第5話 野戦病院と隻腕の軍曹

 スリン島帝国軍野戦病院


 野戦病院の状況は酷かった。まず医者が足りていない。医者も衛生兵も戦闘で容赦なく死傷したからだ。次に物資が無い。無いのだから医療は行われておらず、精々が使い古しの包帯を川で洗って再使用するだけ。最後に赤痢やマラリアといった伝染病の感染が広がっていた。収容されているものほとんど全員が罹患していた。


 この様な状況だから負傷兵は悲惨の一言に尽きる。死んではいないが生きてもいなかった。まず彼らの大半は飢えていた。食料はまだ戦える者に優先権がある。まともに動けない彼らは自給という手段すらとれない。碌に食べられないのだから軽い病気や怪我でさえなかなか治らないし、体力は落ちる一方。飢餓と病気の組み合わせによって毎日毎時負傷兵は死んでいく。


 虫も酷い問題だった。室内かテントか最悪露外か。どこに収容されたかでだいぶ違うが無視できるものではなかった。眠れないだけでも厄介だが、もちろん病気を媒介するし、包帯すら欠乏している現在、傷口にウジすら湧いた。


 この悲惨な状況で、部屋は「戦友、水をくれ……」、「殺してくれ……」といったボソボソした呻き声で満たされていた。


 要約すれば、野戦病院と名は付いているが実態は不運にも死ねなかった者が負傷、飢餓、感染病、虫に苦しめられながら死を待つ残忍極まる場所なのだ。


 そんな野戦病院の中に左腕の二の腕から先を失ったスピネル軍曹がいた。彼の左腕に巻かれている包帯は血で薄汚れているが花柄があしらわれていておしゃれだ。もちろんこれは包帯が無いばかりにカーテンを裂いて使ったためである。こんなでも包帯すら無い場合もあるからかなりマシな方なのだ。


 今や包帯も洗って再利用するのが当たり前だ。大半の衛生兵と医者は医療器具の不足からとうに失職と言って差し支え無い状態で、今の彼らの主な仕事は負傷兵の介護である。包帯を洗い、水や食料代わりの雑草、木の皮、昆虫なんかを与え、排泄物、最後には死体を処理する。


 死体処理とは言ってもただ死体から身元確認用のドッグタグを取って裏手の方に運んでいくだけ。埋葬する余力なんて無くいし、火葬するには燃料が無く、せめて消毒用の石灰すら無い。腐った死体が放つ耐え難い悪臭が裏手を満たし、なんならテントの方まで漂ってきていた。


 こんな有様でも死体が運ばれていくのは平均して死亡から二日。つまり二日は横に死体がある。


 もう長いこと汚れたベッドに身を横たえていると中尉がスピネルの元へやってきた。手には拳銃を持っている。


 一発の弾丸による安楽死。軍隊に於いてそれは生きる望みの無い重傷者に対する慈悲である。そしてスリン島という、補給が断絶した島においては望外のものである。


 何せ弾丸一発でさえ惜しいのだ。青酸カリならもしかしたら軍医が持ってるかもしれないが一般の兵隊が自決するには銃剣かカミソリで首の頸動脈を突くか切るしかない。


 スピネルのベッドのそばに来た中尉は手近のイスに腰掛けた。


 「軍曹、調子はどうだね?」


 片腕失くしてベッドに横たわっている者が『良い』なんて応えるはずがない。単なる挨拶だとスピネルは理解しているが他になかったのだろうか。


 「良くないですね」


 「うん、まあ、だろうな。戦線復帰はできるか?現在司令部は戦友を敵の攻勢から守る死兵を求めている。生還の望みは無いと言っていい。だが君が戦友愛に溢れる兵士ならばぜひ10万の戦友の盾となってほしい」


 死兵としての戦線復帰。つまりまた銃を持って戦えるかという意味だが……。


 「その、中尉、私はもう右腕しかありません……」

 

 死兵となって戦友の盾となるのは構わない。むしろ軍人としてはこの上無く名誉な死に様だろう。しかし現実問題として隻腕火器を扱うことができない。いや、拳銃くらいなら握れるだろうが……。そうか、それで中尉は拳銃を。いや、しかしリロードはできない。


 「これなら使えるだろう。それに君に求めているのは頭としての役割だ。君はたしか戦前から軍にいたよな?現在の我々に君をベッドで寝かせておく余力は無い」


 頭、というのは現場での指揮官とか部隊の取りまとめ役的な意味だろう。なるほどそれなら銃をメインで使うことにはならない。


 「やってくれるな?」


 中尉はそう言いながら牛肉の缶詰を一つ見せてきた。缶詰、それも牛肉のなんて野戦病院のどこを探し回ったって見つけられないものだ。知らず缶詰を凝視し、もうずっと出てきてない涎が口の中に溢れた。


 「はい中尉」

 

 もうずっと肉なんて食べてない。この病院内で口にしてきたのは賞味期限はとうに過ぎているようなパン、塩と雑草と昆虫のスープだけ。いや、それでも良い方だった。


 自分でも情け無いことに、兵士としての義務からではなく、食欲からスピネルは首を縦に振った。死ぬなは構わない。どうせこの体だ。だがどうせ死ぬなら最後に肉ぐらい食べたかったのだ。

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