第三話、世界の守り人と貧しい街の青年

 ゆかりは高塔の間の細い路地を走る。少し匂いが変わった。進むほどに汗やごみの不清潔な匂いが辺りに強く立ち込めていく。ゆかりは走りながらこんなところを走っていいのかと不安になる。それでもアクタから人々を守りたいと彼女はさらに力を込めて走る。

 「守り人ゆかり様。あなたはまだ十五歳。ここはあなたには危険だ」

 石英の声が後ろから響く。護衛の男性、つむじの、俺が行くんで道を少し開けてくださいという声も後ろから聞こえてきた。その声が聞こえた次の瞬間、何かが一瞬でゆかりに迫ってきた。いつの間にかゆかりは腰を何者かのわきに押さえ込まれ、体が宙に浮く。地面を蹴って走っていたはずのゆかりの足は虚空を蹴っている。ゆかりが見上げると、それは護衛、つむじだった。

 「守り人さん。ここは無法地帯です。戻りましょう」

 「行かせて。ねぇ石英、つむじ、今日は楽しくてもっと遊びたいけれど、私は世界の守り人だから。……行かせてください」

 もう彼女にはあどけないゆかりとしての姿はない。たとえ抱えあげられていても彼女は世界の守り人だ。

 ゆかりは、私は庶民を知りたいのではなく、庶民になりたいのだと本心を察する。彼女は本当は転生前のように街歩きをしたかった。公務も好きではない。建前と上品な付き合いが彼女にはどうにも苦手なのだ。しかし彼女は自分の気持ちに従って守り人の役目を忘れることなどできなかった。

 「ここは国家に見放された場所だ。無法者の巣窟ですよ。ここで何人死のうが、まともな世界の人間は誰も気にしない」

 「それでも私は世界の守り人。使命があります」

 ゆかりの柚葉色の瞳の決意は身動きがとれなくとも変わらない。石英さんならどうしますかとつむじが聞く。石英が悩むうちに、もう一人の護衛、梢が追いついた。梢は三人に、この先に人だかり、中心の何かへの暴行と言う。追いついた梢は石英に向き直った。

 「護衛の分を超えますが、私はゆかりちゃんに賛成です。彼女に任せてみては」

 「私は反対ですよ。この石英、守り人ゆかり様の安全が第一ですから。ゆかり様、ここでは最悪命を落としますよ」

 「私はもう退きません。私は守り人です」

 「……梢さん、警備の状況は」

 「現在、人だかりの周辺の私服巡回班の配置が完了。大筒、小筒による遠隔射撃の準備も完了。拡声からくりも用意できています。何かあれば危険人物の即時抹消と周辺の人間の退避が可能です」

 「まるで予知したかのような手際のよさだ。……行きますか。しかし守り人ゆかり様の安全が最優先です。つむじさん、このままゆかり様を抱きかかえていてください」

 はいさと言って、つむじがゆかりを脇にはさんだまま走り出す。ゆかりはアクタの気配を辿り、つむじに右や左と指示を出す。四人は路地を抜け、古びた通りを超え、その奥の少し開けた砂埃立つ通りで人だかりを見つけた。

 「そいつをどけろ」

 「アクタだ。アクタだぞ。やっちまえ」

 「だめだ。この子はまだからくりだ」

 「壊せ。アクタを壊せ!」

 予想以上に暴力の気配が人だかりで盛り上がっている。

 「そのガキを引きはがせ!」

 「痛い。痛い!」

 少し低い青年の声を喧噪のなかでゆかりは聞いた。人だかりから誰かが追い出される。それはガキと呼ばれるには不似合いな大人びた体つきの青年だった。怪我をして立ち上がれないその青年はそれでもなお、人だかりの中心へと手を伸ばして人だかりに入ろうとする。

 「こりゃあまずいなぁ。興奮していて下手につついたら暴動になりかねないぞ」

 「そうですね。この石英、ゆかり様に退避をおすすめします」

 「ゆいかなら立ち向かうはずです。今はお忍びですが、守り人と明かして討伐できませんか?」

 ゆかりの大胆で無鉄砲な提案に石英はそうきましたかと頭を悩ます。

 「まぁこれが初仕事でもいいじゃないですか。つむじがゆかりちゃんと一緒にあの人だかりに近づいて、石英さんは輪球会議に許可を、私が陽光都市警察機構に掃討許可を取るのはどうでしょう」

 「私からもお願いします」

 持ち上げられ宙に浮いたままの、威厳も何もない恰好でゆかりは石英とつむじに頼む。これがたった一人の世界の守り人だとは誰も思わないだろう。

 少し考えた石英は、水覇国の許可が課題ですねと愚痴をこぼしながら、二分で許可を得ますと言った。梢も、百を優に超える国家の許可を得るよりは楽よと言ってから、小型通話機で話し始める。

 思ったよりもはやく許可は得られたようだった。群衆の声や勢いが増したせいか、声がかき消されて石英と梢が何をしたのかはゆかりには分からない。けれども、つむじがゆかりを砂埃の立つ地面に降ろし、やってみますかとゆかりに言ったので、許可が取れたことがゆかりにも分かった。ゆかりとつむじは群衆へと歩いていく。

 「私は世界の守り人です。そのアクタの討伐を行います。道を空けてください」

 ゆかりはあらん限りの声でそう叫んだ。群衆の動きが少しだけれども止み、ゆかりを見る視線が増える。

 「世界の守り人だってよ。もっと豪華な服じゃなかったか」

 「ありゃただのませたガキだよ。こんな所来るはずがねぇ」

 「お嬢ちゃん、ここは俺たちに任せて逃げな。アクタは俺たちで何とかするからさ」

 数人がこちらを見てそんなことを少し言ったばかりで、群衆は変わらず群衆の中心の何かに暴言を吐き、暴行をしているようだった。

 「梢。予想通りだ。頼む」

 つむじがゆかりの隣で小型通話機に言う。すると白の箱型の拡声からくりを通して緊迫感のある梢の声が響き出す。

 「こちらは陽光都市警察機構アクタ対策部隊である。こちらは陽光都市警察機構アクタ対策部隊である。アクタを確認。住民はただちに退避せよ。アクタを確認。住民はただちに避難せよ。世界の守り人が討伐に当たる。アクタから退避せよ」

 ゆかりは後ろを振り向いた。すると、今までいなかったはずの制服姿の警察官が、拡声からくりと梢の後ろに何人も直立している。群衆はその威圧するような声と警察官に気づき、一人、また一人と人だかりから離れていく。

 「ほら、ゆかりちゃん。出番だ」

 つむじが合図する。ゆかりは帽子を取り、結ばれていた柳染色の髪をほどいた。彼女の髪は日光の輝きをまといながら風になびく。地味な桑色のワンピース姿の彼女に人々の視線が一手に集まった。ゆかりはつむじを見上げて頷き、離れていく群衆のなかからアクタを捉える。

 アクタは人型からくりであった。暴行を受けたせいだろう。頭部や胸部などいたるところが大きくへこみ、傷ついている。そのからくりの縁は恨みや悲しみが幾重にもまとわりついていた。このアクタをからくりに戻すことは不可能だ。ゆかりは、ゆいかがここにいたならばと思わずにはいられない。

 アクタが暴行で飛び出た目をゆかりに向けた。ゆかりは目を閉じ、右手をアクタに差し向ける。そのままアクタが収まるように円を描き、その赤く輝く円に手を押し当てる。

 アクタの記憶がゆかりに流れてくる。サチと叫ぶあの青年が男たちに引きはがされながらそのアクタに手を伸ばす。僕が治すと必死に駆け寄ろうとする。動きを止めたアクタに、男たちがアクタをやっつけろと押さえつけて殴りかかり、アクタは壊れていく。しかし、アクタはその目が壊れるまであの青年を見続けた。

 「絶縁」

 ゆかりは目を開けてそう言い、アクタを収めた円へと力を込め握りつぶしていく。やがて円が割れた。縁をすべて断ち切られたアクタは何か動こうとするも力尽きる。ゆかりは目を伏せた。誰も拍手も喜びの声もあげない。群衆は物言わぬ目でたった一人の世界の守り人を見ていた。つむじは一人立つ世界の守り人の肩に手を置く。

 「片づけは陽光都市警察がやります。帰りますか」

 「……待ってください。あの青年と話したいです」

 ゆかりはアクタを助けようとしたあの青年を見た。怪我をしてまだ立ち上がれないその青年は、驚いた顔でゆかりとつむじを見る。つむじは、彼を病院に連れていって、そこで話しますかと答えた。何人もの警察官がアクタの回収のため、ゆかりとつむじの横を通り過ぎてアクタへと駆け寄っていく。

 ゆかりの、群衆に近づいて絶縁を放ち目を伏せるその一部始終はある者によって数枚の写真に収められていた。

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