第32話 密林内の撤退戦

 「弾ちゃーく、今!」

 無線から届くのは砲兵隊による着弾報告。同時に敵隊列の近くの森で砲弾の炸裂があった。隊列からは10mほど離れている。だが森の中に敵歩兵がいることを考えれば十分有効だ。ただ目標は隊列である。


 修正値を告げ、効力射に移るよう伝える。


 修正諸元を伝えられた砲兵隊による本格的な砲撃が始まった。次々と砲弾が帝国軍隊列に降り注ぐ。


 夜間ということもあり、他で戦闘も起きていないため隊列を射程に収めている国防軍の砲は全て砲撃に参加していた。


 双眼鏡の先で大きな火炎が踊った。戦車に直撃弾があったのだろう。圧倒的な砲撃で、何もせずとも撃退できそうな気さえする。


 しかしそんなことはなく、帝国軍は果敢にも前進してきた。橋が近いことあり突撃に移ったのだ。この時帝国軍の指揮官は橋で何が起きたか大方察していた。


 道幅が狭いこともあり戦車、装甲車は縦列で前進せざるを得ないがそれでも十分脅威である。


 次々に砲弾が炸裂し爆発と舞い上げられる土のために視界が急激に悪化、帝国軍の隊列がほとんど視認できなくなった。


 戦車は直撃、もしくはよほどの至近弾でもない限り問題にならないが装甲車の次々には破片によって戦闘不能、もしくは行動不能に陥っていった。もっともそんな装甲車を戦車は強引に押し退けて進む。


 歩兵は森の中を突き進んでいるがそこにも容赦無く砲弾は降り注いだ。


 砲弾が木の上の方に当たり炸裂した場合、砲弾や木の破片が頭上から降り注いでくる。ツリーバーストという現象である。これによって続々と死傷者が発生していた。


 それでも前進してくる。砲撃で敵が止まる、とか足止めしてその隙に離脱、というのは叶いそうになかった。離脱中に全員で銃撃戦となると部隊の体勢が崩れている状態でとなる。それは好ましくない。


 よって部隊を二つに分け、片方が交戦している間にもう片方が後退する、というのを繰り返す。交互躍進の逆だ。


 直ちに20名が後退を開始し残りの20名が援護のため帝国兵に一撃をかますべく待ち構える。


 橋へ近付いてくる帝国兵は砲火に晒されていることもあり歩兵の伏撃など思いもよらなかった。


 いつものことだが奇襲の要諦は持てる火力の全てを発揮することである。部隊が現状発揮できる火力は各人の銃器、手榴弾、携行式対戦車火器ファウスト、それから橋から取り外した爆薬。


 機関銃は密林の中で移動や取り回しが大変だからとここぞとばかりに撃つことにする。


 ファウストも取り回しに難がある他、近距離戦闘になりやすい密林内では弾頭の炸裂時に味方を巻き込む危険があるためこれも使い時だ。


 帝国軍の意識はほとんど全て橋に向いていた。そこへいきなり爆薬による爆発とファウスト、それから手榴弾による爆発。10人単位で一気に吹き飛ばされた。


 一瞬、帝国兵は砲撃かと思った。爆発だけだったし、敵砲兵の修正射が行われたと考えるのが自然な事だったからだ。


 だから無防備な側面で銃弾を受けることになった。突撃銃、凄まじい連射速度を誇る機関銃による射撃でバタバタと斃れていった。


 先頭にいた帝国兵は完全に叩きのめされ、立っている者はおろか無傷な者さえいなかった。


 その隙に部隊は後退する。もう一方の部隊が後方から援護していたが追ってこれる帝国兵はいないようだった。


 さすがに少し経てば衝撃から立ち直り、敵歩兵の伏撃を食らったと理解できた。そして敵歩兵が後退していることを把握すると猛然と攻撃に移った。


 帝国兵は勢い付いていた。彼らから見れば眼前の敵は後退しているからだ。今までスリン島の帝国軍は後退する側だった。それが今追撃する側になっている。その一事が帝国兵に活力を与えていた。


 部隊の40名は整然と後退しているが激しい戦闘になっていた。


 深夜、月明かりさえ乏しい密林の中。普通の練度の部隊なら行軍することさえ難しい状況下だ。だが特別工兵連隊にとっては何でもない。確かに戦闘を行いながら密林内を撤退というのはあらゆる戦闘の中でも特に難しい。それでもそれがこなせるから特別工兵連隊なのだ。


 物理的にも視界が効かない環境下、援護の分隊の面々は木の根元や地面のちょっとした窪みに身を隠し迎撃の態勢を整え後退してくる分隊を待っていた。


 前方からは激しい銃声に爆発音が聞こえる。聞き慣れた突撃銃の音、帝国兵が装備サブマシンガンの連射音にセミオートマチックライフルが一発づつ射撃音、時折響く一発一発の間隔が聞き取れないほど凄まじい連射速度を誇っているのが我が方の機関銃だ。


 密林内にあって音が多少反響しているが段々と前から近付いてきていた。


 後退してくる部隊の最後の人間が「最後尾!最後尾!」と叫びながら援護の部隊の横を通過した。


 あれが後退してくる20名の最後尾。これより後から来る者は全て帝国兵だ。


 時間にして一分程だろうか。闇夜の森林の中に走ってこちらに向かってくる人影が見え始めた。無論帝国兵だ。


 彼らは闇夜と草木に遮られてこちらを見つけてはいないらしい。


 素早く照準を合わせて引き金を引いた。連射音が響いた後、敵兵がうずくまるようにして倒れた。


 周りでも味方が発砲を始めた。


 敵はひたすら突進してくる。短連射で二人、三人と倒していく。


 そばの木に右から連続して着弾があった。すぐ様発砲炎に向けて応射した。人影が倒れ、連続する発砲炎が上を向く。引き金を引いたまま死んだらしい。


 その場で何回も射撃することはない。射撃のたびにこまめに場所を変えることで反撃


 敵が機関銃を設置して制圧射撃を始めた。連続するマズルフラッシュに照らされて空冷のための穴が等間隔に並んでいる銃身が見える。


 残念ながら射手は木の幹で隠れてしまっていて狙えない。


 しかし右手の方からファウストの発射音が響くと幹の奥で炸裂した。ヘルメットや機関部、銃把じゅうはに破片がめり込み、ありいは爆発で吹き飛ばされてぶざまな形になった機関銃が前に放り投げられた。


 「移動するぞ!」


 分隊長が叫んだ。それを聞いて全員が一斉に手榴弾を投げる。これで一瞬だが敵は追撃を躊躇うだろう。その隙に移動するのだ。


 とにかく走る。後ろで戦友の悲鳴と転ぶ音が聞こえた。慌てて振り返り助け起こそうとする。


 「いい!行け!」


 痛みに耐えながらも鋭い声で言う。言いながら胸ポケットから結婚指輪等の貴重品を取り出して渡した。もう生きて帰れないから家族に渡してくれ、ということだ。それからマガジンポーチも渡した。


 引ったくるようにして受け取ると心中で別れを述べながら再び走り始めた。


 すぐに後ろで銃声と手榴弾の炸裂音が響いた。あれが彼の最後の戦いだ。


 「最後尾!最後尾!」


 叫びながら援護の分体の横を走り抜ける。そのまま進んで次の援護位置まで行く。後ろは凄まじい銃声と爆発音の嵐だ。


 要請を受けた国防軍砲兵隊が砲撃を開始する。さすがに敵集団の先頭にはこちらとの距離が近過ぎて降らせられないが後続には多大な損害が出ているはずだ。


 そうやって交互躍進を繰り返して小高い丘の頂上に来た。途中にある急勾配とはこの丘のことだ。


 ここで部隊は交互躍進を止め、全力で敵を迎撃することになった。迎えの機が来るのにまだ時間が掛かるため時間を稼がなくてはならない。そしてこの丘はそのための絶好の位置なのだ。


 丘の上からは砲弾の炸裂がよく見えた。先程まで自分達がいた場所が猛烈な鉄と火薬の暴風雨に包まれている。


 「来たぞ!」


 その一言を皮切りに再び銃撃戦になった。急勾配を登る帝国兵は明らかに動きが鈍い。照準に収めるのはいとも容易く、また手榴弾も一方的に投げられた。


 たちまちの内に帝国兵は死傷者が続出し、しばらく後には丘の麓から中腹にかけて帝国兵の死体が散乱する有様になった。

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