第28話 少女探訪

「ふへ~疲れたあ……」


 デイジーがうーんと伸びをする。俺にも、座りっぱなしという、電車に特有の疲れが全身に纏わりついていた。強張った筋肉を刺戟してやるように、首など回してみる。


「少し休憩したら、文書館に行くぞ。このまま地下を歩いて五分くらいだ」


 地図を確認していたナオミが俺たちに促す。


「きゅうけい~☆」


「ほれ」


 携帯食料と水を渡してやると、デイジーは駅のベンチにドカッと腰を下ろす。そのまま、もぐもぐとやり始めた。


 ナオミと俺も各々口をつける。水を口に含みつつ、俺は何気なく辺りを見回した。


 こんなご時世、文書館に用のあるものなどいないらしい。まだ日中だというのに、下車したのは俺たち三人だけだった。


 かつては人が行きかっていたであろう地下のホームはひっそり閑としており、薄く汚れた天井には小さな蜘蛛の巣がへばりついていた。


 電力は、最低限しか供給されていないらしく、時折点滅する天井灯と、電源の落とされたエスカレーターやエレベーター、最早誰にも何も販売することのない自動販売機などが目に付いた。


「仮にも首都圏の設備がこの状態か……」


 何となく予想はしていたものの、実際目の当たりにすると驚きが隠せない。


「そうだな……まあ、この辺りの設備は、単に需要がないから後回しにされている、というのもあるんだろうが」


「この分じゃ文書館の状態が心配だな」


「とにかく行ってみないことにはわからんな……さて、そろそろ行くか」


「れっつご~☆」


「……こいつ、遠足か何かだと勘違いしてるんじゃないのか?」


 お気楽なデイジーの様子に、俺は溜め息を吐いた。


「いいじゃないか。折角の遠出だ。暗いより明るいほうがいい」


「……それもそうか」


 防護服に着替えてから、連れ立って歩いていく。各人の靴音が無人のホームに、階段に、地下道に響いた。そのバラバラの反響は、薄暗い地下道に蔓延した孤独を希釈するようだった。




 距離にして半キロあるかないか。ややあって俺たちは文書館に辿り着いた。


「暗いね~☆」


「鳴海、電源は生きてるか?」


 電子ロックのドアの前、ナオミが尋ねる。


「ダメそうだな。どうする? こじ開けるか?」


「頼む。非常時だ、許されて然るべきだろう」


「わかった」


 俺は荷物から工具を取り出す。こんな時のため、ある程度の備えはしてあった。


「よし、入れるぞ」


 十分ほどでこじ開け、中に入った。手にした電灯で照らすと、手入れも碌にされていないらしく、床には薄っすらと埃が積もっていた。


「よし、まずは中央管理室に行こう」周囲を一瞥して、ナオミが言った。「そこで電源が戻せるかもしれん」


「どこ~?」


「この真上に、管理室の入り口がある」


「ナオミン、どーして知ってるの~?」


「ああ、学生の時、たまに来てたんだ。鳴海と一緒に来たこともあるぞ。最も、こいつは静かで利用者が少ないのをいいことに、机で寝てばかりいたが」


「余計なことは教えなくていい。行くんだろ、用事は早く済ませるに限る」


 他にもいらぬことを吹き込まれる前に、話を打ち切った。上階の管理室の扉はやはり閉ざされていたが、こちらも失敬してこじ開ける。


「ぴっきんぐ~☆」


「誤解を招くようなことを言うな」


「おっ、非常電源は生きているみたいだな」


 コンソールを操作していたナオミが、レバーを押し上げたりボタンを押したりとやっているうちに、薄明かりが灯る。


「わ~☆ ナオミン☆ すご~い!」


「そうだろう、私は天才だからな。デイジーは素直ないい子だな」


「えへへ~☆」


「ナオミ、アーカイブは閲覧できそうか?」


「他フロアの電源を回したから、大丈夫だ」


「よし、それじゃあ探すか」


 俺たちは、さらに上階へと向かう。ぼんやりとしたものではあったが、まったくの暗闇と比べれば、灯りはありがたいものだった。


「ここだな」


 工業製品関連のフロアには、検索用端末が置かれ、ガラスケースの中には実際の文書の展示がされている。貴重な文書なのだろうが、正直興味を引くものではなかった。


「よし、さっそく調べるか……オトギによれば、デイジーの製造時期は……」


 ナオミが、ブラインドタッチで情報を入力していく。


 画面には、すぐさま大量の検索結果が並んだ。


「やはり、これでは膨大過ぎるな。もう少し絞るか……」


 ナオミは更に検索を続ける。該当しそうなワードを片っ端から試しているようだった。


『ロボット』、『人型』、『介助』、『学習型』……様々に打ち込むが、そのいずれも、デイジーに関連するものではないようだった。


「ナオミン、出てこない?」


「うん……どうもそのようだな……」


「どうする? 紙媒体も探すか?」


「一応当たってみよう」


 ナオミは管理室からくすねてきた鍵で資料室の扉を開けた。


「いっぱい……」


「年代はわかってるんだ。ある程度は絞れるさ。鳴海、お前はここからここの棚。私はここまで。デイジーはここを頼む」


「わかった」


「おっけ~☆」


 三人で座り込み、資料の山と格闘する。しかし、二時間ほどを費やしても、何ら成果らしい成果は得られなかった。


「見つからんな……ナオミ、何かあったか?」


「いや、こっちもダメだな」


「わたしも~」


「どうする? まだ粘るか?」


「いや、今日はこの辺りにして、残りは明日にしよう。別なアテがあるから、明日は別な所に行く」


「じゃあ、今日はおしまい?」


「ああ」


 ナオミがうーんと伸びをする。デイジーは「うぉ~た~☆」と言いながら荷物を漁り、探り当てた水を飲み始めた。


「体、拭いてくる」


 俺はタオル片手に便所に向かった。飲料水で僅かに湿らせたタオルで、全身を拭いていく。


 作業の合間に便所に立った時、水道の確認をしたが、水の供給は止まっていた。本当ならばシャワーなりとも浴びたいところだが、贅沢は言っていられないので、せめてもの保清として、拭くくらいはしようと思ったのだった。


「ふう……」


 目元を擦ると、疲れが落ちていくようだった。書類との格闘で、想定以上に目を酷使していたらしい。上半身から下半身まで拭き清めてしまうと、些か気分はすっきりした。


「お前らはどこで寝るんだ?」


「わたしはここ~☆」


 見ると、デイジーは既に背もたれのない一人掛けの椅子を寄せ集め、簡易ベッドを拵えていた。


「私はここで。鳴海もあの辺りで寝たらどうだ?」


「ああ」


 ソファを占領しているナオミ同様、俺も肘掛けに足を乗せる形で別なソファに横になった。すぐに眠気がやってくる。


 ナオミの言う“別なアテ”とは何だろうかと、ふと思った。気になって体を起こしかけたところで、二人分の静かな寝息に気が付いて、俺はまた横になった。


「明日になればわかるか……」


 古臭い紙の匂いに抱かれて、俺は眠った。

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