにどこの海軍も新設計の艦は全長や全幅、全高を過大に、あるいは過小に発表したりする。


 ともかく、計測を終えたならいよいよ魚雷発射だ。最初に戦艦に四発、次に豪華客船には二発撃ち込む。


 「魚雷発射管中水完了」


 魚雷を発射管に装填し、注水まで終えた水雷長からの報告がくる。


 「魚雷発射管開け」


 「魚雷発射管開口」


 「っ」


 下令した直後、魚雷が水中に押し出される音が聞こえる。すぐさま艦首を微調整して豪華客船の方を向き二発発射した。


 「急速潜航、ベント開け。針路このまま。両舷最微速。ダウントリム20、深度200につけ」


 機関を始動させ沈むであろう敵船に向かう。聴音されても沈みゆく船が飲み込む海水の音や船体が崩壊する音に紛れることができるからだ。そうでなくとも先程駆逐艦が接舷したことから分かるように歩兵を収容するために船舶が入り乱れており聴音はしにくい。敵の練度も合わせて考えると発見される恐れはあまり無いと言える。


 魚雷が命中したかどうかを判断するために腕時計で時間の経過を見る。敵艦までの距離と雷速から命中までの時間を導き出し、その時間の前後で爆発音が聞こえれば命中と判断する。


 果たして、聴音手が命中を報告した。戦艦に二発以上、豪華客船には一発。噛み締めるような歓喜が潜水艦を満たした。潜水艦の性質上、はしゃぐわけにはいかないのだ。


 そして敵はこちらを捕捉できていないようだった。実際、攻撃を受けることなく離脱した。


 魚雷の命中後、歓喜に包まれた潜水艦とは反対に戦艦と豪華客船は地獄に包まれていた。装甲を持たない豪華客船に二発の魚雷は深々と突き刺さりその破壊的な威力を存分に発揮した。大きな破口から大量の海水が恐ろしい勢いで流れ込み瞬く間に大海へと呑み込まれた。わずか数分のことで、退艦できたのは両手で数えられるほどの人数にすぎなかった。


 戦艦は三本の命中を受けた。さすがに戦艦なので数分で沈没することはなかったがそれでも海水の流入を止めることは出来なかった。隔壁は戦闘時ではなかったこと、何より将兵を移乗させていたため封鎖が徹底されていなかった。


 そして地獄絵図が繰り広げられた。船体が傾く中、乗組員と将兵は我先にと甲板へ急いだ。特にスリン島から収容された将兵は必死だった。折角飢餓と病気の蔓延はびこる地獄から抜け出すことができたのだ。ここで死にたくなどない。


 問題は彼らの健康状態だった。数日前まで極度の飢餓状態にあったため体力が全く無く、そのため緩慢な動きしかできず、通路や特に階段で人が詰まった。傾く艦の中にあって将兵は、今や規律ある軍人ではなく生を渇望する個人だった。戦友を押し退け、踏み付けてまで甲板を目指した。


 それでも通常よりはるかに多い人間が艦内にいて、大半は体力の衰えた者達だ。そんなことをしたって通路はひしめき合うばかりで、遅々として動かず、海水は無数の無念、望郷の念、なにより生への渇望を無慈悲に呑み込んだ。

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