第13話 少女渋面

 よし、邪魔者はいなくなったな。


 デイジーと別れた俺は、いそいそと食堂脇の給湯室に向かう。デイジーには悪いが、ひそかな楽しみを邪魔されたくはない。


 以前の探索で見つけたこいつ……今では入手しづらい紙巻き煙草(除菌済み)。こうした掘り出し物が、俺がこの仕事を続けるモチベーションでもある。


 実際、探索作業に出た者は、個人的にこうした成果物を持ち帰ることがしばしばあった。推奨はされていないが、表立って咎められることもない。いわゆる不文律というやつだ。


 換気扇が動いているのを確認してから、普段使われていないカセットコンロを引っ張り出した。カチカチと二、三度つまみを捻ると、火花とともに青々とした火が燃える。咥えた煙草の先を慎重に近づけて、大きく息を吸い込んだ。


「はあ……」


 久しぶりの感覚。程よく葉がクッションになって、マイルドな味わいが口いっぱいに広がる。


「おっと……」


 慌てて吸いすぎたために、眩暈に似た浮遊感が俺を襲った。思わず、壁にもたれかかる。呼吸に合わせて、ジリジリという静かな燃焼音だけが俺の耳朶を打つ。


 戯れに、輪っかなど拵えてみた。頬を叩くと、空気砲の要領でドーナツ型の白煙が漂う。やがて空気の流れに弄ばれ、輪っかは形のない煙に戻ってしまった。


 換気扇に吸い込まれていく煙の流れを見ていると、全てがどうでもいいような、虚脱感に襲われる。夢幻泡影。全て夢……この煙草の味も、停滞した現実も……。


「な・る・み~」


「うわっ」


 背後からの突然の声。驚いて振り返ると、ナオミが立っていた。


「いいもの持ってるじゃないか」


「お前、仕事はいいのか」


 わずかに残っていた手近な飲料の蓋を開け、中に灰を落としつつ応じる。


「今は休憩中だよ。それより……おやおや……これはいただけないなあ。どれ、ご相伴にあずかろう」


「やるとは言ってない」


「そんなことが言える立場か?吸いたいやつはごまんといる。お前が独占してるなんて聞いたら、連中はどう思うかな。あ、脅しじゃないぞ。ここで共犯になってやろうと言うんだ。悪い話じゃないだろう」


「チッ……ほら」


 華奢な紙箱を傾け、ナオミに恵んでやる。こいつには敵わない。


「ありがとうな。どれ失礼して……」


「河合が悲しむぞ。『ナオミ先輩、健康、は大事にしてください』って」


「お前が言えたクチか。ああ……美味いなあ」


「感謝して吸えよ」


「わかってるよ」


 壁に寄りかかった姿勢のまま、へらへらとナオミが言う。美味そうな吸いっぷりに釣られて、俺も二本目を咥えた。


「デイジーは一緒じゃないんだな。鳴海、子供の前では吸わない主義か」


「邪魔されたくないだけだ。どうせ部屋に戻ればあいつと嫌でも一緒になるんだから、こうでもしないと一人の時間が確保できん」


「そうかそうか」


「信じてないだろ」


「信じてるとも。あ、もう一本くれ」


「ちょっとは遠慮しろよ……」


 一本目も吸いかけだというのに、ナオミが追加を催促する。なんだかんだで二本目を献上するあたり、俺もこいつには弱い。


「一応言うが、それ、両切りだぞ」


「わかってる」


「重いのは健康に悪いぞ」


「健康に悪いほうがうまいんじゃないか」


「長生きできないタイプだな」


「私は美人薄命なんてジンクスは信じないタチでね。それに、明日が見えないときに、長生きできるかどうかなんて考えてどうする」


 僅かに表情を引き締め、ナオミが言う。その言葉は諦観のようでも、言い訳のようでもあった。


「お前がいないと、みんな困るんだよ……俺もな」


「なんだ、お世辞か? 鳴海、いつからそんな文句を仕入れてきた?」


「お前に言う世辞はねえよ。お前も求めちゃいないだろ」


「それはそうだな……」


 ふーっと、ナオミが煙を吐き出す。薄く煙が辺りに滞留した。


「なあ、鳴海」


「なんだ」


「いつまで、こんな暮らしが続くと思う?」


「さあな。まあ、いつかは終わるんだろうが」


「いつ?」


「知らねえよ」


「私は、いつまで頑張ればいいのかな」


 いつものナオミらしくない……いや、それは違うか。


 “いつものナオミ”なんていうのは、周囲が勝手に認識している幻想だ。本当のナオミというものは、当人以外の誰にもわからないのだろう。比較的付き合いの長い俺でも、こいつの奥底まではわからない。もしかしたら、ナオミ自身にもわからなくなってしまっているのかもしれない……。


「鳴海もみんなも忘れてるかもしれないがな、これでも、普通の女なんだよ」


「……」


「“できる私”を演じているだけなんだ。それがいつしかみんなの共通認識になってしまったから、逃げられなくなって……だが、私もいつまでこんな私でいられるかわからん。メッキが剥げて、周囲を失望させる……そんな未来も遠くないかもしれない」


 自嘲的にナオミが笑う。ひどく寂しい笑顔。こいつのそんな顔は見たくなかった。


「もう一本吸うか?」


 こんな言葉しかかけてやれない自分が情けなかった。何をしても、こいつの心中に巣食う苦労を残らず掬い取ることはできない。


 だが、せめてこの瞬間、俺の前でだけは素顔のナオミでいてほしいと思った。責任へとこいつを追い立てるものを、少しでも押しとどめたかった。


「……いや、やめておくよ。どれ、そろそろ戻るかな。まだ作業が残ってる」


「そうか……」


「愚痴を聞いてもらって悪かったな。これでいつもの“できる私”に戻れそうだよ」


 ちびた煙草を飲料の水溜まりに落とし、ナオミは体を起こした。切り替えとばかりに、豊かな黒髪ブルネットを搔き上げる。その仕草と、弾みで微かに上下した豊満な胸は強く女を思わせた。


「おい」


 立ち去りかけたナオミに、箱ごと煙草の残りをくれてやった。


「なんだ、気前がいいな」


「あんまり、無理すんなよ」


 ナオミは微笑を浮かべて、箱をポケットにねじ込んだ。


「わかってるよ……ありがとうな、鳴海」


「河合に見つかるなよ。どやされるぞ」


「それもわかってる」


「それと……俺ができることがあれば言え。肉体労働は、頭数がいたほうがいいだろ」


「ああ。こき使わせてもらうよ」


 後ろ向きのまま軽く手を挙げて、今度こそナオミはいなくなった。辺りには、二人の喫煙の名残が香るだけ。


 火の元を確認し、Cブロックに回収物を届けてから、俺も部屋に戻った。デイジーは、搬入してもらった自分のベッドの上で、ホカホカと湯気を上げていた。


「う~~~~~☆ な~んか変なニオイがするような?」


「気のせいだろ。ほら、ガキは寝ろ」


 入室後、デイジーはしきりに鼻をひくつかせていた。戻る前に軽く消臭はしたのだが、微妙に匂いが残ってしまったらしい。


「今後はおちおち煙草も吸えやしない……」


 流れ落ちる湯の中で俺はぼやいた。

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