第7話 少女命名
Aブロックには、食堂くらいしか見せるべき場所はない。他はみんな個室が並ぶだけだ。
俺たちは早々にBブロックに移動した。
「ねえナルミン☆ 名前、そろそろ考えてくれた?」
「そうだな……」
実はさっきから考えていたのだが、なかなかいいものが浮かばない。不便なのでさっさとつけてしまいたいのだが、名付けという行為には一種の責任があるような気がして、軽々に決定を下せずいる。
「ナルミンの思ったやつでいいよぉ☆ あっ、でもヘンなのはナシね☆」
「うーん……名前、名前か……」
ふと、脳裏に在りし日の記憶がよぎる。大切な記憶……暖かい時間……。
『お兄ちゃん、綺麗でしょ。デイジーっていうんだよ。平和のお花なんだって』
「……デイジー」
「えっ☆」
「お前の名前。デイジーっていうのでどうだ?」
「う~ん☆ ぴっかり~~~~~ん☆ それっ! それいいねぇ☆」
「そうか……」
デイジー。平和の花。希望の花。あいつが好きだった花。
戦いの道具だとしても、せめて名前くらいは穏やかなものをつけてやりたい。女々しい考えかと思ったが、お気に召したようだ。
「よし、じゃあ行くぞ……あー、その、デイジー」
「うん☆ えへへぇ☆ でいじーでいじー、わったしっはでいじー☆」
調子っぱずれな歌声だったが、嬉しそうなことだけは伝わってくる。止めるのも面倒なのでそのままにしておいた。無機質な廊下に呑気な声が反響する様は、名前に相応しく、お花畑という形容が似合いそうだ。
「おい、着いたぞ」
「は~い☆」
Bブロックはここの中枢部。俺たちがいるシェルターはA・B・Cの三ブロックで構成されているが、ここには発電設備や浄水器、食料の製造プラントにゴミ捨て場など、様々な設備が密集している。
「ほら、あれ見えるか?あれで電気を作ってる。んで、あっちが水を浄化する装置。まあ、俺は専門的なことはわからないが……とにかく、このブロックはこのシェルターの心臓みたいなもんだ」
「わあ……☆」
適当に指さしては解説してやると、“バカ少女”……改め、デイジーは、ぴょこぴょこと跳ねては目を輝かせている。こうした設備は見てもたいして面白くないかと思っていたが、殊の外デイジーの好奇心は強いらしい。
行き交う作業員を捕まえては、「こんにちはぁ~☆ デイジーはデイジーっていうんですぅ☆」といちいち名乗りを上げていた。律儀なやつだ。武士かお前は。
しばらく見学したそうだったので、手は触れるな、とだけ注意して放置する。手近な柵に寄りかかって携帯食料を口にしようとしたが、さっきデイジーにやってしまったのを思い出した。
「鳴海」
声の方向に目をやると、氷川だった。軽く手を挙げて応じる。
「どう、あの子。調子悪そうなところはないかな?」
氷川は俺より背が高い。少し上目遣いで視線を合わせる。
「いや、元気なもんだ。うるさくってかなわない」
「ふ~ん。鳴海、楽しそうに見えるけどね」
「眼鏡の度があってないみたいだな。今度作り直せ」
「生憎、最寄りの眼鏡屋が車で五時間でね。あの子のこと、デイジーちゃんって呼んでるんだ」
「まあ……」
「鳴海にしてはいいセンスなんじゃない。あの子も気に入ってるみたいだしね」
「ふん……それより、お前は何でここに?」
寄りかかっていた体を起こし、氷川に向き直る。心なしか、氷川は疲れの抜けきらない表情をしているようだった。
「まあ、ちょっと人手不足でね。僕はちょうど休憩してたから、手伝いに来たんだ」
「奉仕体質か? 休みを取るのも仕事だろ」
「そういう鳴海こそ、デイジーちゃんの案内してあげてるじゃないか」
「たまたま暇だったからだ」
「そういうことにしておこうか……っと。そろそろ戻らなきゃ」
「お前、鏡見たほうがいいぞ。ただでさえ青白いツラなのに、もっと血色が悪いぜ」
「ご忠告痛み入るよ。じゃあね」
俺の忠告も軽く流して、氷川は作業へと戻ってしまう。途中、作業員と何か打ち合わせているようだった。
「仕事熱心なやつ……おーい! デイジー! そろそろ行くぞ」
独り言ちてから、見学中のデイジーを呼び寄せる。パタパタと戻るその足取りは、些か心もとない。
「次はどこ行くのぉ? ナルミン☆」
「Cブロックだ。喜べ、お前の最愛の『ナオミン☆』がスパナを持って歓迎してくれるぞ」
「いや~~~! 帰るぅ☆」
「ほらほらお客さん、こちらですよ~」
「い~や~! かわいいデイジーがドナドナ☆ されちゃうよぉ☆」
「自分でかわいい言うな」
氷川にはああ言ったが、俺も俺で案外楽しんでいたのかもしれない。実際、こいつのお気楽さには、陰鬱な気持ちを晴らす力があるようだった。
「い~~~~や~~~~~☆」
……デイジーはまだ抵抗していた。
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