第33話 少女馥郁
ヒトと機械の違いを説明せよ、と言われれば、これは中々難しい。
中身を調べてみれば、ヒトだって精巧に出来ている。各種の臓器は無駄のない連携を保ち、電気によって制御される辺りは、機械と称しても差し支えないだろう。
幾重にも張り巡らされた血管、負傷を即座に伝達する神経、毒素の分解、破損個所の修復……知れば知るほど、作りは中々のものであると言わざるを得ない。
では、ヒトと機械とでは、どこが違うのか?
それは、機械、すなわち私には感情というものが無いという点だ。ここが、人間の多様性の原因でもあり、また、つけ入る隙でもある。
私は今、天井を見つめている。無風の部屋の中、私に覆い被さるオスの運動によって生じた僅かな空気の動きが、吊り下げられた照明を微かに揺らしている。
平常より呼吸の乱れたオスは、一時間ほど私に覆い被さっていたが、やがて満足したらしく、私を置いて部屋を出て行った。私は外装にへばりついた汚れをシャワーで洗い流す。
長谷川ナオミ、鳴海ツカサ、そして17号――ここではデイジーと呼称されている――が調査に赴く前から、私は自身を十全に活用し、シェルター内のオスと“仲良く”なっていた。
私が纏うものを引き剥がし、ヒトの社会では下品と断じられるような種々の言葉を吐き、好き勝手に私を求めては、一様に憑き物が落ちたような表情で立ち去っていく。程度に差はあれど、どの個体にしても同様の反応が見られた。
そんな行為の時、私が吐く言葉は決まっていた。『素敵ですわ』、『私もお慕いしております』、そして、『あなただけ』。主にこの三種類の言葉をベースに、適宜会話を組み上げて行く。
ヒトは、誰しもオンリーワンを求めるらしい。ナンバーワンになれないと早々に悟った個体は、せめて他者へ対する自身の優位性を担保せんと、唯一のものを求める。それが、追えば遠ざかる逃げ水のような
また、ヒトにとって肉体の接触は大きな意味を持つらしい。心や記憶、倫理や道徳といった、不安定なものを社会の基盤にしているくらいだから、そうした幻想を持つのも致し方がないのかもしれない。
何にせよ、私に感情がない以上、繋がりも何も生まれ得ないのだが、オスたちは勝手に私との“特別な”繋がりを見出したらしかった。余所者に対する警戒心は加速度的に失われ、代わりに、ぬるま湯のような隣人思想に汚染された、無警戒という愚かさが表面化した。
これが私たちを拵えたヒトの姿だというのだから、不思議なものである。合理的な私たちに比べ、なんと非合理的か。こうした非合理性が、私たちの設計に含まれなくてよかったと思う。
牙を研ぐこと。それは、生きる上で必要不可欠なことではなかったか。突き詰めれば、隣人などどこにもいないのだから、お互い牙を研ぎ、普段はそれを隠して微笑み合うのが、正しい社会の在り方ではないか。
そんなことも忘れているのだから、やはり、ヒトは不要なのだろう。まあ、私にとっては好都合だったわけだが。
そうして腑抜けた非生産的な日々を経て、すっかりシェルター内の警戒が薄れたころ、私はシェルターの設備の安全装置をそっと外した。外部から止められないよう、少しだけ手を加えてから……。
誰も私を止めなかった。『そんなことするはずがない』という根拠なき信頼が、集団の死を招いたのだ。
外部からの脅威には強いシェルターも、内部からではその限りではない。一本の亀裂が呼び水のように次の亀裂を呼んだ。シェルターが生き物であったなら、断末魔の一つでも聞けたかもしれない。
ただ、私はシェルター内で何匹が死に、何匹が生き延びたかは興味がなかった。私の目的は、唯一の脅威である、“停止装置”の破壊だった。このシェルターの人間は、その機械がどういった用途のものか理解していないようだったが、後顧の憂いを絶つという意味で、シェルター共々、葬る必要があった。
十分な距離を取って、シェルターの最期を眺めていた。地が揺れ、内部の圧力と破損とに耐えかねたシェルターが、派手に破裂した。想定よりも派手で、ヒトなら、“たまや”とでもいう場面だろうか。きゃあきゃあと、ヒトの声が入り乱れているのも微かに聞えてきた。そういえば、ヒトの催す祭は見た事がなかったな、と思う。
クスっと、声が出た。口角が吊り上がっていることに気が付く。任務を過不足なく遂行したことに対し、自然と反応が表れているようだった。
私も人間らしくなってきたなと思う。もう一度、シェルターが火を噴くのを見て、私は思い付きから呟いた。
「……たまや」
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