第五話、青年と守り人

 ゆかりは護衛のつむじと梢を連れて都市陽光の路地を進む。ゆかりの願いで調査官は同行していない。肌色の上衣で、膝丈より少し長い香色染スカート姿のゆかりは、お忍びのため、模様入りの薄花色の帽子でその柳染色の結んだ髪を隠している。つむじを先頭にして、ゆかりの後ろには梢が続く。

 「ゆかりちゃんは、この臭い大丈夫?」

 「大丈夫だよ。ううん。嘘。ちょっと臭い。でも、私、優河さんと話をしたいから。梢と、つむじは大丈夫?」

 「私たちは大丈夫。もっと大変なところもあるわよ。特に腐った死体は、ね」

 「えっ?」

 「梢。このお嬢ちゃんを脅かさんでくれ」

 「分かったわよ。つむじ。あぁー、私もきついなあ、この臭い。きついなあ」

 「今更遅いぞ。もうそろそろ路地を抜ける。別世界だ。言葉には気をつけるんだ」

 冗談めかして笑う二人は絶対に気を緩めない。

 「分かっているわ。私は世界の守り人だけどこの世界で一番弱いもの」

 前回とは違う道をつむじは通っているようだ。前回、ゆかりは世界の守り人という正体を明かしてしまった。この辺りの人々に顔も声も割れているため、彼女たちは人目を避ける。通りを一つ抜けた先だとつむじは言い、後ろを歩くゆかりを持ち上げて脇に挟んだ。そして静かに手早く通りを横切る。

 大男に脇に挟まれるがまま持ち運ばれるこの少女が、たった一人の世界の守り人だとは誰も思わないだろう。持ち運ばれるゆかりは帽子を押さえながらながら大男のつむじを見上げる。

 「あの、やっぱりこの格好の私、変では?」

 「楽なんだよ。守りやすい」

 「守りやすいというより、攻撃しやすいという気が……」

 そんなこんなあって、優河の家だという場所に着いた。その家は周りの家同様、廃材を組み合わせて作られている。灰色が主だが、赤や青の廃材も景観そっちのけで使われている。その家の前の小道は、家がひしめき合って人が二人、横に並ぶのがやっとだ。ドアはない。家の壁面にはあり合わせで作った表札がかけられていて、そこには「からくり技師、陽田ひでん」と書かれている。

 「ゆかりです。優河さんはいますか」

 戸がないので、ゆかりはなかの部屋を見ることのないよう壁を叩いた。返事はない。ゆかりは後ろで周囲に気を張る護衛のつむじを見た。

 「守り人のお嬢ちゃん、今日は彼がいる日と聞いている。退廃街の聖人の弟子だ。信用していい」

 「退廃街の聖人?」

 「あぁ。優河の師匠の陽田は何人もの貧しい子どもを一流のからくり技師にしている。人型のからくりは並大抵の実力では作れない。だからそれを作れる優河も見込まれた弟子だろう。安心していい」

 それを聞いたゆかりはもう一度壁を叩いた。しかし返事はない。ゆかりは部屋のなかへとひょっと顔を出した。

 「優河さん。いますか」

 優河は部屋のなかにいた。彼は工具とがらくたを幾つも周りに並べ、朱色の前髪をほとんど揺らさないほど無我夢中でがらくたの一つを解体している。隣にはつぎはぎだらけの猫のからくりがいて、優河の隣で礼儀正しく座っている。ゆかりは優河さん、と言いかけてやめた。しばらく隣で見ていようと彼女は思った。

 土間と部屋は段違いになっており、部屋が土間よりも一段高い。ゆかりは入口のそばの部屋に靴は脱がずに腰かけ、いつ気がつくんだろうなと思いながら優河を見る。つむじは入口から二人を、梢はおそらく外の様子を見て護衛の役目を果たしているのだろう。ゆかりは優河を見ているとだんだん自分の役目を忘れていった。

 優河の雀色の瞳の先にはがらくたしかなく、それを丁寧に分解する一つ一つの手の動きは迷いがありつつもたんたんと進んでいく。ゆかりは、優河の姿を見ているうちに頬がほころんでいった。夢が叶うといいねと気がつかないうちにゆかりは小声で優河に言っていた。自分の声に気づいたゆかりは、はっとする。優河の隣で猫のからくりが気だるそうに動き始め、優河の足をちょんと叩いてから歩き出す。

 「にゃん太郎、外は危ないから僕から離れるなよ」

 そう言いながらも優河は解体中のがらくたから目を離すことがない。にゃん太郎は、ゆかりの足元までやって来て、彼女を見上げる。ゆかりはにゃん太郎にそっと手を振った。さらに近寄ってきたにゃん太郎の頭をゆかりは撫でながら、ずっと優河を見ていた。

 ゆかりが本当に知りたいことは、優河がアクタのことをどう思っているのか、優河が夢をどうやって叶えていきたいのかだった。彼女は世界の守り人であったため、口先では歓迎の言葉を言いながらできる限りはやく帰ってもらおうとする人々を知っていた。だからこそゆかりはもう一度確認したかった。しかしそう言い出せないほど、優河は一心不乱だ。

 ゆかりはどうしてかずっとその姿を見ていられた。穏やかな時間が過ぎていく。そうしてどれくらいの時間が経ったのだろうか。

 「お、あなた方、何用で」

 老いた男性の声が聞こえてくる。入口の方を見ると、つむじがこちらを指していた。老人が入口から顔を出す。その老人は日に焼けており、白髪と髭は伸びていて、目は知性と穏やかさを感じさせた。

 「このお嬢さんはどちら様で?」

 老人は見知らぬ女の子が部屋にいることに戸惑っているようだった。ゆかりは帽子を取り、結んでいた髪をほどいた。彼女の柳染色の髪が鮮やかに首元へと広がる。ゆかりは世界の守り人として老人にゆっくりと一礼した。

 「あっ、あなたは。世界の守り人のゆかり様。これは、失礼。私は陽田ひでんと言う爺です。さては優坊に会いに……?」

 「……そうです。突然おじゃましてしまってごめんなさい」

 「いや。優坊。さてはからくりに夢中になって守り人とあろう方を無視していたな」

 「いえ、私はそんなに気にして……」

 ゆかりと陽田が話す間も、優河はからくりに夢中だ。陽田は優河の肩を叩き、優坊、優坊と言う。師匠、なんですかと優河が呑気に顔を上げる。陽田は世界の守り人と言って隣に座るゆかりに優河の目線を向けさせる。優河は隣にいるゆかりが一瞬誰か分からなかったようだが、気づいたのか、うぁと言って後ろに体をのけぞらせ、彼の両手がそれを支えた。

 「世界の守り人!」

 「さっきから優坊のずっとそばにいたそうだ」

 優河は慌てて道具やがらくたを片付け始める。なんとか後ろの壁へとそれらを追いやった優河は、これは夢かなと戸惑い始める。

 「優坊。これは夢じゃない」

 「師匠。えっ。なんで」

 「優河さん。以前、話をしたいって言ったでしょう。だから来てしまいました」

 「こんなところに?」

 「……えっと。私は本当は優河さんに話しかけようと思ったのですけれど、あんまり優河さんが夢中でつい、何も言えず。それでも優河さんがからくりが大好きなことは伝わってきました」

 そう言うゆかりは優河に少し前のめりになっていた。それほどに彼女は優河の夢中な姿で時間を忘れてしまった。そんなゆかりから優河は目をそらし、それからもう一度彼女を見る。

 「ありがとうございます。しかし僕が守り人様に気がつかなかったのは申し訳なかったです。何かお詫びをしたいです」

 優河は照れていた顔を真面目な表情にしてゆかりに言った。ゆかりは、何を言えばいいのか悩み始める。ゆかりには、優河の住んでいるところを見ると、物を欲しいというのは少しよくないように思えた。他に何があるかとゆかりは考え続ける。つむじが、人が集まってきた、潮時だ、とゆかりに言った。ゆかりは急いで答えを出さなければならなくなった。

 「……では、お茶会を私としませんか」

 「お茶会?」

 「優坊。たぶん、守り人さまは守輪宮にお招きしたいんだ」

 「ひぇっ。そんな場所に、僕が。釣り合わない」

 「……この願いは難しいですか?」

 ゆかりはあんまり浮かない返事を優河がするのでちょっと落ち込んでしまうけれども、それを隠して、分かりましたとほほえんだ。彼女は今までの個人的な出会いや交流といえば、ゆいかがいただけで、それ以外はなかった。それだけに、からくりの込み入った話ができそうな優河に断られて心の中のゆかりがしょげている。

 「優坊。機会は二度も訪れない」

 「……師匠。分かったよ。僕は礼節とかそういうお決まり事を知りません。それでもよければ、僕は守り人様とお茶会がしたいです」

 決意した優河はなお恥ずかしそうに立ち上がって右手を差し出す。その背は、彼女が思った以上に高く、やはり大人びている。彼はゆかりよりも年上なのだろう。ゆかりは優河の手を握って握手をする。筋肉のあまり感じられない彼からは想像できない、大きな男性の手である。

 握手を終えると、優河は突然ごめんなさいと謝りだした。

 「僕の手、がらくたをいじっていたせいで汚れていました」

 そう言ってゆかりの前に優河が広げる手はたしかにほこりや錆で汚れていた。ゆかりには、そう言って申し訳なさそうにする彼がどうしてかおかしい。きっとお茶会は楽しくなると、彼女にはそう思えた。

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