第2話 とっても、すごく大嫌い
「――レームリヒト、大丈夫か?」
頬を叩かれて我に返った。俺は床に座り込んだままだった。目の前には父が居た。
「父上……俺はいったい……」
「お前の婚約者が……あんな言葉を放った直後に膝をついてそのままだ」
「リネは!?」
「家に連れ帰って貰っている。だが……」
「あいつ、妾になるって……」
「ああ。明日の出発で連れて行くと言うのだ」
「そんな無茶な!」
「我々も抗議したのだが、何よりあの娘の意志が堅くてな」
「あれは……絶対におかしい。何かある。普通じゃなかった」
「ああ、だが手だてが無いのだ。やつら、手切れ金だけで済ませるつもりだ」
「クソッ」
俺は椅子に捕まりながら立ち上がり、ふらつきながら広間を出る。
「レームリヒト! 早まったことだけはするなよ!」
◇◇◇◇◇
父に釘を刺されたものの、俺は彼女の様子が知りたくて仕方が無かった。
あんな馬鹿なことは冗談だと言って欲しい。芝居だったと言って欲しかった。
もう宴が終わってから時間が経っていた。日は落ちて暗くなり、家々からの暖炉の灯りの下、夜目でようやく周りが見える程度だった。
ふと、彼女の家の裏手から、人影が出て行くのが目に入った。
俺はまさかという思いと共に、その影の行く手を阻んだ。
「レム……」
彼女は薄い部屋着にケープを纏って家を抜け出していた。
「リネ、どこへ行くつもりだ」
「あなたには関係ないわ」
顔をしかめ、俺を睨みつける彼女。
「こんな夜更けに、婚約者の俺に関係ないってどういうことだよ」
「あなたはもう婚約者でも何でもない」
「それだっておかしい。俺のことを愛していたんじゃなかったのか」
「あなたのことなんて……愛したことはなかったわ」
普通じゃない。そう直感した。だってありえない。この年までずっと一緒だったんだ。
「昔の誓いは……あれは何だったんだよ」
「
ヤマダと同じようなことを話す彼女。
「そんな恰好で何をするつもりだった」
「ふふっ、勇者様に愛してもらうの。だ、抱いてもらうのよ」
リネリカは戸惑いを交えながらも笑顔で言う。
「正気か? お前、そんな
「うふふっ、そんなの私の自由じゃない。あなたはこれからもこの村で生きていけばいいわ」
信じられない言葉を立て続けに聞かされた俺は眩暈がした。
どうしてこんな風になってしまったんだ。ヤマダが原因であろうことはわかる。
諦めにも似た絶望が俺を支配しようとしていた。
だめだこいつは……まともじゃない……俺は――
――俺は気力を振り絞り、彼女を止めるべく、鳩尾を狙って拳を繰り出した。ただ――。
バシッ――彼女も剣術や体術の心得がある。俺の手加減した拳は彼女に止められていた。
「素手ならまだ負けない」
リネリカが不敵な笑みを見せる。ただ、彼女はわかっていない。体が大きくなってきてから俺は、彼女にはかなりの手加減をしていた。特に彼女のお転婆が鳴りを潜めてからというもの、まともに組み合った試しがない。彼女のか細い指を痛めるわけにはいかなかったから。
「馬鹿だよな……」
強引に俺に腕を取られ、その後に首を極められた彼女は気を失った。
俺はそのまま彼女を肩に担ぎ、攫った。
◇◇◇◇◇
納屋に立ち寄り、鉈やナイフ、ロープ、ランタンなど、持ち運べる限りの荷物を漁った。リネリカが目覚めて暴れないよう、衣服を裂いて轡を噛ませ、腕と足を縛った。気を失っている彼女は以前のままだった。彼女にこんな仕打ちをすること自体、俺の胸を痛めた。
暗い山に入る。子供のころから慣れ親しんだため、けもの道はよく把握していた。道が分かりづらい部分もあったが、何故だか真夜中の山は怖くも気味が悪くも無かった。彼女を攫った高揚感に支配されていたのだろうか。それとも二人で歩いた道だったからだろうか。
目的の場所に辿り着いた。それは山の深い場所にある古い石造りの祠だった。昔、ひとりで山の奥を探検していて偶然見つけた場所。大人たちには知られていないと思うが、勇者一行が居なくなるくらいまではここで隠れていられるだろう。
我ながら馬鹿なことをしたと思う。
「何をやっているんだ…………」
だが、あのままにしていたらリネリカは間違いなくあの勇者に奪われ、そしてきっと俺では耐えられないような行為が行われていたことだろう。
「そんなこと……許せるわけがないじゃないか」
俺はリネリカをロープで縛りつけ、足元にはキルトの上着を敷いてやった。
◇◇◇◇◇
「……レム……私を放して」
気が付いてから自分が縛られている状況を理解したリネリカは、俺を見据えて何度かそう言ってきていた。昔、機嫌を損ねて喧嘩していたころよりもずっと刺々しい、どちらかというと彼女にちょっかいをかけてきた男に向けたような言葉だった。
「いやだ。絶対に離さない」
「私は勇者様のものなの。彼に返して」
「そんなこと、認められるか。俺の婚約者だ」
「私、あなたが大嫌いなの」
「そうかよ」
「とっても、すごく大嫌いなの」
「へえ」
「雨の季節にカビさせてしまったパンくらい大嫌い」
プッ――思わず吹き出してしまった。
「なんだそれ」
笑われた彼女は顔を赤くする。
「つ、作り過ぎて腐らせてしまったシチューくらい大嫌い」
「作り過ぎたなら食べてやるのに、勿体ない」
「虫が居てちょっと苦かったスモモくらい嫌い」
「そうかそうか」
俺が笑うと彼女は唇を噛みしめる。
正直なところ、リネリカには
その後も、穴が開いた鍋だとか、目に真っすぐ飛び込んできた羽虫だとか、花が咲いて苦くなった香草だとか、聞いてると楽しくなるような彼女の
「俺のことは好きじゃないのか」
「そうよ」
「じゃあ、あの勇者のどこが好きなんだ?」
「…………」
急に答えに詰まる彼女。
「いろいろ……全部」
「なんだそれ。全然相手のことがわかってないじゃないか」
「たぶん顔とか」
「たぶんって何だよ。そんなに好きって程でも無いんじゃないのか」
「ううん、絶対好き。大好き。――あと背も高いし」
「あと二年もしたら俺の方が高くなるよ。奴の身長、父さんよりずっと低かったろ。別に高くない」
「…………」
「で? それだけ?」
「話が面白いし」
「そうか? お前の父さんの話の方がずっと面白いぞ」
「そうだね……」
「それは認めるのかよ」
それからしばらくリネリカの言い分を聞いてやったが、やはりどうも俺だけを嫌っているような節があった。家族や村の皆への印象はそれほど変わっていない。けれど勇者が大好きで愛されたいと。
「魔法かな……」
ふと、呟いた。魔法についてはよくわからない。村にも魔女が居る。ただ、彼女の使う魔法は森を切り開く場所を教えたり、天候を占ったり、怪我を取り除いたり、病気を払ったりといったことばかり。魔法で人をどうにかというのは聞いたことがなかった。
◇◇◇◇◇
翌朝、俺は沢に降りて水を汲み、食べられそうな木の実と仕留めた蛇の肉を手に入れた。
昔、持ち込んだ鍋やフライパンがあったので、火を起こして湯を沸かし、肉と木の実を焼いた。幸いなことに山の奥は香草の質が飛び切り良い。村の魔女も高く買ってくれたし、簡単な薬の作り方や料理の知識も教えてくれた。
「食べるか?」
やることが多く、食事にありつけたのは日も高く上った時間だった。
俺はフライパンそのままを彼女に差し出した。
「あなたの作った料理なんて大嫌い!」
「まあ食ってみなよ。腹が減ってるだろ」
ぐう――と呼応するかのように彼女の腹が鳴った。
「……手が使えない」
まあそうだ。縛ったのは俺だから彼女は手が使えない。
「ほら、食えよ。口開けて。あーん――」
リネリカは渋々口を開ける。俺はフォークに刺した肉を押し込んだ。
「……硬い」
「そこはそうだな……」
「……塩が足りない」
「それは何とかするつもり……」
「……香りがいい」
「だろ。それは思った。高価な香草だからな」
「…………」
「まだ食うか? これも嫌いか?」
「あなたは嫌いだけど、その料理は好き」
思わず鼻で笑ってしまう。
「ならいい」
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