常春の王女

青伊藍

第1話 出会いⅠ

 グリーティス王国王女リディエラは、傲岸不遜な軍国主義者として悪名高い。今は亡き正妃の血を唯一引くことを盾に、国王をも圧し浪費の限りを尽くしている。

 大粒のスファレライトさえ霞むほど豪華絢爛なドレスで身を包み、王城へ商人を呼びつけては数多の武具を税で買う。国王や大臣が苦言を呈せば、やれ大国の元王女の娘であるだの、やれ自分のおかげで過激派を制御できているだの、事実だが悪徳な言い分を振りかざす。

 齢十四にして、軍国主義者を除く貴族にも国民にも支持されず、むしろ王族ひいては王国の汚物という評価を下されている。無論、それを本人の前で表に出す者はほぼ存在しないが。皆、最もかわいいのは自分の身である。


 このように、ハルヴェルは認識していたのだが。


 眼前、薄暗い書庫で本に目を落としているのは、表での姿と遙かに乖離したリディエラだった。


「……先生」

「ハルヴェル君の感想は尤もですが」


 これが真実だとでも言いたげに、不惑の男性、セーグル司書長は憂愁に微笑んだ。


 リディエラがページをめくる度、緩く波打つ金髪がふわりと揺れる。この角度では分かりにくいが、下ろしていると背中を隠してしまうほどに長いようだ。また、彼女の象徴とも言えるはずのドレスは、色こそ薫風に揺れるバラのようである一方、ビジューもレースも一切無い。書庫は窓が高いせいで冷えるからだろう、羽織っているショールも、生地自体の光沢しか見られない。古びた革張りのソファーに身を預ける様は、深窓の令嬢とも言える儚さを感じさせた。


 考えてみれば、ハルヴェルがリディエラとまともに接触したことは一度たりとてない。まみえる機会自体が数年振りというのもあるが、その全ての機会において、臣下として王族に挨拶する際にしか互いに顔を見ない。リディエラが背けるから、目を合わせすらしない。

 しかし、それを加味してもあまりに様相が違う。別人だと言われれば信じるし、本人だと言われれば疑いたくなる、そういう次元だ。


 悩ましいときの癖で、ハルヴェルは眉間に右手の中指を軽く当てた。一拍、事実を咀嚼する時間を設けた後、隣のセーグルに長い前髪の奥の視線を戻す。


「他言はしません。私にどうしろと?」

「きっと馬が合います。あの御方のご友人になってもらいたいのです」

「王族のご友人に、辺境伯家の私が?」

「ご冗談を。辺境伯家は侯爵家にも並ぶ爵号です。ましてやサンドルト辺境伯家は、先の戦争で中核を担ったでしょう」

「戦争を知らぬ者からすれば、役立たずの国境守りです」


 暗に、リディエラは戯れで戦を好むに過ぎないと侮辱した。処罰されかねない不敬だが、セーグルは軍国主義者どころかグリーティス王国出身でもない。教え子の弟であるハルヴェルを売ることは、まかり間違ってもしないだろう。


 元来、ハルヴェルは一つ年下のリディエラに好印象を抱いていなかった。目通りが叶うのは舞踏会や国家的行事のときだけだが、遠巻きでも噂を鵜呑みせざるを得ないほどに高飛車な人物だった。己を持ち上げる者のみと話し、己の都合で退場していく。さほど長くも太くもない体で毛羽毛羽しい衣装を引きずる姿は、悪政者であり滑稽だ。

 記憶を想起するうち、ハルヴェルの眉間の皺は深まっていく。この度の戦争は同盟国の援助というだけで実際に武器を振るうことはなく、王女派は不条理な戦意を燻らせていると言う。


 すると、セーグルは右手の人差し指を立てた。手掛かりや糸口を与えるときの癖だ。彼はハルヴェルの頑固さを知っているが、同時に優しさも知っているから引く気は無い。


「では、『不死の春』を探している、と話しかけてみてください」


 言われ、ハルヴェルは瞠目した。そして、セーグルの言わんとしていることに思い至る。リディエラは、本当に戦争好きなのか否か。なぜ、他の誰でもなくハルヴェルなのか。そうなるとセーグルが適役ではないかと言いたくなるが、セーグルはあくまで平民であり、加えるなら二回りほど歳の差があるから最適ではないのだろう。


「……私はあの姿の王女殿下を存じ上げませんが」

「そうですね」


 セーグルはにっこりと笑った。話は終わりということだ。それを尻目に、ハルヴェルは溜め息を吐いてから足を踏み出した、伊達に兄が傾倒してはいない、と今更なことを実感しながら。


 余程読書に集中しているらしい、手を伸ばせば触れるという距離にハルヴェルが立っても、リディエラは顔を上げなかった。迷い、リディエラだと気づいていない体で話しかける。


「読書中、失礼ですが」

「!」


 はっと持ち上がった、緑の双眸。ペリドットと言うには華やかさが足りないが、かえって知性を内包している。同時に、その瞳が唯一リディエラ「らしさ」を保持していた。皆が噂する「リディエラ王女」は、このような顔立ちだっただろうか、ハルヴェルは一瞬そう思案したところで、化粧が最低限にしか施されていないのかもしれないと推測を立てる。


 リディエラは本を閉じ、警戒心を隠さず立ち上がった。そして、ハルヴェルの背後にある書架をちらと見やる。少し遠くで隠れるようにして、セーグルが申し訳無さそうに覗いていた。さすがに女性、何より王族とハルヴェルを完全な二人きりにはしない。


「……何か?」


 ハルヴェルの耳に届いた声は、やはり違った。強かだが、静かなものだった。この声が夜会では音楽を妨げているとは、とてもではないが思えない。


 リディエラは、ハルヴェルがサンドルト辺境伯家の次男だと気づいているのだろうか。無論、サンドルト辺境伯家は保守派なのでリディエラの興味の先に置かれていないだろうが、記憶の片隅にはハルヴェルの顔が残っているかもしれない。そうでなくとも、セーグルという接点がある。

 ハルヴェルは顔に通常通りの微笑を貼りつけているが、内心、王族だと気づかない不敬で処罰されないか気が気でない。サンドルト辺境伯家を継ぐ可能性が高いこともあり、それは本気で御免こうむりたいのだが。


「恐れ入りますが、本を探すのを手伝っていただけますか?司書長は忙しいようでして……」

「……何という本でしょう?」

「『不死の春』という書物です」


 ――リディエラは反応を示した。


 ハルヴェルは態度にこそ出さなかったが、セーグルの申し入れを断らなかったことを後悔した。これでは、セーグルの希望通りになってしまう。そしてその先には、ハルヴェルが想像しえない事情が待ち受けているのだろう。活力を失ったセーグルがハルヴェルを半ば無理矢理巻き込むような、何か。

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