第101話 踊り手は、鮮やかに咲き誇る。

携帯の向こうに、誰かの気配があったが、架は、綾葉に話しかけてきた。

「見たよ。頑張ったね。」

言葉は、少ないが、心陽には、十分だった。

「きちんと、見て欲しかった。その為に、追いかけてきた。約束を守って欲しかった」

「約束?」

「きっと、架は、忘れてしまったかもしれない。小さな事だったけど、私には、それが励みだった。どうして、ピアノを辞めてしまったの」

「辞めたくて、辞めたんじゃない。僕には、もう、弾けなかったんだ」

「どういう事?」

心陽は、携帯の向こうに居る架の様子を伺った。

「素晴らしかったよ。心陽。片手の指が6本あるのかと思ったよ」

・・・それは、昔、架が皆に褒め称えられた事。

「ありがとう」

架が、自分の演奏を見てくれただけで、満足だ。

「もう、僕を超えたから・・・自由になるんだ」

「まだよ。架。私には、教えてもらいたい事がたくさんあるの。」

「もう、十分だ」

携帯は、そこで、切れてしまった。もう少し、話したい。心陽は、何度か、携帯を掛けたが、繋がる事はなかった。

「架だった・・・」

話す事ができた。自分のピアノを認めてもらう事ができた。

「これで、良かったのでは?」

マネージャーは、心陽に言った。今まで、縛られていた架の幻影から、放たれることが出来るのだ。

「まだ、解決していない事があるの」

「解決?」

心陽は、コートを羽織ると、マネージャーに先に帰るように告げた。

「行く所があるの」


「一度、会いたい」

莉子に連絡が入ったのは、藤井先生が、観客席についたその時だった。藤井先生に莉子は、まだ、直接会っていない。楽屋から、ステージに躍り出て、驚かす設定だった。楽屋で、待っている時に、切り忘れていた携帯が鳴った。

「莉子。携帯がなっているよ」

莉子らしくない。そう思いながら、僕は、注意した。ステージ前は、携帯は禁止だ。余計な情報が入って、気が散りやすい。

「う・・ん」

あの時、メールで内容を知ったのだろう。莉子が、何かを悩んでいるのは、明らかだった。

「何か、あったのか?」

「いえ・・大丈夫」

ステージの袖までは、万が一に備えて、車椅子で、移動する。ライトで照らされた客席の中央、一番前に藤井先生の姿が見えた。みんな、先生を喜ばせようと、いつもより、テンションが高かった。

「もう少しで、莉子。出番だよ」

莉子は、車椅子を自走する。そのまま、ステージに車椅子のまま、滑り出て、立ち上がる。ほんの一歌だけだけど、踊り出す予定だ。僕らは、莉子、本人よりも、緊張し、心配そうに見つめる。藤井先生も、莉子が車椅子で、ステージ中央に滑り出た時に、いつものように、笑みを送った。

「変わらず、元気だったのね」

先生が、そう言っている様な気がした。中央に、車椅子が進んでいった時、一瞬、音楽が止まった。ステージ上のライトが莉子に集まる。

「莉子」

僕は、思わず、叫びそうになって、両手で、口を塞いだ。莉子は、立ち上がった。車椅子から、神々しく、右手を振り上げ、手首が外旋する。左手で、スカートの裾を持ち、2〜3歩歩いていく。しっかりと、床を打ち鳴らし、ギターが始まる。僕は、感情が高まっていた。足が震え、涙腺が崩壊した。見ていた誰もが、そうだった。絶望のどん底にいた車椅子が、移動手段だったあの女性が、ステージに立っている。藤井先生が泣いていた。いつも、明るく、闘病している自分を隠してまで、莉子を支えていた藤井先生が、顔をクシャクシャにして泣いているのが、見えた。

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