第4話 「私はニンニク料理が大好物です」







「ね、リンダ。あれ、どういう意味だと思う?」

「ああ、特記のとこ?」

「わざわざ言うことかなあって思ってさ」


 『面接時には「私はニンニク料理が大好物です」と言うこと』なんて、滅多に見かけない妙な文言である。

 しかも、マリアニージャはニンニク料理が特別好きなわけでもない。


「言っとかないといけないって思ったんじゃない? お貴族サマには大事なことらしいし」

「そうなの? 別にいいのにね」


 マリアニージャが首を傾げると、リンダはぎょっと目を見開いた。

 

「……え? マーリア、そういう感じ? 意外……」

「別に特別好きじゃないけど、場合によるっていうかさ」

 たとえば、こんがりローストしたチキンに添えられたニンニクは美味しい。焼いたニンニクを潰してパンに塗ったら、それで一食いける。


 確信を持ってマリアニージャが言い切ると、リンダは大袈裟に肩をすくめた。


「こだわりがあるんじゃないの? お貴族サマらしいし」

「リンダは貴族が嫌い?」

「うーん、まあ、好きじゃないね」

「貴族の奥さん役の仕事でも平気なの?」

「報酬次第だよ。お金は大好きだからね!」

 安かったらマーリアに譲ったげる、と付け加えてくるから、リンダに悪気がないのはよくわかる。


 報酬が多少安くても、住むところと食事がついてくるなら全然アリだ。

 それがマリアニージャの偽らざる気持ちである。

 使用人棟にひとりで住むのは大変だろうが、支度金を渡したらエメリックだってなんとかやっていけるだろう。仮にもまだ伯爵だ。


 あれこれぺちゃくちゃ取り留めなく話しているうちに、マリアニージャとリンダは目的の屋敷の前にたどり着いた。


 カサル通りは高級住宅地だ。侯爵家や伯爵家の王都屋敷が軒を連ねている。 

 指定の屋敷もとても立派だ。なにしろここはシュレーグル侯爵家のものだ。


 当代のシュレーグル家は大家族だと、マリアニージャも知っている。由緒正しいお屋敷街の邸宅は古くてこぢんまりとしているので、別に屋敷を建てたというのも聞いていた。なにしろご近所である。直接の付き合いがなくても噂話は伝わってくる。


 王都に長期滞在する貴族は時々いるから、屋敷ごと貸し出すのは賢い管理方法だろう。さすがは子沢山である。


 正門も、高い塀の切れ間を繋ぐ柵もぴかぴかに磨かれているし、門から見て正面、噴水の向こうにある本館は瀟洒な三階建てだ。門から見て左右には別館と家事棟があるようで、視線を遮るように屋敷森が配置されている。植栽も手入れが行き届いていて、緑が濃くてつやつやだ。手入れが行き届いている。


 が。


 人の気配がさっぱり感じられない。

 門衛も見当たらない。


 マリアニージャはリンダと顔を見合わせ、通用口に回ってみることにした。基本的に正門が開かれるのは正式な客に対してのみだ。使用人の面接は通用口に回るべきだろう。

 通用口も鉄製の扉の立派なものだった。王都とはいえ、物取りや強盗はいる。自衛はとても大事なのだ。


「こんにちはー! 口利き屋から来ました!」

 激しくノッカーを叩いて、リンダが大声を張り上げた。


「誰かいませんかー! 花嫁募集の件です!」

 マリアニージャも叫んでみた。

 本来、貴族の娘ならやらないことだが、マリアニージャはそれ以前に働き手だ。大声をあげなくてはいけないなら躊躇わない。


 と。


 通用口の鉄扉が軋んだ音を立て、薄く開いた。

 出てきたのは背の高い男だった。白髪混じりで痩せ型、装飾のないジュストコールをきちんと身につけている。執事だろうか。


「こんにちは、口利き屋ダビッドの紹介で参りました。わたくしはマリアニージャ、こちらはリンダさんです」

 マリアニージャは優雅に礼をして、相手に言った。挨拶は反応速度が命であると、貴族なら幼い頃から叩き込まれている。

 隣に突っ立っていたリンダも慌てて頭を下げた。


「おや、これは可愛らしいお嬢さんがお二方も。奥様職の面接ですね。どうぞお入りください」

 男はふたりを招き入れようとして、ひたと動きを止めた。


「ご案内の前にひとつだけ。特記事項はご覧になりましたか?」

「見たよ。守ってくれるんなら問題ないね」

 まっすぐに見て、リンダが答えた。執事が頷く。


「左様ですか。そちらのお嬢さんは?」

「私はニンニク料理が大好物です」

 リンダも執事も、目を丸くしてマリアニージャを見た。


「何、急に。どうしたの、マーリア? 緊張しておかしくなった?」

「えっ……、あ、ええ?」

 だって、求人票に書いてあったでしょ、そう言おうとしたら、執事と目があった。


 赤い瞳は驚いているようでも、喜んでいるようにも見えた。


 どういうわけか昨晩の赤黒いカタツムリ魔物のニチャニチャ音が耳に蘇り、マリアニージャは声と息をまとめて飲みこんだ。


 執事は柔らかな笑みになった。

「紹介状をお預かりいたしましょう」

 マリアニージャは封筒を差し出した。口利き屋の封蝋付きなのは正式な文書の証だ。


 執事はマリアニージャのものだけ受け取り、リンダに言った。

「こちらの、マリアニージャ様にお願いすることにいたします。ご足労いただきましたが、お引き取りいただけますかな」


「え? 条件の詳しいことをまだ聞いていませんよ?」

「お聞きになってお断りになるのはマリアニージャ様のご自由。ですが、詳細をお話しするのはあなた様だけにさせてください」


 執事は振る舞いが柔和でも譲らない生き物だ。アルマ家の執事もそうだった。

 マリアニージャはリンダを横目に見上げた。

 リンダは不満そうな顔をしていたが、すぐに諦めのため息を吐き出した。


「いいよ、わかった。ご縁がなくて残念だよ。下働きが必要なら口利き屋に名指しで仕事をちょうだいよ」

「覚えておきましょう、リンダさん」

「それじゃ、またね、マーリア」

「またね、リンダ」


 リンダが帰るのを見送って、執事がマリアニージャを通用口の内側に招き入れてくれた。

 通用口の側にある門番小屋も、そこから続く家事棟への通路もきれいに整えられていて、さっぱりとしていた。

 厨房や洗濯場といった家事のための棟周りまできちんと行き届いているのは良いお屋敷である。



 ただ、とても不思議なことに、人の気配が感じられない。まるで執事とマリアニージャ以外、誰もいないようだ。



 緊張しながら執事を追って歩いたマリアニージャは応接室に案内された。


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