第21話 雨あがりのそばに

 あれからまた何日か過ぎた。雨霧はマンションを借りるのは未だ出来ず、ネカフェやカプセルホテルで泊まる日々が続いていた。流石に借りた方がいいよなとは思うけど、なぜか借りる気持ちになれずにいた。雪宮とは、あれ以降連絡をとっていないし、バーレインにも近づいていない。逃げるように仕事ばかり入れてがむしゃらに働いては死んだように眠るのだ。


 今のままではダメだと分かってはいる。だが、一歩踏み出すには怖くて足が竦んでしまう。晴明の恋心を忘れようとしても、どんどんと膨らんで抑えられない。愛することがこんなにも苦しいなら出会わなければよかったと思う自分が嫌だ。

 もしも、自分に勇気があったならばあの日晴明になんて伝えていたのだろう。想像してみても思いつかない。ピロンと仕事が入ったメールがパソコンから知らされたので重たい体に鞭を打ちながら起き上がる。


「仕事するか」


機械的に吐かれた言葉は宙に舞うだけの埃みたいに軽かった。


「流石に疲れてきたし、そろそろチェックアウトの時間だから出なくっちゃ」


 背伸びをすれば背中がボキボキと重たい音を響かせ身体への負担を教える。本当はずっと引きこもっていたいのだが、そうはいかない。荷物を整理し、カードキーを引き抜くとロビーへと向かう。クレジットカードで支払えば、カプセルホテルから出ていく。雨が降りやまない雨霧の心とは裏腹に外の天気は晴天であった。太陽が晴明の笑顔に見えて眩しく目を細めた。


 ガラガラとキャリーケースを引く雨霧に振り返る人はいない。人の流れに逆らうように進んでいる。その姿は現実に背を向けているようだった。


「雨霧さん!」


 だからだろう後ろから聞こえてきた懐かしく優しい声に泣きたくなってしまう。あの日以降夢にまで出てきた人が現れるなんて下手糞な小説だ。人違いだと思わせて先に進めばいいのに、未練がましく期待をしてしまう自分は立ち止まってしまうのだ。


「やっぱり雨霧さんですね」


「……なに?」


 掴まれた右腕を振り払うには握られた力が優しすぎて力が抜けてしまう。せめてもの抵抗か口調だけは冷たくしようとしたけど、声の震えは抑えられなかった。


「雨霧さんあの日はすみません。いや、あの日以降避けてすみませんでした」


「いいよ。それが晴明の気持ちだったんでしょ」


「いいえ、違います。私は……私は……」


「だからいいって。おれはちゃんと一人で生きていけるから。今までありがとうと直接言えなかったのはごめんだけど」


「違うんです! 話を聞いてください!」


 いつもの晴明が出さない大きな声に雨霧はびっくりして後ろを振り返ると今にも泣きそうな晴明の姿に言葉が出なかった。いつも笑顔の晴明しか見てこなかったから衝撃が強かったのだ。


「私、あの日の手紙を見て気づいたのです。自分の中でどれだけ雨霧さんが大きな存在だったのか。自分の行動でどれだけ雨霧さんを傷つけてしまったかを」


雨霧はキュッと唇を噛み締めて黙って聞いてた。今更なんだよと言うのは簡単だ。だけど、言えなかった。今まで優しくされてきたからこそ、辛そうにしている晴明を突き放すことはできなかった。


「私、雨霧さんのことを愛しています」


「……えっ?」


「本当、今更過ぎますよね」


 晴明の言葉を聞いたとき雨霧は都合のいい幻聴かと思った。だって卑屈で可愛げのない自分に晴明が好きになるはずないのだから。自分達はあくまで友達だと言い聞かせてきた。張り裂けそうな想いを隠し晴明に嫌われないようにと振舞ってきた。今更かよと思う気持ちと嬉しい気持ちが混ざりあって胸がいっぱいだ。溢れだした感情を表すように雨霧の瞳から涙が溢れていく。その様子に晴明が狼狽えてしまっているのを見て、雨霧は吹き出すように笑った。


「あはは、なんだ。言えばよかったんだ。本当おれって意気地なしだな」


「あ、雨霧さん?」


 鈍感なのかまだ気づいていない晴明の手をそっと包むように握る。


「おれはずっと晴明のこと好きだよ。今も愛してる。だから、付き合ってください」


 その言葉を聞いて安心したのか深いため息と共にしゃがみ込む晴明を見て、また雨霧は可笑しそうにクスクスと笑う。


「よかったです……。雪宮さんに取られそうになってから気づくとかほんとうに。いや、よかった」


「おれだって出雲に晴明を取られるんじゃないかと不安になっていたからお互い様だね。……なぁ、晴明の家に帰ってもいい?」


「勿論、一緒に帰りましょう」


 晴明は立ち上がると包まれるように握られていた手を掴み直し、恋人繋ぎでマンションまで帰ろうとする。雨霧は本当に恋人になれたんだと実感すると今更恥ずかしさと嬉しさがこみ上げてくる。マンションに帰るまで二人は別れる前のようにたわいのない会話を続けた。唯一違うとすれば二人ともほんのりと頬が赤いことであった。

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