第3話 俺はリネが好き

「うう……ううう……」


 食事のあと、リネリカが唸っていた。


「なんだよ。……ここ、山の奥だから叫んでも勇者は来ないぞ」


「……別に……なんでも」


 やがてリネリカは落ち着きなく足をもじもじとさせ始めた。


「あっ、すまん……」


 俺は慌てて彼女の腰に別のロープを結わえる。


「ちょ……と! あんまりぎゅってしないで!」


「わかったわかった。けど、手と足のロープを外しても絶対逃げるなよ。逃げるようなら次はここでしてもらうからな」


「わかったから早くしてよ!」



 彼女の腰に結わえたロープを持ったまま、祠の外の少し離れた茂みまで連れて行く。


「嫌い! 嫌い! 大嫌い!」


 茂みまで行ってもロープを手放さなかった俺はリネリカに罵倒される。


「逃げるかもしれないだろ!」


 仕方が無いので両手で耳を塞いでいた……。



 ◇◇◇◇◇



 祠に戻ると再びリネリカをロープで縛る。


「お願い、助けて。勇者様のところへ行かせて」


 彼女は縋るように頼んできたが、奴のところへは絶対に行かせられない。


「ダメだ」


「せめてロープは解いて。お願い。麓への道なんてわからないから」


 彼女を縛り付けるのも辛い。一日中こんな場所に縛り付けて、俺は食料の調達に行かなければならない。心苦しい。


「ダメだ。リネは賢い。辿り着いてしまう」


 リネリカはその後も――勇者様、勇者様――と呼び続けた。

 彼女の変わり様に、もういっそこのまま手放してしまいたくなる。



 ◇◇◇◇◇



 夜、暗くなってくるとリネリカはまた呻き始めた。

 ただ、昼間のアレとは様子が違い、泣いているようにも聞こえた。


 月明かりが僅かに差し込むなか、夜目を利かせて彼女を見ると、横になったままその身を悶えさせていた。これも魔法によるものなのだろうか。衝動はあるもののどうしていいか分からずにいる。体をくねらせ何かを求めているものの、何を求めているのかがわかっていない。


 彼女を助けてやることはできる。だが、リネリカが想うのは俺ではなくあの勇者だ。勇者を想って快楽を覚え、それが毎晩のように続いたら……俺が耐えられるかわからない。


 いっそのこと彼女を襲う手も考えたが、行為の最中に勇者への想いを叫ばれたらと考えるだけで恐ろしかった。



 ◇◇◇◇◇



 翌日、俺は麓の様子を伺いに出た。

 見通しのいい場所を探して高所まで登ると、リネリカとよく遊んでいた大木のある開けた丘が見えた。丘にはぽつぽつと人の姿があった。勇者一行の着ていたタバードは見当たらない。そして山狩りをするほどの人数では無い。ただ、俺たちを探しているのは間違いないだろう。



 ◇◇◇◇◇



「やっぱり塩は欲しい」


 さらに二日が経った。相変わらずリネリカに蛇だの魚だのの料理を振舞っていた。勇者様大好き――と――あなた大嫌い――は相変わらずだったが、文句を言いながらも食事はとってくれていた。


「何とかする」


 一度、麓へ降りることを考えた。勇者一行の様子も気になったが、食料と塩、それから着替えが欲しい。昨日、リネリカに頼まれて――というより罵倒されながら懇願されたわけだが、下着を一度洗ってやったことがあった。清潔好きの彼女からすれば地獄のような生活だろう。



 俺は子供のころの自分では探索できなかった周辺を調べ、近くに湧き水と湿地を見つけた。山間の湿地はガスだまりができやすいと父に教わっていたためしばらく様子を伺っていたが、リーパーも棲息しているようなので狩りに来ていた。


 リーパーってのはでっかいカエルみたいなやつで、デカいやつだと人間を丸呑みする。まあ、そんなデカいのが棲みついている様子はなかったため、リーパーの幼生を一匹、仕留めてきた。


 祠に戻ると、中から話し声が聞こえた。


「――ですか? 私、攫われたんですよ。ロープを解いてください!」


「そうはいきません。レームリヒト様のご意志ならばなおさらです」


 リネリカともう一人、聞き覚えのある男性の声だった。


「誰だ? ヨアスか?」


「ええ、そうでございます。レームリヒト様」


 ヨアスはリネリカの父の助手をしている。研究のために山歩きなどを趣味にしている男で、もし見つかるなら彼だろうとは考えていた。


「すまない。リネを攫ってしまった」


「いえ、レームリヒト様の判断は間違ってなどおりません。実は行商人から仕入れた話なのですが、隣の領地でも婚約者のある娘がひとり、勇者一行に連れていかれております。同じく、突然の心変わりと共に」


 ヨアスは真剣な表情でそう言った。

 あの勇者は内地の視察といいつつ、女漁りをしているだけではないのだろうか。


「やはりか……これは魔法なのか?」


「それが……それを調べられる魔術師は近隣の村には居りませんし、勇者一行を調べるとなると……」


「そうだな……。麓は今どうなってる?」


「リネリカ様を捜索しております。勇者の同行人が一人残っておりまして、金は出すから捜索して見つけ出せと」


「それならここが見つかるのも時間の問題か……」


「まさか! 閣下マイロードのご判断でこの周辺は捜索範囲から外されております。レームリヒト様が逃げるならここだろうと」


 なんてこった。父にはお見通しだった。俺に釘を刺したくせに。


「父上にはバレていたのか」


「そのようですね。そういうわけで、同行人は手隙な者に日当を齎してくれております」


 父らしいと思った。転んでもただでは起きない。


「そうだヨアス、麓の者に悟られないようにここで生活するのに必要な物を寄越してはくれないだろうか」


「それに関しましてはご心配なく」


 ヨアスはバックパックを降ろすと、中の物を取り出す。


「さすがに準備がいい。助かるよ」


 ただ、ヨアスが引っ張り出したのは、とてもバッグには入り切るはずがないような長い木材。それも何本も引っ張り出す。


「なんだこれは」


「これは保有の鞄ホールディングバッグと申しまして今回、旦那様が特別に――」


「いやいや、そうではなく木材の方だよ」


「ああ、これはですね――」


 ヨアスはてきぱきと木材を組み上げていく。そして――。


「ベッドでございます」


「いや、最初に持ち込むのがベッドかよ」


 さらにバッグからはキルト地のマットやシーツなどが引っ張り出される。


「保有の鞄には容量と言うものがございまして、今回はベッドのみとなります」


「はぁ……湿気るよこれ」


「旦那様が申しますにはこれは長丁場になる可能性があるとのこと。勇者の残した同行人もとてもとは思えないとのことです」


「見つかるまで居座るつもりか?」


「おそらくは……。あの勇者、レームリヒト様を相当恨んでおりました故」


 俺はとりあえず、すぐに必要になりそうなものをヨアスに頼む。

 ヨアスはルートを迂回して麓に降りると言った。


「ちょっと、私は戻れないの?」


「ええ、先ほど申しました通り、リネリカ様は魔法に囚われております。決してここを離れてはいけません」


「私は勇者様の元へ行きたいのです! お願いです、連れて行ってください!」


「なりません。これは貴女様のためです」



 ◇◇◇◇◇



 翌日、ヨアスは塩を持ってきてくれた。これでずいぶん助かる。

 それから向こうで無くなったのが目立たない程度に着替えを。石鹸や身の回りの必要な物も。


 手枷と鎖付きの足枷も持ってきてくれた。

 よくこんなものがあるなと話すと――閣下のお屋敷の地下牢にたくさんございますよ――とのこと。ついでにベッドの傍の地面の岩に鎖を取り付けるピトンを打ち込んで行ってくれた。


 リネリカはぞっとした顔をしていた。父親とヨアスは彼女を大事にしたいのかしたくないのかよくわからない――そんなところだろう。


 これで夜、彼女が身悶えしても縄で皮膚が擦り切れたりしなくなるし、岩へぶつけて痣になるようなこともなくなった。



 ◇◇◇◇◇



 七日が過ぎた。リネリカは相変わらず同じ言葉を繰り返していたが、やはり彼女の心がこもった言葉には聞こえない。夜のアレも身悶えするばかりで変わりなかった。


「それで、奴はリネのどんなところが好きって?」


 俺の料理をおいしそうに食べる彼女に聞いた。


「はむはむ……んっ……美しいって」


「美しいって言われただけ? それなら村のみんなも言ってるなあ」


「そ、その、胸も大きいって」


「胸が大きいから好きってただのエロガキだなあ」


「お、お尻も……」


「同じ同じ」


「…………」


「結局、その勇者様ってリネのことは何も見てないんだよ。わかる? そんなのに口説かれたの」


「私は大好き」


「でも、向こうは大して好きじゃないみたいだよ。見てくれだけの女だって」


「そんなこと……」


「ないって? それは望み薄だ」


「何よ。あなたなんか嫌い」


「俺はリネが好き。料理が上手なのも好きだけど、それよりも俺と味の好みが似ているのが好き。触れてくるリネの指が好き、細い指だから剣術も体術もあまり本格的にやって欲しくなかった。目が好き。眉とひと組で凛々しいのが好き。麦の穂のような編み上げた金髪が好き。これは小さいころからずっと」


「やめてよ、あなたなんか大嫌い!」


「優しい所が好き。ただ優しいだけじゃなくて人の事を悪く言えないのが好き。俺をどれだけ嫌っても、優しいから罵れないんだよな。魔法に掛けられても口汚く罵れないんだ」


「魔法じゃない! 心の底から嫌いなの!」


「リネの匂いが好き。抱きしめたときの柔らかさが好き。痺れるような口づけも好き」


 黙り込んでしまった彼女は料理を前に止まってしまった。

 かなり堪えたようだけれど食事の邪魔だったか――そう思って俺はこの場を離れた。


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