三万 ナート・エルシオン

 その時、部屋の扉が勢いよく開いた。

 入って来たのは、マーチェによく似た顔の少女。

 違うのは、その服装。

 重要な臓器だけを守る軽めの鎧を着こみ、長い灰色の髪を頭の後ろで束ねている。


「誰?」

「ナート・エルシオン。ウチの双子の妹や」


 装備からして、妹の方は戦闘系だろうか。

 足音無く姉のマーチェに近づき、憤った様子で机を叩く。


「戦力は私だけで十分でしょう! 大体、その男は信用できるのですか!?」

「商会は順調に規模を拡大しとる。ナートだけじゃ無理や。それに、勇者パーティの一員としての実績もある。人なりは問題ない。何より……ウチの商人としての勘がそうしろと言っとる」


 ナートの方を見ないまま、断言した。

 相手にもしない様子に、彼女の怒りはさらに増幅し……その矛先をヴァルに向けた。


「ならせめて、彼の実力を確かめさせて下さい」

「……ま、そんくらいならええか。ウチも戦ってるところを見ときたいしな」


 マーチェは席を立ち、来た時とは違う扉を開け……地下へと続く階段が姿を現した。


「付いてき」

「えぇ……」



 三人で階段を降りていく。

 音が響く地下で、背後に続くナートの足音が全く聞こえないことに疑問を抱きつつも、マーチェにこれからのことを質問した。


「実力を確かめるって、何するんだ?」

「模擬戦や。ちゃんと寸止めしてな」

「俺、220ランしか持ってないんだけど」

「少ないなぁ。ほれ」


 階段を降りながら、マーチェは三枚の金貨、三万ランをヴァルに投げた。

 ついでに『重いから』という理由でカリバーンも譲渡される。


「これでナートに勝てたら雇うわ。ナートもそれでええか?」

「勝てたら」


 三万。

 ナートの実力が分からないのは不安だが、それだけあれば大体のことには対応できるか。

 そんなことを考えながら、カリバーンを腰に差す。

 重い剣が無かったことで安定しなかったバランスが整った。



 そのまま階段を降りていくと、少し広い場所に出た。

 半球状の広場で、観戦席のようなものも用意されている。


 地下闘技場というやつだろうか。

 業界の闇を感じなくもないが、面倒になって考えるのを辞めた。


「ウチが合図する。ある程度距離を取って向かい合え」

「はい」

「負けませんから」


 二人は、一定の距離を取って、それぞれの武器を構える。

 ヴァルは鉄剣で、ナートはナイフだった。

 身軽な防具からしても【暗殺者】系列だろうか。


「金の方は使わないのですか?」

「金の剣なんて、普段使いするものじゃ無いよ。耐久力が無さすぎて、すぐ使い物にならなくなる」


 貰ったばかりの頃、一瞬で刃こぼれしまくって、整備にもの凄く金が掛かった。

 あれから、二度と普段使いはしないと決めた。

 二刀流でもないのに、ヴァルが剣を二本持つ理由でもある。


「ええか?始めるぞ……ちゃんと寸止めせえよ?」

「分かってる」

「当然です」

「じゃ、開始」


ダッ


 始まった瞬間、ナートは走り出した。

 安易にヴァルの方には向かって来ず、壁も天井も足場にして縦横無尽に駆け回る。

 対して、ヴァルは一歩も動かず、ナートの出方を伺う。


「やっぱ速いな」

「その割には、ちゃんとついていけてるみたいですけど」


 足音が無いのも相まって、常人なら見失ってしまうところだが、ヴァルは目で追い続けていた。

 勇者パーティに参加していたこともあり、これくらいの速さなら、まだなんとかなる。


チキ


 金属が擦れ合う音がし……彼女の左手に小さな弓が仕込まれていることに気付く。

 クロスボウの様にしてそれを使い、次の瞬間には、ヴァルに向かって二本の針のような物が飛ばされた。

 対した威力にはならないだろうが、片方は躱し、もう片方は剣で叩き落す。


「〈透過〉」


 しかし、その間にナートの姿は見えなくなっていた。

 少し戸惑ったが、透明化は【暗殺者】なら基本スキルの一つだ。


 目を閉じて、視覚ではない感覚で感じる。

 足音は無いが、空気を押しのけて風を切る痕跡は残る。


「ここ!」


ギン!


 一瞬で振り返り、背後から首に振るわれるナイフを剣で止めた。

 本当に止める気があったのか分からないくらいの音が鳴る。

 しかし、それで終わりではない。


 いつの間にか左手にも握られていたナイフが、今度こそ首に迫る。

 剣は右手のナイフに止められていて、何より相手の方が速い。


「〈金消費〉一万」


 一万を対価に素早さを中心に強化して、全体的に身体能力を引き上げる。

 左手に力を込めてナイフを弾き飛ばし、同時にナートの左腕を握ってナイフを止める。

 同時に、超近接戦では使いにくい剣を捨て、空いてる左手で鳩尾を殴――


「〈スピリット〉」


スッ


 入ったハズの殴打、握っていた左腕。ナートの全身が、ヴァルの体をすり抜けた。

 そのまま走り抜けて、距離を取られる。


「……何だ今の」

「ナートの称号は固有称号【亡霊】や。霊っぽいことなら大体できるぞ」

「姉さん!」

「ええやん、ナートはヴァルの称号を知っとるんやし」


 固有称号。


 【称号】は、基本的に同じものしか出ない。

 【戦士】【農民】【魔導士】【医者】【織者】など、99%の人は変わり映えの無いごく一般的な称号になる。

 そして、残りの1%は所持者が本人しか居ない固有称号が与えられるのだ。

 ヴァルの【費消士】もその類のものだが、1%ならそこまで珍しくもなく、固有称号にも有用なものから不要なものまでピンキリで、それだけで特別扱いされたりはしない。

 だが、何ができるか読みにくいという利点はある。



 ナートはまたフィールド中を駆け回っている。

 かなりオールラウンダーに近いヴァルが一番苦手なのは、長期戦だ。

 既に所持金の三分の一は消費してしまった。

 また接近されてしまうと、どうしても一万は必要になる。残りの一万では、詰め切れないだろう。

 二万残っている、今が勝負だ。


 そう考え……カリバーンを抜剣した。

 使わないと言っていた剣が姿を現わし、ナートに緊張が走る。

 そのまま、カリバーンを振りかぶり、


「避けろよ。〈飛閃ひせん〉」


 一万を消費して、金色の弧型斬撃を放った。

 剣士系称号でなければ、まともに飛びもしないスキルを、金を消費して無理やり使う。


「ッ――〈霊〉」


 そのまま走っては躱し切れないと、ナートは霊体化して斬撃をすり抜けた。

 しかし、数十秒は再使用できない。


 最大の防御スキルを、使わせた。

 再使用できるようになる前に、押し切る。


「〈金費消〉一万」


 最後の金貨を使って、素早さをギリギリまで引き上げ――瞬。

 刹那の間に肉薄し、虚を突くようにナートの腕を掴んで回し上げ、首にカリバーンを突きつけた。



「勝負あり。勝者、ヴァル・アスター」

「ま、まだ」

「〈霊〉もまだ使えんやろ。負けを認めい」

「くっ……」


 目を伏せたナートを解放し、カリバーンを鞘に納める。


「というか、その戦術スタイルだと巨大モンスターを相手するのは難しいだろ。瞬間火力を出しやすい俺は相性良いと思うけど」

「……」

「ナートも承諾したみたいやし、改めて。ウチに雇われる気はあるか?」

「ああ」

「じゃあ、これにサインし」


 渡された契約書の内容を確認する。

 ザックリ要約すると、


・月給百万

・契約料としてカリバーンを譲渡する

・マーチェ・エルシオンの指示に従う

・最低三年はこの契約に従うものとする。

・その他、特別報酬、休日などの設定


「本当はもうちょい出してやりたいんやけどなぁ。カリバーンに免じて許しとくれ」

「いやいや百万って相当だからな?」


 事前の話と相違が無いことを確認し、契約書にサインと血判を記した。

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