透明に、散る

不二丸 茅乃

透明


『今までありがとうございました』

『これまで頑張って書き続けて来たけれど反応も無いし、これ以上はやってたって虚しいだけだなって思いました』

『今回の投稿を最後に、書くの止めます』


 ――そんなしみったれたお気持ち表明を最後に、相互フォロワーさんが筆を折った。




「……」


 私は愛用して三年になるラップトップパソコンの前で、長いお気持ち表明を読んでいた。わざわざSNSにまでURLを乗せるものだから、とりあえず読むしかない。

 そして既読感覚でハートを付けておく。相互だったとはいえ、どっちからも特別な交流などしない乾燥した関係だ。そしてコメントを短く残した。『もう読めなくなるんですね、主人公とその婚約者が好きでした』と。

 その相互さんの話も、読むには読んでいた。ストーリーもおおまかだが話せるくらいには。だから一閲覧者として、最後にコメントを残すくらいはするべきだろう。

 筆は折るらしいが日常の投稿は続けるつもりらしく、直後に大きなパフェの画像が投稿された。


『嫌な事があったら食べるに限る! これ終わったら飲みに行くぞー!』


 ……なかなか逞しい根性をしている。これで反応が貰えないという理由で筆を折るなんて思えない。

 食べて、飲んで。それで忘れられるくらいの趣味だったのだ。いつか近いうちに、私も忘れるだろう。

 別に、私が読んでいたのはその相互さんの作品だけではない。数人、私の推しとも言うべき作家さんはいる。

 今日だって作品が上がっていた。三分前、私が相互さんにコメントを送っていた時には投稿されていた。さっき新しい話が投稿されていたのは、推しの中でも一番好きな作品を書く人のもの。

 三十万文字を突破した長編。流行を取り込みながらも王道を行く現代ファンタジー。文字数は一回の更新で二千字ちょっと、けれど何かしらドキドキさせる展開が毎話ある。

 お気に入りユーザーに入れているその人はSNSのURLを載せていないので、そういうものをやっていない人かも知れない。作家さんの日常を追いたいとは思っていないが、創作のこぼれ話があるなら幾らでも拾いたい。そう思える作品だった。

 画面をスクロールして、読み進める。そうして読み終わった時、大きな溜息が出るのもまた日常。


「えええ……、やだ……。ここであいつが出てくるの……? 随分前に死んだじゃん……?」


 今回は、以前死んだはずの味方が出てくる話になっていた。しかしまた味方になってくれるかは、もうすぐ完結しそうな話の流れで微妙な所だ。

 今日のこの話に至るまで、伏線などがあったか遡って読んでいくのも楽しみのひとつ。パソコンを開いて夜な夜な繰り返す密かな趣味。静かな夜の、静かにしなければいけない夜の、たったひとつの癒し。

 そして今日の更新を一通りチェックした後、私も眠りについた。


 ラップトップを開くのは夜だけと決められている。

 一日の用事を全て済ませて、あとは夜寝るだけの、静かな静かな夜の時間。一人きりの夜にだけ、私の自由が許されている。

 毎日毎日、同じ事の繰り返し。

 一昨日も。

 昨日も。

 今日も。

 明日も。

 明後日も。

 静かにさえしていれば、それなりに自由は利く。個室で過ごす時間は、最後に許された希望だった。

 電源を入れながら、画面よりも上、指紋がついても問題ない部分をそっと撫でる。三年間付き添ってくれた相棒だった。

 この生活が毎日続くと思っていた。


 いつものように行きつけのサイトにアクセスし、マイページを開く。

 いつも見慣れたページが表示されるが、一目で何かしらの違和感を覚える。


「……ん?」


 何かが、足りないような気がする。

 表示されるページはいつものURLだが、数字が足りない気がする。昨日まで見なかった筈の文字列が、何故か画面端に増えている。


 違う。

 増えたんじゃない。

 減ったんだ。


 フォローに入れていた人数が減っているのに気付いた瞬間、即座に一覧リンクを押した。

 作品を全部見ている人しか入れていないそこに、一番好きだった作家さんの名前が消えている。


「なん、で」


 その作家さんの名前は何も見ずとも言える。手で書けるし検索窓に打ち込む事も出来る。

 どうして消えたのか。

 どうして消したのか。

 知りたくてSNSで情報を収集しようとした。でも、話題にしている人は誰もいない。

 あんな作品を書く人なのに、誰も気にしていないなんて有り得ない。

 どうにかして調べたくて、今度は作品名を入れる。


 ――検索結果が出た。


『本当に消しちゃうんですね……。ずっと読んでて話もしてただけに、ちょっと寂しいです。いつか本にしてくれるって信じてますからね! そしてうちの本棚に並ぶ日が来ることも!』


 出たのは、そのたったひとつだけ。

 日付は二日前。

 メンション付きのその会話をクリックすれば、会話先の相手のプロフィールをも見る事が出来た。


『どこかで小説書いてました。今無職』


 作者さんだ。

 会話には続きがあった。


『仕方ないですよ、ずっと書いて来たけど潮時かなって思ってて。でもいつか同人誌かなんかにして送りたいですね! お中元とでもいっしょに!(笑)』

『お中元wwwどんだけ分厚いお中元になるんでしょうwwwww鈍器www』


 文章だけ見れば、元気そうだった。

 作者さんは作者さんで、SNSの中で楽しそうにおしゃべりしている。まるで何も無かったかのように。


『でも本当に残念です。これからまた良い所で、もうすぐ終わるっていうのに』

『それこそ本にした時のお楽しみですね。続き一応最後まで書いてましたし。感想くれたの、貴女だけでしたからねー』


 和やかでありながら、物悲しい会話だった。

 一瞬息を吸う事も忘れて、『感想』の文字に視線が固まる。

 ずっと書き続けていた人だった。定期的な更新にずっと追い付いて来た。これからもそれが続くと思っていた。

 いきなり消えた小説群と同じくらい、その言葉がショックだった。


『すーっとモチベ消えてったんですよ。毎日書いて、そこそこの頻度で更新して、幾らかアクセスあっても感想も評価もいいねも来ない。小説にフォロワーついても他の反応が無い。書くだけ書いて、見て貰うだけで、最初はそれでよかったんですけど……アクセスだけ増えるのに反応なくて、自信が削られていくのが嫌で。→』

『→自分ではそこそこ面白いの書いてるつもりだったから、無反応なの本当に辛かったですね。××さんがこっちでお話してくれなかったら、もっと早い段階で消してました。私生活もキツかったし。他の誰からも反応無かったから、自分があのサイトで透明になってたみたいで』

『面白かったですよ! 本当ですよ! 皆見る目が無かったんです!!』


 ……それからもぽつぽつと消した理由が会話に紛れていた。傷心の作家をファンがよしよししている構図にも見えたが、作家さんは作家さんなりの辛さを抱えていたようだ。それを覗き見してしまったのは自分の方。

 この作家さんだって、感想が無くて苦しんでいた。

 その状態を、透明と例えるくらいには。


「……」


 そこでやっと、私は自室に視線をやった。

 小さな四角の部屋、に、白いカーテンと窓。無機質なパイプベッドに配膳台。その上に置かれたラップトップ。

 着ているのは病院着。腕に通った管は二本。あまり腕を高く上げ過ぎると、点滴の管の中に血が逆流する。

 この病室で暮らし始めて一年になるか。その頃切り開かれた胸部と、病の完治が見込めず余命まで突き付けられた体。

 癌と宣告されて、余命あと半年。既に緩和ケアから終末期ケアに移行しようとしている。


「………」


 患部を切り開かれたはいいが、既に手の施しようがないと言われてただ塞がれて終わった。

 このまま何もしないまま、出来ないまま、自分の命の終わりをカレンダーを見る度に痛感し続けていた。

 昼は家族の見舞いが来るし、薬のせいで体も怠くて、まともに動けない。

 夜に病院の個室で見る、ラップトップの画面に宿る小説達だけが、自分を別の世界へ連れて行ってくれる。楽しみは、癒しは、救いは、そこにしか無かった。


「……あ」


 あの話の続きが見たかった。

 あの作者さんの作った物語の続きが見たかった。

 登場人物達の未来を追っていたかった。

 感想のひとつでも送っていたら違っただろうか。


「……感、想」


 送れば、見られるだろうか。

 指が、作者さんのアカウントにメッセージを送ろうとしている。どう書こう、どう切り出そう。自分の今の状況を打ち込むか。若くして癌で余命半年? 馬鹿みたいだ、それこそ小説の中みたいに悲惨な話。

 指がキーボードを叩くのを躊躇っている間に、自分宛の通知がひとつ来ているのが見えた。

 どうして、今、何で、誰が。

 そんな疑問は、送る文章を考える時間を稼ぐ時間稼ぎのために使われて潰された。

 自分のメッセージに返信が付いている。

 それは、あの筆を折った相互さん。社交辞令のような言葉に短い感想付けただけの言葉には。


『ありがとうございます。そう言って貰えてうれしいです。でも』


 ――息が、止まりそうになった。


『もっと早くに、聞きたかったなぁ。その言葉』


 そう、返信が書かれていた。

 今まで感想を送らなかった恨み言のようにも見える。筆を折った事に対する後悔のようにも思える。全部諦めた後に来る感想なんて、何の役にも立たない。

 もっと早く。

 感想を求めている作家なら、誰だって欲しいだろう言葉。自分の生み出した作品に対する何かしらのリアクション。

 自分は読むだけ読んで、受け取るだけ受け取って、心を動かされた対価に何も支払っていない。

 全部、其処に在るのが当たり前だとして消費していただけ。


「……」


 透明なのは、どちらだろう。


 何かを書いて世に出して、この心に希望を与えて一方的に絶望させたこの作者さんと。


 作品を読むだけ読んで感想もリアクションも何も起こさず、近いうちに来る命の終わりを待つだけの自分と。


 本当に透明なのはどちらか。

 私か。

 あの作者さんか。

 指はメッセージを送ることも止めて、やがてラップトップの電源を落とす。今日は眠れそうに無いが、寝ないと文字通り命の残りが更に短くなるだけだ。


「……感想書いて送ってたら、何か変わったかな」


 何か変わったかも知れない。

 何も変わらなかったかも知れない。

 けれど、もしかしたら、この命が尽きるより先に、あの物語を最後まで読むことが出来たかも知れない。


 全て消えてしまった後の後悔は、命が終わるまで続くだろう。

 あの小説ページに戻ろうとしても、もう、履歴からも飛べなくなってしまったあとでは。

 残された時間が少なくなった今でも、失う希望はあるのだなと思い知らされるだけだ。


 仄暗い毎日に残された、僅かに色付いていた希望が透明になっていく。

 もう、この目で見る事も叶わない。


 色を付けなかったのは、私の、指先。

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