第21話 さらば
国防軍はもう塹壕の近くまで迫っていた。銃撃はさらに苛烈になり、銃弾はより精度を増し体の近くに着弾する。敵兵の怒鳴り声さえ聞こえてくる。
拳銃のマガジンが空になり、スライドが後退して止まるホールドオープンの状態になった。
マガジンリリースボタンを親指で押しながら拳銃を下に勢いを付けて振り、途中で止めると慣性に従ってマガジンだけが抜けた。その状態で拳銃本体を左脇に挟み、右手で新しいマガジンをポーチから抜くとそのまま挿し込んだ。後はスライドをリリースさせればリロードは完了だ。
再び照準を前方の国防軍兵に付けて撃った。銃弾は敵兵の前の倒木に当たり敵は驚いて頭を引っ込めた。
「手榴弾を使え!」
スピネル曹長は怒鳴りつつ、自身も拳銃を一度ホルスターへ収めると手榴弾のピンを歯で抜き、敵兵の方へ力の限り投げた。
ゴト、と塹壕の壁に何かがぶつかり、そして落ちてきた。
「手榴弾だ!」
大声で叫びながら投擲された手榴弾をあらかじめ掘ってあった小さい縦穴に放り込む。こうすることで爆風と無数の小さな破片は上にしか吹き出してこず、ほとんど無力化することができる。
無傷で済んだスピネル曹長だったが、他はそうもいかなかった。散発的に投げられたのではなく、一斉に投擲されたから全てを無力化するなどできるはずもない。そもそも砲爆撃で穴が土砂で埋まっていたり消し飛んでいたりしたのだからスピネル曹長は運が良かったのだ。
幾つもの手榴弾が発する炸裂音で耳が遠のく中、戦車が土を撒き降らしながら塹壕を越え始めた。
今しがたの手榴弾の一斉投擲といい、もう敵兵が塹壕へ雪崩れ込んでくる。左右を見ると立っている者は皆無だった。手榴弾のもたらした衝撃から立ち直れていない者もいるのだろうが戦死者の方が圧倒的に多いだろう。もっとも塹壕は一直線ではないから見えないところで戦っている者もいるが、連続して響いてくる手榴弾の音や、帝国軍の銃の射撃音も聞こえてこない。この状態でまともに抵抗できるはずもない。
国防軍の兵士は火炎放射器も用いて塹壕の掃討に取り掛かった。火炎を浴びた兵士の絶叫が聞こえる。しわがれた声だとか、飢えていた割にそんな大きな声が出るのだとか、なぜだかそんな事が思い浮かんだ。
とうとう死ぬのだ。スピネル曹長は唐突に悟った。きっと荒ぶる濁流に飲み込まれる小石が如くあまりにあっけなく死んでしまうのだ。
降伏する、という考えが脳の片隅に浮かんだ。そうすれば死なずに済む。それに彼にできることはせいぜい敵兵一人を道連れにすることである。いや、拳銃しかないのではそれすら厳しい。二発目を撃つ間も無く大量の銃弾が体に喰い込むだろう。
そんな風に命を粗末に扱うことはないじゃないか。生への欲望というか、本能的なものがスピネルに降伏せよ、と訴える。
いいや、それはできない。俺は志願して、戦友が撤退する時間を稼ぐべくこうして戦っているのだ。己の責務は一瞬でも長く敵を拘束すること。だから。
ほんの僅か、遠い本土へ思いを馳せる。妻であるマリアを思う。友人、両親、肉親を思う。いかに英雄的なスピネルにとっても彼らとの永遠の別れは悲しい限りであり、大惨事に他ならない。
しかし。帝国の愛国教育ではなく、なにより戦友愛によってスピネルは拳銃を構えた。
父や母よ兄弟よ、どうか戦友のために死に行く俺を誇りに思ってくれ。
敵兵が塹壕に飛び込むべく、その姿を見せた迷わず引き金を引く。敵兵が撃たれた衝撃で僅かうずくまり、目を見開くのが見えた。
ああ、マリア。さよならだ。
直後、十倍近い弾丸がスピネルの体を貫き、彼の生命に終わりを告げた。
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