17 ほんとうのちから





 木星の女神  ユピ  のおかげで完全に回復したメアリは、すぐに天界の神殿へと向かった。


 コーザの身体を完全に癒すこと、それが第一の目的だった。

 天界にさえいれば、メアリもそれなりの神力を扱うことができる。


 メアリはコーザを、神殿の中庭に寝かせた。


 【瘴花しょうかの種】のせいか、どれだけ瘴気しょうきを払ってもコーザの息は荒い。

 根源を取り去るしか、なさそうだ。


「コーザさん、大丈夫。すぐ、楽になるわ」

「メ、アリ……」


 メアリは、コーザに口づけた。

 深く、ふかい、口づけ。


 触れあうくちびるを通して、メアリのこころとコーザのこころが混ざり合う。

 もっと。

 もっと、もっと、ふかく。


 こころの奥底にたどりつくと、メアリはすっと息を吸いこんだ。

 とたんに、コーザが咳こむ。


「それ、は……」


 メアリは、舌で受けとめたかたまりを、手のひらに吐き出した。


「【瘴花しょうかの種】。これでもう、大丈夫です」


 それは、コーザがディドウィルに吞まされた【瘴花の種】だった。


 根源を取り去ったことで、瘴気の広がりは治まった。

 ふたたび瘴気を払い、コーザの身体にとって害となるものをすべて除くと、ようやくコーザの息遣いが落ち着いた。


 メアリは、ほっと緊張が解けてゆくのを、感じる。

 メアリは自身の腿に、コーザの頭を寝かせた。


「……大変な目に遭わせてしまいました。本当に、ごめんなさい」


 コーザは、静かに目を開ける。

 一拍おき、メアリの頬にそっと触れた。メアリがまた、泣きそうな顔をしていると、思ったのだ。


「メアリこそ……怖かったろ。なにもできなくて……ごめんな」


 魔神城ではとにかく必死で、なにも考えられなかった。


 それでも、いま思うと。

 コーザは瀕死の状態だったにもかかわらず、必死にメアリを守ろうとしてくれた。

 自分は人間で、相手は魔族だというのに。


 思い返すとメアリの目から、涙が溢れ出る。


「コーザさん、ありがとう……!!

 あなたが無事で、ほんとうに、よかった……!!」


 メアリは、腿にのせたコーザの頭に、縋りついた。コーザはゆるく笑って、メアリの髪を撫でた。


 コーザは周囲を見回す。

 雲の上。空のちかく。異様なほどの静けさ。澄んだ空気。うつくしい花々。雲の峰を流れる小川。

 ここが地上でないことは、明らかだった。


「……やっぱりきみは、女神、だったんだな」


 メアリの心臓が、きゅっと絞られる。

 うつむき、ぽそぽそと言葉を並べる。


「隠していて……ごめんなさい」

「人間と女神だなんて、身分違いも、甚だしいな」


 コーザは、半ば自虐的に笑った。

 「でも……」と言葉をつづけながら、重たい上半身をもたげ、メアリと向かい合うように座る。


「この先のことは、わからないけど」


 コーザは、メアリの手をとった。

 やさしく、大きな手。

 そのあたたかさに、胸が痛む。


「それでも俺は、きみを好きでいたい。ずっとメアリのそばに、居たい」


 メアリは、下唇をかみ、なんとか涙をこらえようとした。けれど、無理だった。


 ふたたびとめどなく涙を零しながら、メアリはコーザに抱きついた。

 コーザはふっと笑い、メアリの背中に手を回す。そして、やさしくメアリの髪を撫でた。


「コーザさん、あなたが、好きです……! 世界のだれよりも、あなたを愛してますっ……!!」


 視界が、涙でゆがむ。声は上擦り、とくとくと心臓が高鳴る。


「あぁ、知ってる。俺もだ。俺も、メアリだけを、愛してる」


 恋って、苦しい。

 苦しいけど、うれしい。

 この愛おしい人と、同じ気持ちを抱き、生きていることが。


 メアリとコーザのぬくもりが、混ざりあう。

 天界の中庭に、サァッとやさしい風が吹く。


 そしてどちらからともなくからだを離し、2人は見つめあった。


「あの……もう一回、しても……いいですか?」

「……あぁ」


 コーザは、メアリの右頬にふれた。やわらかな肌の感触に、愛おしさが増す。

 そっと頬を撫で、首の後ろをやわらかく包んだ。


 メアリの青い瞳と、コーザの赤い瞳が、視線を重ねる。

 鼻先が触れあい、ひかえめに距離をちぢめて。


 ふたりのくちびるは、ふたたび触れ合った。




 こころが、ひかりを発する。ふたりの身体は、純白のひかりに包まれた。


 ひかりは瞬く間に増幅し、弾け。

 空へと、地上へと降り注いだ。


 濃紺の空に、オーロラがあらわれた。

 七色の光の帯が、真夜中の空をたゆたう。神秘の光の波長。宇宙からの祝福。


 ひかりはさらに増幅し、地上に降り注いだ。

 銀白色のきらめきを放ちながら、ゆたり、ゆたりとひかりのかたまりが積み重なり、地上は白日のように明るくなった。


「神力が……溢れだしそう。身体がすごく、温かいです」

「となりに居ても、わかるよ。これがメアリのほんとうのちからなのか?」

「たぶん、そうだと思います」


 メアリの身体からは、神力がとめどなく溢れ、そのなかを循環していた。


(女神の恋って、こういうこと、なんだ)


 これまでに感じたことのない、強いちから。

 大切なものを護るちから。世界を護るちから。


 メアリとコーザは、目を合わせた。やるべきことは、理解していた。


「キュイッ」

水華竜メルクリウス・ドラゴン!」


 地上から、水華竜メルクリウス・ドラゴンが戻ってきた。ふたりを迎えにやってきたのだ。


「コーザさん、あなたはここに残っていていいのよ」

「いや。なにもできないけど……せめて、見守らせてくれ」


 メアリはうれしくて、肩を震わせた。

 コーザはメアリを抱き寄せ、その手に力をこめた。


「あなたたち」

「月姫様……!」


 ふたりが水華竜メルクリウス・ドラゴンの背に乗ろうとすると、するどく凛とした声が響く。月姫だった。


 夜通し加護にあたってくれていたのか、いつも以上に疲弊しているようすだった。


「あの、地上の加護を、ありがとうございます!」

「構いませんことよ。それより……」


 月姫は、抱えていたものをコーザに差し出した。鞘におさまった、長剣のようだった。


「地上に行くなら、これを持っていってくださいまし」

「これは……?」

「月の力をこめた、神剣ですわ。

 人間のあなたでも、持っていれば自分の身を守る程度のことはできると思いますの」


 コーザは礼を言い、長剣を受け取った。重みをほとんど感じない軽い剣だが、ふれるとほのかな熱を感じた。


「もうすぐ夜が明けるので、わたくしは地上には降りられない―――あなたの力で、大地を護ってきなさい」

「はいっ!!」


 月姫に見送られ、ふたりは天界をあとにした。

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