第5話 ボス①

 店の奥には階段があった。隠れ家みたいで、ちょっと面白そうだったのは事実だ……。けれども、同時に不安も押し寄せている。この先に入っていったら、もう戻れなくなるのではないか? という不安だ。別にそんな不安は、最初の最初からあったではないかなどと言われればそれまでなのだろうけれども、しかし、こうも現実を目の当たりにすると不安でいっぱいになる。

 ほんとうに、この先に進んでしまって大丈夫なのか?

 入れば最後――ぼくはもう二度と日常生活を送れなくなるのではないか?


「……どうしたの」


 階段を数段降りたところで、サーティーンは踵を返す。

 きっとぼくがなかなか降りてこないのを、察したのだろう。

 或いは、悩んでいるぼくの心を読み取ったか。


「悩んでいるなら、諦めたら」

「……悩んでなんて」

「悩んでいるでしょう? それをどうして認めようとしないのかな。わたしに分からないものがあるとでも? だとすれば、落胆ものだね……。今まで散々心を読んでいたのを、あなたは理解していたはず。さりとて、もうこんなことは何度も繰り返すものではない――わたしはそう思っていたのに」


 勝手に落胆されても困る。

 勝手に持ち上げていたのは、そちらだろう。


「悩んでいることを否定をするつもりはないよ。人間は考える葦だ。悩んでいくこともまた、人間の摂理であると言えるだろう。……けれども、少しだけ時間をくれ。考える時間をくれないか」

「二つあります」

「?」


 いきなり何を言い出すんだ?


「一つの良いことと、一つの悪いこと。……それを聞いてから、あなたは判断したらどうですか? それからでも遅くはないでしょう。出来うる限り早く実行すべきではあるでしょうが」

「聞こうか」

「どちらから?」

「良いことから聞こう。ぼくは好きなものから先に食べるタイプでね」

「そこまでは聞いていませんが。……良いことは、ここから降りたとしても、あなたは元の日常に戻る術を喪った訳ではない、ということです」


 成る程、それは良いことだな。

 では、悪いことは?


「悪いことは……、時間を掛ければ掛ける程、それをしづらくなることです。決断は早ければ早いほうが良い――何処かの誰かも言っていましたよ。誰かは忘れましたけれど」


 とても説得力のない言葉だな、どうも有難う。

 それなら――それなら、前に進むしかないのだろうな。

 それから元に戻れるのであればそれで良い。保険は残しておくに超したことはないからな。


「心配性なのは分かりますけれど、自分自身を変えたいのならば退路はなるべく断っておくべきだとは思いますがね……。まあ、それは人それぞれだから、わたしが言う筋合いもないのだけれどさ」


 サーティーンは言う。

 良く分かっているじゃないか。人間というのは、そういう優柔不断な生き物なのだよ、もしかしたらサーティーンには分からないかもしれないけれど。


「わたしを馬鹿にしていますか? ……はあ、何というか、掴み所のない。ボスの機嫌を損ねないように努めて下さいよ。あなたがウロボロスで活動出来るかどうかは、ボスの一存で決まるのですから。そのためにも、ボスの評価が良くならなければなりません。……別に、賄賂やご機嫌取りを無理にする必要はないけれどね。日常の行動で、失礼な行動をしなければそれで良いのだから」


 それなら自信はあるよ、多分。


「何だよ、最後に変な言葉で含みを持たせて。……失敗したら面倒見切れないからね? もしかしたら、 ってこともあるのだし、少しは緊張感を持ってほしいものだけれど」


 分かった分かった。

 流石に見ず知らずの目上の人間に失礼な行動をする程、馬鹿じゃないよ。

 そこだけは安心してほしい。

 とにかく、階段を降りなければ話は進まなさそうだ――ここで延々と無駄話を続けたとて、意味はないだろう――ぼくはそう思って、サーティーンについていく決心をした。



 ◇◇◇



 少し降りると右に折れ、そして扉が出て来た。

 扉の脇にはカードリーダーが設置されており、誰もがそれを開けることが出来ないことを物語っている。

 サーティーンは慣れた手つきでポケットからカードを一枚取り出すと、それをリーダーに通す。

 ピンポーンという音――誇張なしにほんとうにそんな音が鳴ったのだ――と同時に、扉の鍵は開いた。

 サーティーンはノブを回し、扉を開ける。

 その先には、少し広い部屋があった。リビング……よりは広いかな。板張りとかでもなく、コンクリートの打ちっぱなしなので、未完成感が強い。けれども、使い古した感じは強く残っている。足跡や汚れが、それを物語っている。

 部屋の真ん中には大きな長机が置かれていて、様々な資料が乱雑に置かれている。ざっくり見た限りでは、その資料がどんな資料かを理解することは出来なかった。

 ノイズに関連する資料なのかもしれなかったが、それを説明してくれる人間は、居ない。だから憶測で物事を語ることしか出来ないのだ――非常に残念なことではあるけれど。


「ここが、会議室かな。作戦会議とかする場所だね……、普段はあんまり人は居ないんだけれどね」

「何故?」

「何故って……。そりゃあ、それぞれに部屋が用意されているからさ。わざわざここに集まって過ごす必要もないし。コミュニケーションを取ることはあるけれど、それはここよりも上の店でやることが多いし」


 上の――ああ、さっきのカウンターの店か。

 あそことの関係性は何なんだ? ただの協力関係ではなさそうだけれど……。


「あんまりわたしも詳しいことは知らないけれど、色々な関係を持ち合わせているのは間違いないね」

「知らないこともあるのか?」

「わたしだって新参の方だからね。組織そのものが小さいものだからといって、何でも分かるものでもないし」


 そういうものか。

 さてと、とサーティーンは言って、


「話が長くなってしまったけれど……、先ずはボスに挨拶をしてからだね。安心して! ボスはそんなに怖い人ではないから。ただまあ……、心を読み取って『面接』はするかもしれないけれどね」

「いきなり怖いことを言うんじゃねえよ……。それで落とされる懸念はないのか? その辺りは全く考慮しなくて良いのか?」

「そこについては問題ないよ。ただの人間だったらそう言うかもしれないけれど、きみはノイズを見ることが出来ている存在だ。その時点で、この組織には居ないと困る――きみにとってもここに所属しないと困る状態になっているのだし」

「それはそれでどうなんだかね?」


 そこまで言われても、ボスの判断自体で話が百八十度変わってしまう可能性だってゼロじゃないだろ。


「うーん、確かにそれはそうだし、百パーセント問題ないよって言い切れるかは微妙なところではあるけれど。でも、心配をする必要はないよ。初めての場所で色々と気にはなっているだろうし、アンテナも張っているのだろうけれど……、ボスと話せばきっと腑に落ちるはず。ノイズが何であって、わたし達はどういう立ち回りで……これからどうしていかなくてはならないかということ、そしてその選択肢を示してくれるよ、きっと」

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