観光客

やざき わかば

観光客

 私はベータ星人。宇宙連邦に属する、ベータ惑星の住民だ。


 この度、仕事の定年を迎え、第二の人生をどう過ごすかと妻と話し合ったら、「久しぶりに地球旅行がしたい」ということになった。


 ベータ星宇宙連邦観光局支店で、地球旅行の説明を受ける。地球は夫婦そろって大好きな星で、これまで何度も旅行目的で訪れているが、この説明をその都度受けなくてはならないのがネックである。


 ・地球はまだ科学的に未開の地です。宇宙連邦に加盟していないうえに、地球外の生物を認識していないので、地球内の生物に偽装してください。地球人の姿がベストです。


 これは他の惑星に旅行をするときにもたまに言われる。「異星人」の存在を認識していない未開の惑星は未だ数多く存在して、そういうところに旅行をする際には、その惑星の生物の、姿かたちを真似しなければならないのだ。


 なので、我々はちゃんと「身体変換装置」を持っている。問題ない。


 ・地球を観光する方々は、当地の生命に関して、一切関与してはなりません。


 これは当然だ。惑星ごとに科学力は違う。私達ベータ星人は、全ての銀河に先駆けて、死んでさえいなければ殆どの傷や症状、病状をすぐに完治させる医療器具「生体維持装置」を、個人で持っているが、これが我々より科学力の乏しい場所に漏れてしまったら、大騒ぎでは済まないだろう。


 ・これらのルールが守られない場合は、宇宙旅行法に則り、相応の処罰を負うことになります。もちろん、それは軽くない罪となるでしょう。


 私は罪人になりたくないし、妻を独りにするわけにはいかないので、ちゃんと法律を守って生きている。今までも、これからもそうだ。


 それから手続きを済ませ、船で地球へ。今回は、『日本』という国に来ている。なんでも、地球の中では歴史が古く、料理も美味しいとか。妻も楽しんでいるようだ。


 もちろん、私達の姿は日本人に偽装、翻訳機も日本語に設定してある。どこからどう見ても、熟年夫婦の観光客だ。


 さて旅行のルートだが、神奈川からスタートして、東京、埼玉、群馬、栃木、茨城、そして千葉と、関東を一周するプランにした。


 各地を楽しんで、最後の千葉県。もちろん千葉でも観光を楽しみ、美味しい夕食を食べて、名物の落花生をお土産で大量に買い込み、ホテルへと戻る。明日には我が家へ帰る日だ。


 少し寂しくなった私は、妻が大浴場へ行っている間に、近くを少し散歩することにした。


 人気のない、車もあまり通らない寂しい道だが、地球の、日本の、季節の匂いがする。もう真っ暗だが、点々とある保安灯の淡い光と月明かりで、歩けないほどの暗さはない。まぁそこまで暗かったら、さすがに懐中電灯を使うのだが。


 ふと道のはじっこに、何かうごめくものがある。子猫だ。血を流して、苦しそうに手足をバタバタさせている。


 車に轢かれたのだろうか。ましてやこんな人通りの無い道だ。助けられる人間が通らなかったのだろう。このままでは、短時間でこの子は死ぬ。しかし、私は宇宙連邦の法によって、現地の生き物に介入は出来ない。


 しばらく悩んだ挙げ句、結局私はこの子猫に、生体維持装置を使ってしまった。まぁ、周囲に誰もいないし、誰にも見られていないだろう。そんな安易な考えだったが、とにかく私は目の前のこの、小さな命を助けたかった。


 数分後、子猫は何事もなかったように立ち上がり、私をまじまじと見つめていた。


「ほら。早く行かないと、お母さんやお父さんが心配するよ」


 こう声をかけると、意味がわかったのか、小走りで、何度かこちらを振り返りながら逃げていった。


 …やってしまった。当局に知られなければ良いのだが。ホテルの部屋に戻って、風呂から上がっていた妻に全てを話し、謝罪したが、妻はニッコリ笑って「貴方は、私の自慢の夫よ」と言ってくれた。


 次の日、大量の土産物を持ち、自星の、自宅へ帰る。「やっぱり、自分の家が一番だね」と、みんなが言うような当たり前な会話を妻とし、ゆっくり休む。


 それから数週間。我々夫婦の日常が戻ってきたかと思うと、当局から私に連絡が来た。「都合の良いときに、事務所まで来てほしい」とのこと。やはり、バレていたのか。これは覚悟を決めるしかない。


 約束の日時に、当局へ向かった。逮捕されるだろうか。重罪だろうか。妻は大丈夫だろうか。そればかりが脳内を駆け巡る。椅子に座って担当者が来るのを待つ時間が、とても長く感じる。


 突如、ドアが開いた。「失礼します。恐れ入りますが、私についてきていただけますか」


 担当官についていくと、いかにも上層部という人々のいる部屋に通された。裁判も無しなのか。それだけの重罪だったのだ。ああ、もう終わりだ。


 一番偉い宇宙連邦局長が口火を切る。


「この度は、礼を言う」


 …え? 私は阿呆みたいな顔をしていただろう。


 局長が私に話してくれたことには、地球とそれほど離れていない、あまり科学力は高くないが、非常に好戦的な独裁政権ならず者惑星であるアルファ星が、「近日中に地球という惑星に侵略、これを占領する」と宇宙連邦当局に声明を出していたという。


 アルファ星はそのために先遣隊として工作員数名を、地球でいう「猫」に扮して潜入させ、諜報活動を行っていたのだが、独裁者の小さい一人息子がこっそりそれに紛れ込み、行方不明になっていたそうだ。


 そう、その「小さい一人息子」が、私が助けたあの子猫だという。


 そのすぐあと、アルファ星から新たな声明が出されたそうだ。曰く、「総帥の、一人息子の命が助けられた。さらに、地球にはそれだけの科学力があるということがわかった。今後我々アルファ星は、地球及びその銀河には一切手出しはしない」


 なんと。私のルール違反が、結果的にひとつの惑星を救い、ひとつの宇宙の紛争の原因を食い止めていたのである。


 また、このことをきっかけに、今まで頑なに宇宙連邦の対話の呼びかけに応じなかったアルファ星の態度が、軟化を示しているそうだ。それだけ大きい出来事だったのだろう。


 しかし、私がルールを犯していたのは事実であり、これにはもちろんペナルティがつく。


 当局からの報奨は、「今後の夫婦の生活費(嗜好品ならびに遊興費含む)を全て負担する」というものであった。とんでもないことである。


 そして、私に課されたペナルティは、「辺境の星『地球』で、ベータ星旅行客のガイド及び地球に関する情報を当局に報告する諜報員。刑期は『飽きるまで』。もちろん伴侶を伴うべし」であった。


 言葉は汚いが、要するに私達夫婦の大好きな地球で、ほぼ遊んで暮らせるのである。少しの親切心や慈悲の心が、ここまで自分を助くとは考えもしなかった。


 地球の日本には、こういう言葉がある。「情けは人の為ならず」。まさにその通りだった。まったく、人生というのはこういうことがあるから面白い。

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