Ⅳ.水星の大地にて

20 巡る季節のなかで







 騒乱から、一夜明け。

 天界にて、メアリとコーザは婚姻の結びをかわした。


「青年、本当に良いのか?

 この結びは、メアリとともに在ってこそのもの。

 万が一メアリとのこころの繋がりが断たれれば、人間は灰となり消えてしまうのだぞ」


 結びの前に、太陽王ヘリオスは、コーザに尋ねた。


 婚姻を結べば、コーザは半神として生きてゆくことになる。半永久的な命を得るということだ。

 しかし、メアリとの婚姻が解消されれば、その瞬間にコーザの魂は灰となる。


 コーザは赤い瞳を、まっすぐヘリオスへ向けた。


「かまいません。三度、拾われた命です。いま生きていることが、幸運なくらいに」


 一度目は、生後まもなく村に捨てられたとき。

 二度目は、増水した川で溺れかけたとき。

 三度目は、ディドウィルに殺されかけたとき。


 三度のうちのふたつは、メアリが拾い上げてくれた命だった。


「人間はいつか死ぬ。老いて死ぬのも、灰となって死ぬのも、変わらない。

 それなら、愛する人とともに在る未来を選びたい」


 こうしてメアリとコーザは、夫婦となった。









 メアリによってこころを縛られたディドウィルは、受け答えこそするものの、かつてのディドウィルらしさは完全に失われてしまっていた。


 すこしして、メアリはディドウィルのこころの鎖を、断ち切った。

 そのかわりに、『邪なるこころで他害をたくらむと、眠ってしまう』という誓約の楔を打ちこんだ。


 さらに、地上で瘴気におかされたひとびとを救う〖祓い師〗としての仕事を与えた。


「どーしてこンな仕事、オレがしなきゃいけねェんだッ!?」

「ひとびとの苦しみを、知るためよ。世界のすべての瘴気が払われるまで、解放はしないわ」

「メアリお前ッ、今からでも引き倒して犯して…………ぐぅ…………」


 ディドウィルは当初、一日のほとんどの時間を寝て過ごしていた。

 それでも、日がたつごとに本当に少しずつ、起きていられる時間が増えてきた。








 ひとびとはメアリの加護をうけ、復興のために立ち上がった。

 メアリとコーザは天界で生活を送りながら、たびたび地上に降り立っては、大地の復興をたすけた。


 季節がひとつ、ふたつと過ぎてゆくたび。

 水星の大地メルクリウス・ノアはすこしずつ、豊かになっていった。

 土地は肥え、水は潤い、さまざまな植物が育つ大地へと変わっていった。


 魔族からの脅威も、天災も、すべてを取り去ることはできない。女神のちからをもってしても。

 それでもひとびとは、強く、逞しく生きている。







 薫風が山肌を駆け抜け、夏を運んでくる。

 初めて恋を知った季節が、またやってきた。


 メアリは、夏草の拡がる丘から大地を見下ろす。


 まぶしいほどの青。膨れ上がった雲の峰。驟雨しゅううに濡れるあぜ道。こんこんと湧き出でる泉。葉から滴る雫。水面にうつる緑。麦穂についた露。魚たちが描く水の綾。深い水底にさしこむ日のひかり。


(わたしは、この世界が、好きだ)


 大切な景色を、色を、生命を。

 ずっと、ずっと、抱いて生きてゆきたい。


 となりに立つコーザが、メアリの顔を覗きこんだ。


「また、泣きそうな顔してる」

「うれしいの。コーザさんと出会えて、世界を……もっと好きになれたことが」


 メアリが言うと、コーザはにっと笑った。


「メアリ、飛ぼう!」

「え、えっ?!」


 コーザはメアリを抱えあげ、横抱きした。

 そのまま大地を蹴り、重力をてばなす。


 メアリを抱き上げたまま、コーザは高く高く、飛んだ。びゅうぅ、と風をきり、大気の中をけぬける。


「コーザさん、神力の操作がうまくなってる!」

「だろ? 水華竜メルクリウス・ドラゴンといっしょに、飛ぶ練習をしたんだ」

「だから上達が早いのね」


 メアリはコーザの首に腕をまわし、コーザの頬にひたいを寄せる。

 コーザは横を向き、メアリの目もとにくちづけた。


 赤い瞳で見つめられ、なんだか恥ずかしくなって目を逸らす。コーザはいたずらっぽく笑うと、こんどはくちびるを重ねあわせた。


「メアリ。

 ずっとそばにいる。メアリはひとりじゃないんだ。

 ふたりでこの世界を、大地を、護っていこう」


 メアリはもう、泣かなかった。ため息をつく必要も、なかった。


 たしかなもの、揺るがないものがあるから。

 向けられる愛情も、コーザへの想いも、大切な世界のことも。


 夏風が、ふたりの真横を通り抜けた。

 巡る季節の中、ふたりは大地を見守り続ける。この蒼い星がまわり続けるかぎり、ずっと、ずっと。


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