第12話 愛しむ方法が欠落した人

架は、視線は、ずっと遠くにあった。何度か、面会に来ても、結局、帰ってしまう。夫婦でありながら、莉子といると罪悪感しかない。それでも、なんとか、彼女と向かい合おうとしていたが、自分のピアノの才能と引き換えに、彼女を与えられた気がして、打ち解ける気がしなかった。

「今日も、中に入らないんですか?」

今の病院は、昔と違いホテル並みの受付となっている。それは、地方の病院も同じで、受付ではなく、コンシェルジュと名札をつけた女性が丁寧に対応していた。

「えぇ・・」

自宅から、高速を使って1時間弱。病院は、莉子の実家のある所がいいだろうとこの病院を選んだ。自宅の近い病院なら、様子ももっと見れる。けど、深く関わるのが、怖くて、この街の病院にした。莉子の父親は、復興に力を入れており、最新の製薬工場や病院の誘致に積極的だ。その恩恵に預かっているのが、架の家だ。父親は、幼い頃から、ピアノに励む架を苦々しく思っていた。同じピアノに夢を抱いた母親の支援で、続ける事ができた。

「後、もう少しだったのに」

母親は、泣きながら言った。右手が、架の命を守った。右手の腱が切れていた。「母さん、僕の手が!」

ベッドで意識を取り戻した時、最初に発した言葉は、それだった。母親の涙を見たら、取り乱す事はできなかった。

「せめて、傷を治す手術だけでも、受けてちょうだい」

母親は、そう言ったが、架は、拒んだ。自分が、夢を諦めた烙印の様に、右手には、醜い傷だけが残った。

「ピアノには、縁がなかったんだな」

見舞いに来た父が、ぼっそと呟いた。

「諦めろ。進む道が違う」

最初から、ピアノに反対していた父親が、半分、強制で持ってきた見合いが、莉子との結婚だった。最初、見た時、別の世界から来たのかと思った。レッスンの帰りだと言った莉子は、地位ある父親の娘でありながら、自由で、感情表現の豊かな人だった。互いに作り上げた姿で会う予定だったのに、レッスン帰りという莉子は、汗まみれで、メイクは、取れ素顔のままだった。

「あなた、メイクぐらいしたら?」

母親に嗜められ、僅かに笑った顔が印象的だった。

「僕は、顔を合わせる事はできない」

架は、莉子の好きな菓子と専門誌を受付に預けると、その場から、立ち去る事にした。少しだけ、様子を見たらと言われ、覗いたリハビリ室で、久しぶりに莉子の笑顔を見た。足のマッサージを受け、足首の拘縮をほぐされている。何を話しているのか、若いリハビリ師は、莉子の耳元で、何かを呟き、莉子が笑う。ふと、リハビリ師が、顔を上げ、自分と目が合った。慌てて、架は、目を逸らし、足早に立ち去る事にした。

「彼の名前は、何て言うんです?」

先程のコンシェルジュに、担当のリハビリ師の名前を聞いた。

「担当のリハビリ師ですね。奥様の担当は、西園寺 新になります。挨拶されますか?」

「いえ・・」

架は、会釈すると自分の車へと急いだ。

「西園寺・・・」

莉子の屈託のない笑顔が気になっていた。

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