十六万 にちゃ!
この街に来てから、一ヶ月。
ヴァルは、三日に一度ダンジョンに潜って角を集め、その他の日はスズカに稽古をつけるという日常が続いていた。
王女の余命は、あと二ヶ月といったところ。
しかし、ヴァルには製薬の手伝いなどはできない。
リサを信じて、材料を調達するだけだ。
だが、今日の予定は特にない。
材料調達は昨日したばかりだし、スズカも今日はダンジョンに潜っている。
なので、心置きなく惰眠を貪ろうと、宿で寝返りを打ち……チクチクとした感触に気付いた。
「んー?」
放っておくには大きすぎる違和感に、少し頭を覚醒させ、チクチクをベッドから追い出そうとし――チクッ。
手に鋭い痛みが走り、完全に意識が覚醒した。
チクチクは思ったより鋭いらしく、手から血が出ている。
上体を起こして、ヴァルの足に付いているものを見ると――それは、幼女だった。
「は!?」
五、六歳ほどの小さな幼女。
チクチクの正体は彼女の髪だったらしく、鉄色の髪には血がついている。
そして、何より……彼女は裸体だった。
「誰だお前!?」
「んー。パパ、起きた?」
「人間違いだよ! 誰だお前!?」
「誰って――」
ポン!
彼女から白い煙が出……その中から巨大ハリネズミが姿を現した。
「キル(ヘッグだよ)」
「ええええええええええええええええええええええ!」
ハリネズミの姿では人語が話せないのか、すぐに幼女の姿に戻る。
瞬間、部屋の扉が勢いよく開き……ナートが顔を覗かせた。
「ヴァル。叫び声が聞こえましたが――」
現状。
ベッドに寝転んでいるヴァルの足元で仁王立ちする、半裸の幼女。
犯罪の匂いしかしない。
「……(キィ)」
「おい無言で閉めるな! 誤解だ!」
「ママー」
ヴァルの叫びには全く反応しなかったナートだが、幼女ヘッグの『ママ』という呼び声に手が止まる。
もしかして、察してくれたの――
「……そんな趣味が」
「余計に誤解が深まったあああ!」
「キルだよ」
また白い煙が出現し、ヘッグはハリネズミモードになった。
さすがにナートも全てを察したらしく……改めて扉を閉めた。
「見なかったことにするな!」
◇
何故ヘッグが急に人の姿になったのか。
リサなら何か分かるのではと、一行は彼女の研究室を訪れた。
「大変だ! ヘッグが人に!」
「上手くいったかい?」
「うん!」
……話が噛み合わない。
彼女の口ぶりは、まるで――
「知ってたのか?」
「そりゃあ、ヘッグに『擬人化の薬』を与えたのは私だからね」
「……何て物を作っているのですか」
ヘッグの様に、魔物は擬人化することがある。
人間が魔物に勝っているものとはは何か。
称号、スキルなど様々だが、一番は知能だ。人間は、基本的に魔物よりもずっと頭が良く、それが最大の武器である。
なので、擬人化して人並みの思考力を得、人語を操るようになった魔物は、大きな脅威となる。
擬人化は難しいらしく、魔王や四天王などの極一部しか使えないのが救いだったっが、リサはその法則を破ってしまった。
もし、魔王軍に擬人化の薬が流れたとすると――考えたくもない。
「お前、今すぐ死刑にされてもおかしくないからな?」
「そう言うなよ。私もヘッグ以外に使うつもりは無いし、既にレシピは【狂研究者】の力で頭の中からも消した。もう私ですら作り方は分からないさ。それに、」
喋りながら、リサは壁に立てかけてある刀を持ってきて、ヘッグに渡した。
作りは立派なものだが、軽いし、柔らかい。
どうやら、ただの粘土らしい。
「これを、鉄で作ってみておくれ」
「はーい」
ヘッグは刀をよく観察し、そっくりなものを鉄で作り出した。
思考力が人間のものになったからだろうか。
以前シズカに渡した刀はガタガタのナマクラだったのに、今回のものは切れ味、曲線、剣先まで見事なものだった。
「どう?」
「良い出来だ。この金属加工能力があれば、発明の幅がとても広がる」
ヘッグは胸を張り、リサは楽しそうな笑みを浮かべる。
その時、リサの背後にあるガラス容器の液体が、コポコポと泡を出す反応を示した。
「おっと、反応があったようだ。話はまた後にしてくれ」
「えー」
「行くぞ、ヘッグ」
『まだ遊びたい』とヘッグはリサにしがみ付いたが、ヴァルは無理やり引き剥がして、研究室から出て行く。
その間も、彼女は本物の幼児のように暴れていた。
「リサと鉄遊びしたい!」
「まずはその服をどうにかしようか」
「パパも付いて来てくれる?」
「付いていくのは良いけどパパは止めない? この歳でパパは嫌なんだけど」
確かに養父という意味ではパパだが、十八で見た目五歳のパパは不味い。
本当に警備員に捕まりそうだ。
「じゃあ何て呼べばいいの?」
「……ヴァル?」
「ヤダー! 呼びにくい!」
「じゃあ……せめてアニキとか」
「にちゃ!」
「……もうそれでいいよ」
まだ少し犯罪臭がするけど、可愛いからセーフです。
「では私は――」
「ねちゃ!」
「……」
こうして、ヴァルとナートの間にヘッグを入れて、三人で街を回ることになった。
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