第3話 【臨時】便宜上の妻(花嫁)募集







 メルカト通りにある口利き屋はいつも賑やかだ。

 マリアニージャは軽やかな足取りで求人掲示板の隙間を縫って歩き、奥のカウンター前に立った。


「こんにちは、ダビッドさん。カツラ屋さんの紹介状をください!」

「よう、マリアニージャさん。本当に売っちまうのかい? 毛だって大事な嫁入り道具だって聞いてるぜ?」


 口利き屋ダビッドの言う通り、豊かな髪は貴族の証のようなもの。

 だが、お金が必要だ。切っても髪の毛はまた伸びるが、死んだらおしまい。マリアニージャ本体が生きのびることが最優先なのは当然である。


「できるだけ高く売れるところをお願いします」

 鼻息に任せて強く言うと、ダビッドは頼もしく笑った。

「任せてくれ。じゃあ、すぐに準備するから、求人でも眺めててくれよ。あんた向きのもいくつかあったはずだ」

「はーい、そうします!」


 口利き屋の仕組みは明朗だ。

 働きたい者はまず、口利き屋に身上書と登録料を支払う。口利き屋ごとに違っているが、それほど高額ではないので、マリアニージャにも支払えた。

 ちなみに身上書に嘘を書くのは犯罪行為なので、マリアニージャも伯爵家の名前をちゃんと届け出た。なので、ダビッドはマリアニージャが本当に貴族だと知っている。


 働き口を探す者は掲示板を見て仕事を選び、ダビッドのいるカウンターに申し出る。そこで紹介状を貰ったら指定の場所に行って、面接だ。

 見事採用されると、契約給金の一回分(常雇いならひと月分)を礼金として、募集主が口利き屋に支払うことになる。

 礼金が高いように思えるが、口利き屋が働き手の身元保証人になることで、素行不良のひとや犯罪者を雇わないようにできるので雇い主にも都合がいいのだ。

 だって、臨時雇いで雇った者が盗賊の一員だったりしたら、一家全滅の危機だってあり得るのだ。安全第一。

 『口利き屋』を誰が最初に考えたのか知らないが、実に良い仕組みである。働き手も雇い主も口利き屋にも利点しかない。


 アルマ屋敷の玄関ホールほどの部屋には求人の紙が貼られた掲示板が五つある。力仕事の人足系、商い回りの商業系、掃除や修繕のような家事回り系、遠方へ出かけるお使い系、常雇い使用人系に分かれている。


 壁際には若い衆が二人立っていて、働き手が呼ぶと代わりに読み上げてくれるので、文字が読めないひとも安心だ。


 仕事を選ぶ人々に混じって、マリアニージャも掲示板を眺めた。

 できれば日払いとっぱらい太っ腹な仕事がいい。

 とりあえず、髪を売ったら応募できそうな仕事に目星をつけておくことにしようと決める。


 水道掃除、ドブさらい。これは結構な力仕事なので、令嬢あがりのマリアニージャにはきつい。あと、臭いがつくのが困る。風呂を用意するのはとても大変なのだ。


 メイドは前に断られた。身分的に、伯爵令嬢をメイドにはできないらしい。マリアニージャなら侯爵家以上の家の侍女職に就けるだろうが、上級使用人の求人は主家からの紹介状が基本の閉鎖職だ。口利き屋の範囲外である。


 実入りが良くて、衣食住の心配がなくなる仕事はないものか。

 

 そんなことを考えていて、ふと。

 その求人票に気がついた。






 【臨時】便宜上の妻(花嫁)募集

 員数:1

 契約期間:最長五年(当方滞在期間中のみ)

 勤務:貴族屋敷夫人業務全般/王都内住み込み・食事付

 支払方法:採用時と契約終了時に半金ずつ(二分割)

 資格:22歳以下の健康な女性

 備考:

  当方、ダキア王国貴族、単身旅行中

  諸事情により、イリリア王国滞在期間中のみの『妻』希望

  支度金あり

  委細詳細面接にて

 特記:

  貞操保証(特別な事情のない限り、寝室は別)

  『面接前の質問に「私はニンニク料理が大好物です」と答えること』





「……なんだこれ」

 マリアニージャは目を丸くして、思わず呟いた。


 隣に立って、同じ求人票を見ていた背の高い女が「見るからに怪しいよねえ!」と同意した。知らない相手だが、こういうことはたまにある。

 同じ場所で仕事を探している同士だから気楽なのだ。


「ダキア貴族ってホントかねえ?」

「でも、嘘の依頼は出せない規約だよ?」

 一緒に首を傾げつつ、もう一度、求人票を見る。


「でもちょっと……」

「……興味あるね」

 視線が合うと、相手が笑顔になった。


「あたし、リンダ。お屋敷仕事だよ」

「マリアニージャ。得意なのは、うーん、読み書き算術と給仕かなあ」

 握手したら友達。平民は人付き合いの垣根が低くて大変よろしい。


「これ、いくらもらえるのかな。面接行ってみよっかなあ」

 マリアニージャが言うと、リンダは腕組みして小さく唸った。

「一緒に行ってもいいかい、マリアニージャ。それで、怪しかったら走って逃げようよ」

 若い女性は舐められがちで、仕事先で怖い目にあうこともある。昨晩の恐怖体験もあるし、マリアニージャにはありがたい申し出だ。

「いいね、助け合おう」

 マリアニージャはリンダを見上げて笑んだ。


 ならば早速、ダビッドに紹介状を貰うべし。善は急げ。マリアニージャとリンダはいそいそカウンターに向かった。


「あれ? ふたつも仕事を受けるのかい?」

 ダビッドから二通の書面を受け取ったマリアニージャに、リンダが不思議そうに言った。


 口利き屋の仕事は、基本的には一度に一件しか受けられないことになっている。欲張って、自分がこなせる以上の仕事を受けないようにするためだ。


「こっちの紹介状は髪を売るためのものなんだ。ダビッドさんのお友達のカツラ屋さん。金髪は高く売れるんだよ」

「え! 毛を売るの?」

 リンダは目を丸く見開いた。


 髪も瞳も濃いブラウンのリンダは表情が豊かで快活な美人だ。背がすらっと高く、骨がしっかりした体つきのせいか覇気もある。一言でまとめると、とても強そうだ。年はたぶん、エメリックと変わらない。


「女の子の髪って大事だよ?」

 後ろでひとまとめにしてある自分の髪をちらりと撫でたリンダは難しい顔をした。着ているものはマリアニージャと似たり寄ったりのエプロンドレスだが、首にはきれいなスカーフを巻いている。リンダはたぶん、オシャレさんなのだ。


「伸ばすから平気。毛はまた売れるし」

「あはは! 毛刈り用の羊みたいだね!」

 でも髪を売るのは明日にするよ、と、マリアニージャは言った。

 もう一通の、花嫁仕事のほうが気になるし、リンダを待たせるのも申し訳ないからだ。


「カサル通りか。昔からのお屋敷通りだね」

 リンダの言う通り、カサル通りの屋敷街は古い。アルマ伯爵家もその通りにある。周囲には古い屋敷も多いから、長期滞在の旅行者に貸している家があるのかもしれない。


 口利き屋を出たふたりは連れ立って歩きだした。


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