第17話 リブラ、気に入られていたらしい
まず目に飛び込んできたのは所狭しと並べられた簡易ベッドだった。椅子も机も取っ払い、人一人通れるくらいの隙間を残して等間隔で敷き詰められている。
部屋の最奥に鎮座する巨大な聖母像は、しかし私の位置からは手のひら大ほどの大きさしかない。この礼拝堂がどれほどの面積を誇っているか理解できるであろう。
だからこそ、部屋を覆い尽くす患者の数に私は息を飲むしかなかった。
なんだこれは。
この絶望が支配する中で、一時の夢をみせるために、希望の光という名の嘘を吐かなければいけないのか。
血の気が引いた。
足がすくんで動けない。
身体は前に行こうとするのに心が強張って二の足を踏む。こんなちぐはぐな自分は初めてだ。身体も、心も、自分のものではない感覚がする。まるで上空から見下ろしているような気分だ。
「リブラ嬢? 大丈夫かい? 引き返す?」
「……それは嫌、です」
「ははっ、嫌とくるか。いいね。好きだよ、そういうの。それじゃあモーガンお兄さんが原始的な魔法をかけてあげよう。一歩を踏み出せれば後はなるようになれ。だろう? そぉれ!」
ドン、と背中を強く押される。わ、と声が漏れた。
固まっていたらこのまま地面に激突だ。私の身体は勝手に足を前に出してバランスをとる。心と身体の歪さなど関係ない。強制的に一歩を踏み出す魔法――ではなく物理。
確かに原始的だ。
文句が湯水のように湧いて出そうだったし、お兄さんではなくお爺さんの間違いでしょうとも言いたかったが、すべて飲み込んだ。
私は今、ようやくこの戦場に足を踏み入れたのだ。
なるようになれとはよく言ったもの。
顔上げろ。今やるべきことは何だ。
私は周囲を観察し、全体を俯瞰しながら冷静に指示を飛ばしている人物を見つける。黒髪を後ろでお団子にした目つきの鋭い女性だ。服装から家政婦長、辺りだろうか。
私は彼女に駆け寄って頭を下げた。
「り、ぶら、――ッ、リブラ・メイディックと申します! 何か、私にお手伝いできることはございませんか!」
「メイディック? では、あなた様が陛下のおっしゃっていた」
お噂とは随分違うような、と呟いたあと、ハッとして彼女も私に頭を下げた。隙のない綺麗なお辞儀だ。
メイディック家にいた時はメイドたちにすら軽んじられていたので、なんだかむず痒い。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。わたくしはベディ・マグイール。ここでの指揮とメイドたちの取りまとめを行っております。見ていてあまり気分の良いものではないでしょう。屋敷の事は執事長が一任しております。よろしければ彼の元までご案内いたしましょうか?」
「いえ、私はここを……いえ、ここが仕事場だとお聞きいたしました。私に出来ることがあれば何でもおっしゃってください。お手伝いいたします! これでもメイディック家の端くれ。ご迷惑にはならないかと」
「……は、はぁ」
ベティさんの視線が困惑に泳ぐ。
マリルの噂を聞いていたのならば違和感しかないはずだ。姫天使と呼ばれるほどの美貌も、天賦に等しいギフトもない。ただ、メイディックに属していただけの無能な姉。
それでも、ここで折れるわけにはいかないのだ。
「あの、あなた様は……」
「彼女の身元は僕が保証するよ、ベティ家政婦長」
「モーガン様」
いつの間に距離を詰めていたのだろう。気付けば真後ろにモーガン殿が立っていた。
魔法使いのくせに隠密行動も得意なのかこの人は。
「訳あって、妹のマリル嬢ではなく姉のリブラ嬢がシーザー様の婚約者となったんだ。まぁ手続きとか諸々爆速で終わらせて、既に正式な皇妃様になっているかもしれないけど。今は緊急時だからそういうの簡略化されているでしょ?」
「まあ、あのシーザー様が?」
「そうそう。あの堅物君がね。ふふ、久々に見たよ、あんなに浮かれたシーザー君。彼女、メイディック家のお姫様よりずっととっつきやすいと思うから、よろしくしてあげて。僕も凄く気に入ってるし」
後ろから抱きすくめられ、頭の上にモーガン殿の顎が乗った。大魔法使い様は私のことを何だと思っているの。便利な顎置きか。気に入っているが違う意味合いに聞こえてきて、私は嘆息した。
ベディさんは目を真ん丸に見開いている。そりゃあ皇妃様予定が顎置きにされていたら驚くわよね。面倒なので振り払ったりはしないけれど。
「失礼ですが、モーガン様がどのような方かはご存じでしょうか?」
「どのような? ええと、おとぎ話に出てくる大魔法使い様、ですよね。まさかこんな人をからかって楽しむタイプだったとは思いませんでしたけど」
「やだなぁ。誰彼かまわず遊び相手にするような節操なしじゃないよ、僕。気に入っている子だけ特別に構い倒したくなっちゃうんだよねぇ」
「えぇ」
「ほんとほんと! その筆頭がシーザー君で、今日リブラ嬢も追加されたよ」
「今すぐ私の名前消してくださいませんか?」
「やだ」
からから笑うモーガン殿を見ていると、どこまでが本当でどこからが冗談なのか判別がつきにくい。
「あ、そうだ。今更確認なんだけど、害悪って性格が悪いってこと?」
「過大解釈ですけどね」
「あはは! それなら納得。僕、性格悪いし!」
なぜそんなに嬉しそうなのか。更に強くなった腕の力に、抜け出すことは諦めた。なんというか。気まぐれで高貴な猫に懐かれた気分である。
だが、彼のおかげでプレッシャーは遠のいた。もう大丈夫だ。私は改めてベティさんに向き直り「よろしくお願いします」と伝えた。
* * * * * * *
コンテスト応募の作品ですが、書籍化作品の改稿中で時間があまりとれなかったため、一旦ここまでになります。
この後も書き続けていく予定ですので、お待ちいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
落ちこぼれ令嬢、妹の身代わりのはずが最恐不眠皇帝に求愛される 朝霧あさき @AsagiriAsaki
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