第13話 リブラ、困惑する
「でも、多分そろそろ目を覚ますと思うよ。放っておいても問題ないんじゃないかな」
「気絶するように入眠されてからまだ数分ですよ!? あれだけ眠れていないのなら数日目を覚まさなくてもおかしくはないと思いますが!」
「僕としても眠ってもらえるのなら有難いのだけど、ちょっと事情があってね。聞いてない? 眠れないって。……見ていたらわかるよ」
そう言うとモーガン殿は私がもたれかかっているソファの肘置きに腰掛けた。
意地が悪い。またそうやって煙に巻こうという魂胆だろうか。いや、でも確かにシーザー様自身も眠れないと発言していた。
私は真偽を決めかねてモーガン殿の表情を盗み見る。そして納得した。
モーガン・アンブローズ。感情など理解できない冷酷非情の人物。虫を潰すように人の命を刈り取る化物。――そんな物語は嘘っぱちだとこの顔を見ればわかる。
いつものことだ。心配はいらない。明るい声の裏側には苦渋の表情が隠れていた。身体を動かすのに支障のない程度の補助しか出来ないことに、誰よりも歯がゆさを覚えているのはきっとモーガン殿自身。
どうする事も出来ないと、彼が一番知っている。
「……すみません」
「ん? 何がだい?」
「なんとなく、謝っておきたかっただけです」
「ふふ、何それ。変な子だね」
よしよしと子供をあやすように頭を撫でられる。まぁ数百歳のおじいさんからすれば私など子供でしかないか。仕方がない。甘んじて受け入れよう。
「……ぅ」
ぴくりとシーザー様の身体が動いた。
まさかもう目を覚まされるのか。とりあえず頭を抱きかかえているこの状況をどう説明すればいいのかと身体が強張る。しかし、その心配は一瞬で消え去った。
最悪の形で。
「……ぐ、……ぅ…ぁ……ぁあ……」
「シ、シーザー様!?」
乱れた息。ぐぐもったうめき声。額からはじんわりと脂汗が滲んでいる。尋常ではない。一体何が起こっているの。
慌てふためく私の隣でモーガン殿はぽつりと呟いた。
「夢だよ」
「ゆ、夢?」
「酷い悪夢。眠りに落ちるたびそれに蝕まれる。おかげで彼は長く眠ることができない。……何を見ているのか聞いたことはないけど、大体想像はつくよ。自分で自分を虐めてどうするんだよ、ほんと」
モーガン殿は肘掛から降りて、子供をあやすようにシーザー様の背中を撫でた。しかし効き目はない。まるで体中を病魔に侵されているような苦しみ方だ。
夢でここまでなるものなのか。だとしたらいったいどんな悪夢を見ているというのか。
モーガン殿から何か重要な事を教えられた気もするが、どんどん酷くなっていくシーザー様の様子に、もはやそれどころではなかった。
本当に夢のせいなのか。このまま取り返しのつかない事になったらどうしよう。酷使に酷使を重ねた身体だ。何が起きてもおかしくはない。
「うぅ、も、モーガン殿ぉ……!」
「大丈夫。もう目を覚ますよ。だからそんな顔しないで。どうしていいか分からなくなっちゃうだろ。……泣かれるのは慣れてないんだよ」
泣きそうになりながら助けを求めると彼は困ったように眉をひそめた。シーザー様が大変な時に泣いている子供の相手など面倒なだけ。当たり前だ。
私は目尻にたまった涙をぐいと袖で拭き取ると、シーザー様の身体をぎゅっと抱きしめた。そして請うように伸ばされた手を力いっぱい握り込む。
人の体温は温かくて落ち着くはずだ。大昔の話だが、そんな記憶だけはかすかに残っている。すると一瞬、シーザー様のうめき声が止んでぱっと目が見開かれた。
「陛下!」
「おはよう、シーザー君」
「……モーガンとリブラ……くん!?」
私に抱きしめられていると気付いたシーザー様は慌てて退こうとしたせいでバランスを崩し、そのままソファから転げ落ちた。
「だ、大丈夫、ですか……?」
「あ、ああ。すまない。情けないところを見せた」
シーザー様は恥ずかしそうに手で顔を覆うと、ややあって自力で立ち上がった。
やはり目の隈以外に不調は見られない。よろける素振りすらなかった。今まであれだけ苦しそうに呻いていた人には到底思えないほど違和感なく身体が動いている。
良かった――と、思うべきなのだろう。けれど釈然としない気持ちだ。
俯いてぎゅっと拳を握っている私を不思議に思ったのか、彼は隣に腰掛けて私の顔を覗き込んできた。
「リブラ君?」
「……眠れない、の意味は分かりました。ですが、いくらモーガン殿がお世話をしているからと言って無理をし過ぎです。せめてお身体だけでもお休めになってください。寝室はどこですか。もし人肌が落ち着くのであれば、陛下がお休みになっている間中ずっと手を繋いでいても構いません」
膝の上で几帳面に隣り合って丸まっている手をのうち、片方を拝借して指一本一本を絡ませるように握りしめる。慌てて引き離そうとされるが逃がすわけがなかった。
シーザー様の頬は少し赤くなっている。こんなにお顔が整っているのに女性には不慣れなのか。やはり威圧か。威圧感のせいなのか。
隣ではモーガン殿が押し殺すように笑いをこらえていた。
しかしお互い膜で覆われているはずなのに体温すら感じられるのは、さすがモーガン・アンブローズの魔法である。
「その、君の心配は有難いのだが……」
「でしたら」
「すまない。もうあまり時間がないのだ」
「時間?」
シーザー様に顔を逸らされたので、隣のモーガン殿に視線を移す。彼はやれやれとばかりに肩をすくめた。
「言っただろう? この膜は手放しで褒められたものじゃないって。僕の魔法は患っていない者には特効薬だけど、既に蝕まれている身体には進行を遅らせる程度の力しかない」
「それは、どういう意味、……でしょうか」
ひたりと。背中に冷たい布を押し当てられたように身体が震えた。何かを見落としている気がする。とても重要な何かを。それは多分、わざと見ないふりをしていた可能性。
私の問いかけに、モーガン殿は自嘲じみた笑みを浮かべた。
「分かっているくせに。全部言わせようとするのかい?」
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