幕間。
いつの間にか日も暮れて、まわりに暗闇ばかりある。
今夜に限って、空の月すら頼りなく、三日月よりもなお細い。こんなに深い森の中では、その光の一筋さえ届かない。
とても寒い。お腹もすいた。ああ、家に帰りたい。
いつものように囲炉裏の火にあたって、おばあさんの作ったご飯を食べたいです。
おじいさんの面白おかしい作り話を聴きながら、三人で笑いあって。
薄くて、ぼろい布団でいい。二人の間で、眠りたい。明日からちゃんと、おじいさんの芝刈りの手伝いもいたします。
だから、どうか。慈悲深い神さま、お願いです。わたくしを、桃太郎を人の姿に戻してください…。
どれだけ必死に祈っても、泣いて懇願しようとも、涙が泉を揺らすだけ。鬼となった者の声など、神さまは聞き届けてはくださらないようだ。
泉に落とす涙も、悲しみを叫ぶ獣の声も、もう枯れた。
どうしようもなく疲れてしまった。
鬼どもと戦った時の傷も、村の人たちから受けた傷も、全部消えて無くなったけれど、この心の臓に重たく広がる雲だけは、たとえ神の力でも晴らすことは出来ないだろう。
おじいさんに、おばあさん。二人にはとうとう言えなかったけど、わたくしは、いえ、このぼくは、本当は…。
鬼退治なんて行きたくなかった。
他の子どもたちのように、怖いと震えて泣きついて、大人たちに守ってもらう、そんな無力な存在でありたかった。
けれども、ぼくは桃から生まれて、そこら辺の大人よりも力があった。
ぼくがそんな生まれだから、腫れ物のように扱われ、村の人たちから二人が、無言のままに厳しい目で責められて、肩身のせまい思いをしていたことも、知っていたよ。
だから、鬼退治に行ったんだ。
悪い鬼を倒して、村の人たちに、ぼくを認めてもらう以外に、二人といっしょに、村で暮らす方法なんてなかったから。
ねえ、村の人たち。
鬼の姿をしたぼくを村から追いたてる力と闘志があるのなら、なぜ自分たちで鬼退治に行かなかったの。
いい大人がたくさんいて、立ち上がる闘志も武器もあるのなら、みんなで戦ってくれればよかったじゃないか。
人と違う生まれであれば、人より強い力があれば、あなた方が大切に、後ろに隠している子どもたちと違って、鬼を倒すことなど怖くもないと、思っていたの。
おじいさんが授けてくれた刀は、この背に合わず長くて、とても重かった。
使いこなせるようになるまで、手の豆がつぶれるほどに、刀を振るって、この身に扱いを覚えさせた。
おばあさんが作ってくれたきびだんごを見て、やさしさばかり頭によぎって、道中、何度も引き返したくなった。
たったひとりで心細くて、ずっと、ずっと逃げ出したかったなんて、そんな思い。考えたこともないのでしょう。
「日本一とは恐れ入る。立派な旗ばかり掲げて。鬼退治へ行くというのに、そのお供が動物だけとは」と、途中の村で、皮肉の言葉と冷たい笑いをたくさん浴びた。
悲しかった。悔しかった。辛かった。そして何より、苦しかった。
それでも、誰もいないよりはましだったよ。三匹が側にいてくれるだけで、心強かった。寒い夜も寄り添って眠れば温かかった。
ねえ。なぜ、犬、雉、猿の三匹が、鬼と人との戦いに、手を貸してくれたか、考えたことはあるの。
たとえ彼らが神の御使いだといって、きびだんごひとつで、鬼と戦おうなんて、無謀なことをすると思うかい。考えたこともないのでしょう。
彼らにも、親がいて、子どもがいた。それを守るために、神さまの前に進み出て、協力してくれたんだって。
それでも、怖いなと言っていた。
鬼との力の差は歴然で、きっと刺し違える覚悟で向かっても、勝てるどころか、生きて帰ることすら出来ないかもしれないですね、と。
けれども慈悲深き神さまが、「桃太郎に加勢して、村の敵の鬼と戦えば、その勝ち負けどうあれ、お前たちの一族をその後のどんな災いからも、守ってやろう」と、約束してくださったんだって。
だから、彼らはぼくといっしょに戦ってくれたんだよ。
彼らがいなければ、ぼくは今この世にはいないだろうな。
そもそものはじまりは、村の人たち。あなた方だったんだ。あなた方が、慈悲深き神さまに、祈りを捧げて、お供えをして。
「村の驚異を。鬼を消し去ってくれ」と、お願いしたばかりに。
ぼくや、彼らはこんなに苦しい運命を背負わされた。
なのにどうして、あなた方は、誰かに頼るばかりで、いっしょに戦おうとしてくれなかったんだ。
みんながいっしょに来てくれれば、あの三匹も戦いの中、死なずにすんだかもしれない。
今頃、家族のもとへと、帰れていたかもしれないのに。
それに、ぼくだって。一人こんな姿で、今ここに、いることなんてなかっただろう…。
枯れたはずの涙はしかし、心の内で再び流れる。それは、止むことのない雨のよう。
神に祈れど、人には戻れず。姿形が鬼に成ったといえども、桃太郎。所詮は人の子。まだ子ども。
心まで鬼には成りきれず。腹が減ったと、あの鬼ヶ島の鬼どものように、村を襲って生きようなどとは露ほどさえも思わない。
ただ、ただ、ひとり悲しみに沈むだけ。
深い森と深い闇。
この二つだけが、今や鬼と成り果てた、桃太郎の側にある。
さあ、ここから物語は終わりに向けて走り出す。
子ども心を捨てきれない、あわれな鬼の運命やいかに。
その眼を閉じずに、息を殺して、最後まで、とくとご覧あれ。
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