第3話:悲しさを知る権利と、愚かさを知る義務

 なんなんだろう、一体。


 さっき下駄箱を見たら手紙が入っていて、指定された場所に向かっているんだけど。


 あの筆跡、絶対弘毅のだよね…


 今までにもこんな感じで呼び出されて、告白されたことはある。


 でも、相手が弘毅なら、それはあり得ないと思った。


 だってアイツ、妙に達観してるとこあるし。



 校舎裏に着くと、そこには予想通りの顔が。


 でもその顔がいつもとどこか違う気がした。多分、15年以上一緒に過ごしてきて、一度も見たことない顔。


 なんだろう、まるで、ギャンブルをする勝負師のようで…あ。


 思い出した。そういえば──



 あれは、中2の夏。


 久しぶりに一緒に帰った時の事。


『ねえ、実は…私、さっき告白されたの』

『へえ。…それがどうした?いつものことじゃん』

『そうだけど…いいのかなって思って』

『何が?』

『いつも断る度にみんな悲しそうな顔をしていて…』

『それでかわいそうだと?お優しいことで』

『で、でも…』

『ったく。…いいこと教えてやるよ』

『え?』


 そこからアイツが言ったことは、よく覚えている。


『いいか。告白ってのはな…ギャンブルなんだよ』

『ギャンブル?』

『そ。一定の確率で勝ちを得て、一定の確率で負ける。まさにギャンブルじゃねぇか』

『た、確かに。…それで?』

『考えてみろよ。絶対に勝てるって信じ切ってる勝負師がいるか?いねぇだろ。

それと同じさ。絶対に成功すると思って告白する奴なんかいねぇ。みんな失敗するとも思ってんだよ。みんな仕方ないとどっかで思ってるわけ。だから、お前がそんなに気負う必要ねえよ』

『そう、なのかな』

『そうだよ。それに、失敗するのはソイツの努力不足だろ。自業自得じゃん』


 それを聞いて少し気が楽になったのを覚えている。


「なあ、沙織」


 声をかけられて顔を上げた。そこにはやはり、いつもと違う顔が。


 やっぱりそうなのかな。


 でも、あのとき言ったじゃん。


 私が何度目かも分からない告白を受けた時、


『お前、それ何回目だよ?』

『えっ…30回目くらい?』

『アホじゃねぇのか、そいつら。学習能力ないのかよ』

『そこまで言わなくても…』

『いやだってアホじゃん。後先考えずに先走ってんだから。明確な目的があるわけでもないくせにな』

『じゃあ弘毅なら、何か目的があってする訳?』

『当たり前だろ。まあ、俺だったら…』


 あれ、何でだろう。


 この先が全く思い出せない。


「俺は、お前が」


 ダメ。待って。私が思い出すまで待って。


 何故か、そうしないといけない気がする。


 思い出す前に、その言葉を聞いてはいけない気がする。


 喉元まで出てきている。もう、少し——


「——好きだ」


 …………………………。


 間に合わなかった、か。まあ、覚えていないんだから、大したことでもないでしょ。


 なんて返事しようかな。


 私は、弘毅のこと、どう思ってるんだろう。


 好きかどうかは、自分でもよくわからない。でも、ずっと一緒にいたいとは思っている。


「ええと」


 でも、私はOKしようとは思わない。たとえ、それが相手を悲しませることに繋がるとしても。少なくとも、弘毅とだけは嫌だって思う。


 だって、弘毅が言ってたから。


『付き合うってことはさ、友達よりも、疎遠になる確率が高いんだよ』

『そうなの?』

『ああ。だって、相手のことをこれまで以上に理解してしまうんだろ?相手の見えなかった嫌な部分をみえてしまうんだからな。そこからずっと一緒に楽しくいられるってのはよほど相性が良くないと無理だろ』

『確かに』


 …自分で言うのもあれだけど、弘毅の言葉に流されすぎだと思うのは、私だけではないよね?


 うん。私は悪くない。いいことばっかり言う弘毅が悪い。


 って、そんなこと考えてる場合じゃなかった。



 あの言葉は、紛れもなく弘毅自身が言ったもの。


 それでも告白するってことは、忘れてる?それとも——


 でも、私は嫌だ。離れたくない。これは決して恋なんかに負ける想いじゃない。


 誰にも、弘毅自身にも譲る気は、ない。


 だから、私は——



「その、ごめんなさい」



 たとえ、あなたが悲しむとしても、私は譲れない。


 やっぱり、弘毅も悲しんじゃうのかな。もうあんな顔、見たくなかったのだけど。少なくとも、弘毅にだけは、してほしくなかったのだけど。


 罪悪感に襲われながら、恐る恐る顔を上げると、そこには予想外の顔が。



 なんと、いつもの無表情。さっきまでの顔でもなければ、悲しみに暮れた顔でもない。THEがつきそうなほどの無表情。


 その顔で、目の前の男は、こうぬかした。


「ま、そりゃそうだわな。わり、困らせちまって」


 さらに驚いた。まさかのここまで想定通り。え、もしかして、ほんとにギャンブルのつもりで…?


「え、予想していたのと違う!なんでそう平然としていられるのよ!?」


 私が驚きを隠せずにいると、弘毅はなんでもなさそうに言った。


「いやまあ、最初からわかってたし」


 おい!じゃあ、私が悩んでたのはなんだったのよ!?ちょっと腹が立ってきたんだけど。


 すると弘毅は、ふと空を見た。


 その顔は、それまでとは違った、久しぶりに見る達観した顔。カッコつけてるようにしか見えないけど。


 そんな顔で、弘毅は言った。


「俺なんかが釣り合う訳ないってな」


 その顔が、ちょっとずつ変化しているように見えた。いや、多分、実際はほぼ変わってないんだろうけど。


 でも、私は変わっているという確信があった。幼馴染だからこそ、ずっと一緒にいてきたからこその確信。


 そのことに、ちょっと喜ぶ自分がいる。


 だが、そんなことしてる場合じゃねぇと自分を嗜めるように発せられた弘毅の言葉に、はっと我に返った。


「ありがとよ、答えてくれて。じゃあな」


 その時、弘毅は笑った。


 胸が、とくんと鳴った。


 何年振りだろう。この笑顔を見たのは。それも、こんなに自然な。


 胸が、ちょっとずつうるさくなっていく。


 だけど、振り向き際に見せた顔は、明らかにそれとは違っていた。


 その顔は、無表情とも明らかに違った顔。


 まるで、何かに耐えてるような。


 それを考える暇もなく、弘毅は走り去ってしまった。…女子1人残すなや。


 何だろう、これ。何かさっきから心にモヤっとしたものがある。


 青空の下を疾走する弘毅を見て、心臓が再びうるさくなるとの同時に、何かストンと胸に落ちるのを感じた。


 ああ。そうか。ようやく思い出した。


 あの時のセリフの続きは——

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