ヤドリギの下の物語
あんぜ
第1話 彼女と交わした約束
「あたし、レムのお嫁さんになるって誓う! 大人になったら必ずね」
あどけない笑顔でそう言ったのは幼馴染のリネリカ。
リネリカは麦の穂のような美しい金髪が良く似合うお転婆な女の子だった。
俺は村の郷士の息子として生まれ、父の相談役の学者の娘であるリネリカと小さい頃からよく遊んでいた。村の子供たちと遊ぶことも多いが、父の任された領地にある、大木のある丘で彼女と二人で過ごす時間は特別だった。
「馬鹿、やめろ。そういうこと誓うな。リネにはまだ早い」
聖国では誓いと言うものは絶対だった。喩え子供の誓いでも、尊重され、自分を縛る枷となった。聖国で祀るヤドリギの神様が祝福を齎してくれることもあるという。そういうことを親から教わっていた俺たちだからこそ、安易にそんな誓いを立てて欲しくなかった。
「やだよ、絶対だもん」
彼女がそう言った翌日には、家族同士の間では婚約したかような扱いを受けていた。身分的にも問題なかったし、親同士の関係が良好だったのもあったと思う。
俺たちは二人の時間を、父に畑での仕事や剣術を教わったり、リネリカの父親に学問を教わったりして過ごした。
◇◇◇◇◇
六年の月日が流れ、俺は十四に、リネリカは十三になった。
俺は剣術の腕をあげ、成人を前にして小領地の経営も学んでいた。
リネリカは料理が得意なとても家庭的な美しい少女に育っていた。彼女の小さなころのお転婆は鳴りを潜めたが、編み上げられた金髪の麦の穂のような美しさはそのままだった。
「レームリヒト、明日は勇者様がお見えになる。大人は総出で迎えるので、子供たちが粗相のないように宜しくな」
「はい、父上。お任せください」
俺はリネリカと共に子供たちの管理を任されていた。将来、腹心となる親しい男子やその婚約者たちも俺たちを支えてくれた。
勇者というのは神様から与えられる祝福のひとつで、本来ならばひとつの力に秀でた祝福を与えられる中、多くの力を内包した祝福を与えられる者を言う。そしてその勇者の多くは特別な神の啓示が与えられた者ばかりだそうだ。例えばそう、彼のような異世界からの召喚者である。
やってきた勇者はヤマダと名乗った。
黒々とした髪に黒い瞳。聖国の民にも黒い髪の者は居るけれど、あそこまで黒い髪は見たことが無い。彼は少し前に聖国の神聖な儀式で召喚された召喚者であるという。聖国の護衛が何人もついて馬車でやってきていた。
「これはまたずいぶんと…………のどかな村だね」
「勇者様、何もない所ですが、夕餉と寝所をご用意いたしました。内地の視察でお疲れでしょう。どうか我が屋敷にてお寛ぎください」
「ああ、うん。くるしゅうないぞ」
「は? くるしゅう? ですか」
「ああ、いや、通じないのか。何でもない、ありがとう」
「……では、こちらに」
勇者ヤマダは父に対しても横柄な態度を取っていた。尤も、聖国では勇者の祝福は貴族かそれ以上の権威がある。郷士である父は貴族とみなされないこともままある身分だったから珍しい事ではなかったが、それでも歓待を受けるような態度ではなかった。
夕餉には俺たちの居る小領地にしては豪華な料理が並べられていた。
ヤマダも特に不満を漏らすでもなく食べていた。
「しかしアレだね。この世界の女たちは美人が多いけれど、成人した子はすぐに結婚してしまうんだね」
「ええ、地母神様は成人とともに結婚して子を産むことを何より祝福されますから」
「それってどうなの? 女性の生き方として。もっと女性側から文句とか出るもんじゃないの?」
「ええ? ああ、どうでしょうね。あまり聞かない話です」
「もっと女性の権利とか自由とかの意識改革が必要なんじゃないの?」
ヤマダはよくわからないことを話していた。召喚者の感覚なのだろうか。彼は俺よりも少し上、成人したてくらいの年齢に見えたが、話す様は村いちばんの学者であるリネリカの父親なんて比べ物にならない見下し方をしていた。
「子供たち、さっきまで勇者様って大騒ぎしてたけどやっと落ち着いたわ」
俺の傍までやってきてそう言ったのはリネリカ。
「リネ、ご苦労様」
応えるようにニコと微笑むリネリカ。
「おっ、そこの彼女、いいね。まだ成人前だよね!」
ヤマダは突然、大声で言ってリネリカを指差した。
ただ、その様子が気に入らなかった俺は――。
「お前、彼女に向かって失礼だぞ!」
思わず叫んでしまった。
俺は父に窘められ、リネリカと共に勇者の前に並び、改めて挨拶をする。
「リネリカって言うのか。素敵な名前だね。リネって呼んでいい?」
「はっ!?」
「いえ、それは困ります」
「どうしてだい?」
「私は彼の婚約者なので」
「だから?」
「ですので、他の男性とあまり親しくは……」
「ええ、そうなの!? 僕の居た世界じゃ女性はもっと自由だったよ。婚約者以外の相手でも、愛称で呼び合ったりね」
「それでも困ります……」
「じゃあさ、この村のこと教えてよ。僕にはこの村、あまり魅力的には見えないんだけれど、君ならいい所もたくさん知ってるよね?」
「はぁ……」
「ちょっとそこひとつ寄ってくれない? 彼女が座れるように」
――などと、無礼にも夕餉の席を勝手に変え、リネリカを隣に座らせた。
父やリネリカの父親はヤマダの行動に眉を顰めていたが、何も言えないでいた。
「あ、君はそんなとこ突っ立ってないで戻っていいよ」
ヤマダは俺にそう告げると、リネリカと話を始めた。
俺は父に無言で訴えかけたが、父は首を横に振るだけだった。
そのまま席に戻るのが癪だった俺は、リネリカの後ろでずっと立っていた。
リネリカも相手が勇者だからか会話を断り切れず、そのまま話し続けていた。
ヤマダは父からの会話もほとんど相手にせず、リネリカと喋り続けていた。
いつしか、リネリカは会話の合間に小さな笑い声を交えるようにさえなった。
俺はそんなリネリカに少しの苛立ちを覚えた。
◇◇◇◇◇
翌朝、勇者一行は次の村に旅立つ予定だったのだが、何故か勇者ヤマダは未だに村に居た。ヤマダの供たちも困った様子だった。
ヤマダは朝からリネリカを呼びつけ、村を案内させていた。
俺は彼女の傍に居てやりたかったが、父から子供たちの面倒を見させられ、その暇が無かった。何より、ヤマダの護衛たちが俺を近寄らせなかった。
「俺はリネリカの婚約者だぞ」
そう言うも、護衛たちはまるで不審だと言うかのように俺を追い払った。
さすがに父に抗議したが、受け入れられることはなかった。
そんな状況を甘んじて受け入れるリネリカにも苛ついた。
◇◇◇◇◇
午後になっても勇者一行は旅立つ様子もない。やがて日が傾いてくると再び食事を用意する必要がでてきた。聖国は見返りを十分保証してくれるとは言え、この小領地にとっては手痛い出費だった。
その日の夕餉では最初からヤマダの隣にリネリカの席が用意された。
父にどういうことかと問い詰めたが、勇者の要望だから我慢しろと。
夕餉の席で、俺はヤマダがリネリカのことをリネと呼ぶのを目撃してしまった。
俺は杯を床に叩きつけ、無礼とは知りながらも席を立った。
「レム……どうしたの、あんなことして」
振り返ると俺を追ってきてくれたリネリカが居た。
ほっと安堵するも、先程までの彼女の様子を思い出し、顔をしかめる。
「リネ、あれはいったいどういうことだ。何故君がそこまでヤマダの相手をしないといけない」
「領地のためよ。仕方ないじゃない。それよりも無礼を謝りに行きましょう」
「あいつはちょっとおかしい。リネに下心がある」
「勇者様はそんな人じゃないわ。ちゃんと村のことも聖国のことも考えてくださってる」
「それでは何故リネリカではなくリネと呼んでるんだ」
「それは……」
「呼ぶのを許したのか?」
「…………」
リネリカの態度が気に入らなかった俺は、返事も待たずに宴の席に引き返した。
みんなが注目する中、ヤマダの前に立つ。
リネリカも横に並んだ。
「ほら」
そうリネリカが促した。謝れと言うことだろう。だが――。
「俺の婚約者に懸想して手を出すな! 無礼だぞ!」
そう叫んだ俺にリネリカが両腕を掴み、自分の方へ向けようとした。
「レム! 何を言ってるの! 勇者様に謝って!」
ヤマダも席を立ち、俺に相対してくる。
奴の背は俺よりも頭半分くらい高い。ただ、その割には子供っぽい。
「君はアレかな。立場をわきまえない――ってやつ? 僕は勇者だよ?」
「勇者だろうが誓い合った婚約者の間に割り込む権利はないはずだ!」
「誓い? 誓いなんてどれだけの価値があるんだ。馬鹿馬鹿しい」
ゴト――と椅子の動く音がする。視界の外に居る父もさすがに立ち上がったのだろう。
「――誓いなんてものは僕の居た世界じゃ大して意味は無いんだよ」
ヤマダは俺の腕を掴んでいたリネリカの腕を取って引き離した。
俺は奴が掴みかかってくるのかと思ってリネリカの反対の腕も振りほどいた。
「はぁっ、ああん……」
その場にそぐわない艶めかしい声をあげたのはリネリカだった。
リネリカは床にへたり込み、片腕だけをヤマダに取られて支えられてるような状態だった。
「リネ? どうした――」
「ああリネ、君とは相性がバツグンなんだね。こうやって触れただけで欲情してしまうなんて」
「何を言っている」
「リネ、言ってやりな。どんな気分だい?」
「……は、い……勇者様に……愛して欲しい……」
突然のことでリネリカが何を言っているのかわからなかった。
頭がふらつく。意味が分からない。
「僕の女になるかい?」
「……お……んな?」
「妾ってことだよ」
「……は……い」
「じゃあこの男はどうするの?」
「レムは婚約者で私の愛する――」
「違う違う。そうじゃないだろ。婚約はもうナシだ。この男も大嫌い」
「……はい、婚約はなしです。レムも大嫌い……」
俺は目の前が真っ暗になった。
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