第14話 リブラ、思案し吹っ切れる



 分かっている?

 過大評価にもほどがある。私は何も分かっていなかった。


 シーザー様自らも感染している可能性がある以上シャンデラから離れられない――帝都の実態を把握した時にそう考えた記憶がある。

 なぜ。なぜそう考えた。

 私を婚約者として呼び寄せたからか。夫となるのだから大丈夫だと、現状病には屈していないと、そんな希望的観測から私は一つの可能性を自然に排除していた。

 その事に、今更ようやく気付けただけだ。

 ひゅう、と喉が鳴った。吐きだした息が小さく震えている気がした。



「し、……ざー、さ、ま……も……」



 舌がもつれて転んで上手く言葉が紡げない。

 私の理解が正しいのならば、どうしてこの人はこんなにも優しく憂いを帯びた瞳で私を見つめてくるのだろう。他人の心配なんてしている場合ではないでしょうに。


 所詮人間など自分が一番可愛いものだ。どれだけ取り繕っても醜悪な部分は隠しきれない。自分の命が危険に晒されている時、他人を気遣う余裕などありはしない。そう、思っていたのに。

 握りしめた手に力がこもった。きっと今、酷い顔をしている。

 シーザー様は困ったように眉をひそめて言った。



「すでに指先に痺れが出ている。私はもう長くない」



 悲壮も苦悶も、恐怖すら混ざっていない。淡々と、事実のみを告げる声だった。

 その言葉を、内容を、突き付けられると理解していながら、それでもなお暗闇に突然放り出されて迷子になってしまったかのような心細さが心を埋め尽くす。


 この方の隣で、シャンデラに住まう人々の終焉を看取るのではなかったのか。

 繋いでいると思っていた手は錯覚だった。そこには誰もいない。私とこの方の間には、分厚い壁がある。

 するりと手が振りほどかれた。



「我々はシャンデラと共に朽ち、病が広がらぬようすべてを焼いて無に帰す。宮中に残っている者たちは皆、泣きながら了承してくれたよ。ローラントのためならば、と。本当に、申し訳ないと思っている。だから君の心配は有難いが、この身体が動くうちに引き継ぎを終わらせてしまわねばならんのだ。滞りなく、このローラントが未来へ続いていくためにも」



 シーザー様の手が伸び、私の目尻を拭った。知らぬ間に涙が溢れていたらしい。



「民たちには何も伝えていない。だがせめて、絶望の中生を終えるのではなくほんの少しでも希望を夢見ながら安らかに逝ってほしい。そう、考えている。……すまない。酷な事を言っている自覚はある」



 本当に酷い人。夫婦になれと呼び寄せたくせに。これではただの看取り人だ。

 病に侵された人々を見送るだけではない。

 花の帝都シャンデラと、この地を収めたローラント皇帝一族の終焉を、その目で見届けて欲しいという願いだ。自分のためではなく、今までこの地に根を張って懸命に生きてきた人たちのために。たった一人でもいい。皆の最期を知ってくれという祈りにも似た願いなのだ。


 落ちこぼれだとメイディック家を追い出された私には、あまりにも荷が重すぎる。

 なぜ、早々に諦めてひょいひょいと付いてきてしまったのだろう。私なんかより、もっと相応しい人が他にいたはず。



「……そのような大役、私、などに、務まるはずが……」


「リブラ君。太陽のような輝かんばかりの光を願っているわけではないのだ。月光のように、涼やかに、穏やかに、死せる彼らにひと時の夢を見せてほしい。君と話してみて殊更思う。この役は、君ではなくてはならぬのだ」



 キラキラと輝く金色の瞳は、まるでダイヤモンドのようだった。砕けない。穢れない。自信に満ち溢れた光彩。世界中の美しいものを詰め込んでも彼の瞳には叶わないだろう。それほどまでに吸い寄せられた。

 彼の行く末に待ち受けているものが、死神の断頭台だけだとは露ほども思わせない。

 強い人だ。

 強くて、優しくて、美しい。

 こんな人に頼まれて断れる人間がいたら、それはもう人間の形をした何かだ。悪魔か。魔物か。化物か。残念ながら、そこまで人間を捨てきれていなかったらしい。


 乾いた雑巾から水滴を絞り出すように、肺の奥底から一滴残らずため息として吐きだす。シーザー様が私で良いと――いや、私でないと駄目だといったのだ。ならば信じよう。

 私自身ではなく、彼の言葉を。



「……分かりました。全力を尽くします」


「ありがとう。やはり君は優しい子だ。書類上はあくまで婚約者という形に留めておこう。……しかし、未亡人扱いにはならないが経歴に傷をつける事になるやも――」



 聞き終るまえにバシン、と机に平手を叩きつけた。

 生ぬるい事を言ってもらっては困る。私はもう腹は括った。それはもう括りすぎて雁字搦めになって解けない程である。二度とほぐれないのなら後は突き進むのみ。嘘はたった一つで十分だ。

 私はシーザー様の顔を下からねめつけた。



「リ、リブラ、くん? 気に障ったのなら何か別の手を――」


「もはや上辺だけの貴族令嬢です。お気遣いは必要ありません。そもそも結婚願望など皆無ですのでご心配なく。必要とあらば今すぐにでも夫婦めおととなりましょう」



 迷いなく言い切る。山の中で、俗世の情報をすべて断ち切り、お一人様生活を満喫していた女が、今更そんなもの気にするはずもない。仮初皇妃だろうが秒速未亡人だろうが、すきな俗称をつけて呼べばいいわ。

 シーザー・ローラントたった一人の妻という称号に比べたら、吐き捨てるほど価値のないものだ。



「いくら善意とは言え、シャンデラの民相手に盛大な虚偽を振り撒くのです。私たちはいわば共犯者。全てが終わった後、私だけが傷を負わずにのこのこ元の生活に戻れとおっしゃるおつもりですか? そんなのは嫌です」



 もう一度彼の手を取り、今度は離さないようしっかりと絡めて握り込む。



「どうか、陛下が私の最初で最後の夫となってくださいませ」



 ぐいぐいと距離を詰め、逃がさないように膝の上に乗る。目を白黒させているシーザー様からは射殺すような威圧感はもうない。いつの間にか霧散してしまっていた。それが消えてしまったのなら、残るのは目を見張るほどの美貌のみ。

 目の下の隈さえ薄まれば、モーガン殿すら引けを取らない美丈夫だろう。



「い、一旦保留でいいかね?」


「保留ぅ?」


「こ、心の準備をさせてくれたまえ」


「前向きにご検討いただけるのでしょうか」


「……ああ。というか、君みたいな可憐な子が、私などで本当にいいのかね?」


「かれん? 審美眼は難有のようですね。そもそもシーザー様よりイイ男なんて、この世に存在するのですか?」



 いないだろう。いるはずもない

 ほんの少しの戯れさえない私の声に、シーザー様は片手で顔を覆った。そして縋るような声で「モーガン」と呼んだ。そういえばこの部屋にはモーガン殿もいたんだった。忘れていた。一体どこに。


 ふいと視線を後ろに送れば、地面に突っ伏して肩を震わせているモーガン殿がいた。ひゅうひゅうと苦しげな息遣いが漏れている。まさか彼にも何か異変が――と、声を掛けようとした瞬間。



「あはははははは! もーだめ! 面白すぎる! 僕もう我慢の限界! 最ッ高だよリブラ嬢! あはははは!」



 大魔法使い様は腹を抱えて地面を転がりだした。




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