第103話 霧の中の老婆

架との会話は、これが最後になるのか。心陽の心は、ざわついていた。永年、待っていた言葉だったが、何故か、落ち着かない。それは、あの時も同じだった。

「誰かに見られている気がするの。」

莉子が気にして、心陽に相談してきた。

「それは、そうよ。みんなの話題にあるピアニストをかっさらったんだから」

「凄い人なのね」

「そうよ。あなたが、知らないだけ。私の憧れの人でもあった訳」

「知らないとは、いえ、失礼しました。だけど、好きで、結婚するんじゃないわ。今まで、好きにさせてもらっていた。今回は、親の言う事を聞く事にしたの。」

「どういう風の吹き回し?」

「親も色々、大変みたい。私の結婚で、落ち着くなら・・・。勿論、一目見て、素敵な人だとは、思ったけど」

「ピアノの事、わかるの?」

「全然・・・だけど、丁度、振られたばかりだし、いいかなぁって」

「振られた?あぁ、あのギタリストね」

莉子は、憧れのギタリストに振られたばかりだと言っていた。架との結婚とは、勢いだった。それでも、羨ましく、嫉妬する仲間も居た。そんな中で、莉子の身の回りに、不自然な事が、続いていた。最初は、車の不調だった。警察に届け出たが、犯人は、捕まらなかった。住んでいるマンションのガラスが破られたり、郵便物が荒らされたり、次第にエスカレートして行った。

「何か・・・外に、誰かがいるみたいなの」

莉子が連絡してきた。

「警察には、言ったの?」

「オートロックだし、気配だけで、警察に言うまでは、必要ないかな」

「大丈夫なの?架には、言ったの?」

「忙しいみたいだから」

「今行くから、誰がきても、開けてはダメよ」

オートロックだから、大丈夫は、通用しない。誰かが、通った後についていけば、エントランスを抜ける事は、できる。心陽葉、焦った。こんな時に限って、タクシーもマネージャーも捕まらない。

「急いで」

嫌な予感がする。架との結婚を反対するファンは、多い。呑気なお嬢様育ちの莉子に、危険を理解できる訳がない。監視カメラが、危険回避の決め手には、ならない。

「早く!」

タクシーから、降りた心陽が、非常階段の下で、倒れている莉子を発見する事になる。

「莉子!」

幸いにも、息はあったが、下半身が動かなかった。あの日、誰が、尋ねてきたのか、莉子は、覚えていなかった。非常階段に誘い込まれた莉子が、突き落とされる姿が、映ってはいたが、相手は、後ろ姿だけで、犯人は、まだ、捕まっていない。

「後ろ姿だけ・・」

そうだった。清掃員の格好をしていると言った。だが、作業着は、どこでも、入手できる。自分のコンサートの時に、楽屋に間違えて入ってきた老婆も、作業着を着て、難儀そうにしていたと聞く。

「嘘でしょう」

老婆。自分達の関係性で、高齢の女性は、いない。・・・筈。いや・・・一人だけいる。

「まさかでしょう?」

架との関係性で、一番狙われるのは、莉子。今、莉子は、ステージへの復帰を目指していると聞く。輝きを取り戻した莉子が危ない。心陽は、ざわつきながら、新に携帯をかけたが、演目の途中なのか、電話は、通じなかった。

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