【完結】水星の女神は恋を知らない

pico

Ⅰ.出会い

01 恋を知らない女神




 水星の女神メアリは、ため息をついた。

 天界にいるメアリのため息は、地上で烈風となり。

 やがて積乱雲をつくり、地上に雷雨をもらたした―――







 ここは銀河の中の、太陽系の、蒼き奇跡の星。

 生物であふれるその星の天界には、神々が住まううつくしい神殿がある。


「ため息なんてどうしたの、メアリ? 恋でもした?」


 神殿の窓ぎわで落ち込むメアリを茶化すのは、金星の女神・ヴィオラ。

 メアリの6人の姉のうちの長女だ。


「ヴィオラ姉さん……ができないから、ため息をついてるのよ」

「まぁ! メアリ、あなたが気に病むことじゃないわ」


 美の女神たる美貌をもつヴィオラは、長い金髪をさらりとゆらす。


「天界の男たちに魅力がないのがいけないのよ。

 いつ誰を好きになるかなんて自由なんだし、女神だからって気負うことじゃないわ」

「……ありがとう、ヴィオラ姉さん」


 、という言葉は飲みこんだ。

 ヴィオラなりにメアリを慰めようとしてくれているのは、わかっているから。


「私も前のカレと別れてから10年くらい、次の恋ができなかったものね。

 あの頃は地上が荒れに荒れて……だから、メアリの気持ちはわかるわ」

「……10年どころじゃないもの、わたしは」


 メアリはこれまでに一度も、恋をしたことがない。

 これまでにたくさんの男神とをしてきたけれど、〈好き〉と思える相手には出会えなかった。







 『女神が恋をすることで、大地に安寧がもたらされる』―――


 それこそが、地上に住むひとびとも知らない、世界の摂理だった。


 この蒼き星の七つの大陸は、七人姉妹の女神たちが守護している。


 女神が恋をすれば、土地が肥え。

 恋が叶えば、民に幸福がおとずれる。

 地上は、そうして繁栄してきた。


 しかし、水星の大地メルクリウス・ノアだけは、いつだって荒れ果てていた。

 それは、水星の女神である末娘のメアリが、







「あら、落ちこぼれ女神のメアリじゃない」


 メアリがひとり祈りを捧げていると、するどい声が神殿内に響いた。


月姫つきひめ、様」


 天界の神々のなかでも、非常に高い権威をもつ女神・月姫つきひめだった。

 メアリたち七人姉妹の父との親交は深いけれど、姉妹たちのことはあまりよく思っていないようすだ。


 月姫つきひめは、濡れ羽色の髪を後ろで結いあげ、冷めた目つきでメアリを見遣る。


「男神のり好みばかりして、つとめもロクに果たせないあなたを……女神と呼ぶのはしゃくですわね」


 月姫の言葉に、メアリはぎゅっと眉を寄せる。

 まったくもって月姫の言う通りであり、メアリは深々と頭を下げることしかできなかった。


「申し訳、ありません」

「荒れた水星の大地メルクリウス・ノアの加護に追われて、わたくしは毎日へとへとですのよ」

「本当に……申し訳ありません」


 月姫は、加護の及ばない地に役割を担っている。

 神力の足りないメアリに代わって、加護に追われている月姫。


(月姫様がわたしに苛立つのは、当然だ)


 しずんだこころが、ますます深くしずんでゆく。







 気晴らしと祈りのために、メアリは水星の大地メルクリウス・ノアに降りてきた。けれど、すぐに後悔することになる。


 地上ではあっちこっちで日照りがおき、植物の育たない不毛の大地が増えていた。

 ある地では川が荒れ、ある地では山が崩れ。

 そのうえ瘴気しょうきが拡がり、魔界の浸出も進んでいた。


 毎日どんなに天界から祈りをささげても、大地の荒廃は食い止められない。


「ごめんなさい……わたしが恋を、しないせいで……」


 それでも、この大地で生活を送り続けるひとびとがいる。

 ほかの大陸の者から、『神無しの国』と揶揄されながら。


 こんな大陸は捨てて、べつの大陸に移ってくれたらいいのに。

 自分が恋をしないせいで、多くのひとびとを苦しめている。そのことがかなしくて、いたくて、メアリは泣き続けた。


(わたしはどこかがおかしいんだ。人間たちだってみんな、恋をするのに)


 恋って、なに?

 それって、しなければいけないものなの?

 どうしてわたしの恋が、ひとびとの運命まで決めてしまうの?


 メアリは山中の湖に半身をしずめ、泣きながら目を閉じた。

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