第15話 リブラ、陛下の妻となる



「モーガン、笑いすぎだ」


「いやだってさぁ、ローラントの鬼神なんて呼ばれてた男が一人の女の子にタジタジなんだもん! 君の部下たちにも見せてあげたかったなぁ」



 よっこいしょ、と杖を支えに置き上がるモーガン殿。歳が透けて見えますよ大魔法使い様。しかし、ローラントの鬼神か。確かに鋭い眼光に万物を射竦める強烈な威圧感をたれ流している普段のシーザー様ならば、敵意を向けられただけでぶっ倒れる自信がある。意識など薄紙よりも脆い存在だ。水に濡れなくとも自壊する。

 なるほど鬼神。納得である。今はその面影もないけれど。

 困ったように眉を顰め、目尻をほんのり朱に染めている彼は可愛いとしか言い表せなかった。大きなテディベア評にも納得である。



「リブラ君、私はそろそろ仕事に戻ろうかと思うのだが、何か他に聞きたい事や願う事はあるだろうか」


「いいえ。屋敷の中を少々見て回りたいくらいです。モーガン殿をお借りしても?」


「ふむ。問題ないか?」



 シーザー様の問いにいいよ、とモーガン殿は微笑んだ。



「特に出入禁止の場所はないので、私の私室でも何でも好きにしてくれたまえ」


「妻ですものね!」


「……つ、ついでに婚姻関連も進めておくが、……本当に良いのだね?」


「はい!」



 食い気味で頷く。シーザー様は二度ほど目を瞬かせ、最後に柔らかく目を細めた。嬉しいと顔に書いてあるようだ。私などで喜んでもらえるのなら妻冥利に尽きる。気付いたら私も頬が緩んでいた。誰かに必要とされる事はこんなにも胸が満たされるらしい。

 さて。さすがにそろそろ膝の上から撤退しなければ邪魔になる。少し後ろに引いてソファへ座り直し、握りしめていた手を離そうと指を開く。

 しかしその瞬間、引き寄せられ抱きすくめられた。

 え、と間抜けな声が漏れる。



「よろしく頼む。我が妃殿」



 力強い腕。筋肉質な胸板。私なんてすっぽり覆い隠せそうな大きな身体。トドメとばかりに耳元で囁かれ、一気に血液が沸騰する。

 腰に響く低い音。契約を告げるような、堅さが含まれた声色なのに、端々に甘さを感じるのは錯覚だろうか。

 困った。尋常ではなく恥ずかしい。今脈拍を測ったら絶対に危険域だ。

 ド、ド、ド、と耳の奥で心臓が暴れ回る音がする。



「あ、の……シーザー、さま……」


「この暖かさを久しく忘れていた。ありがとう、リブラ君。さて、名残惜しいがそろそろ仕事に戻るとしよう。モーガン、頼んだぞ。……では、また後で」



 シーザー様は私の頭にぽんと手を置くと部屋を出ていった。心なしかステップでも踏みそうなくらい軽やかな足取りだ。喜びが隠しきれていない。「距離感!」と叫び出したくなる心を抑えて、私は彼の後姿を見送った。より正確に言うと見送るしかなかった。

 なんだあれは。兵器の類か。

 心臓が誤作動でも起こしたのかと疑うくらい激しく脈打っている。また後で、どんな顔をして会えばいいのだろう。



「浮かれてるねぇ、あれ。爆速で婚姻関連の書類用意する気だよ。花が見えるもん」


「うひゃ!」


「ごめんごめん。僕お邪魔だったぁ?」



 ひょいと私の前に顔を出したモーガン殿が意地の悪い笑みを浮かべた。私をからかって遊ぶ気なのがありありと分かる。乗るわけはないが。そもそも大魔法使い様相手に舌戦する気力など残っていない。

 全部シーザー様のせいだ。



「……はぁ」


「ははは! 随分とお疲れのようだ。まぁ天然クリティカルヒットを仕掛けてくるタイプだからねぇ、シーザー君は」


「その言い方、モーガン殿もご経験が?」



 ぴたりと動きを止めたモーガン殿は、おもむろに片手で顔を覆った。



「……察してほしい」




 察しました。どうやら私の旦那様はだいぶん罪な男らしい。

 これ以上この話題を続けても自滅していくだけだと悟った私たちは、無言で頷きあった。無駄にダメージを負うことはない。やめておこう。



「では、屋敷内の案内をお願いいたします」


「もちろんですとも妃様」


「まさか今後その名で呼ぶわけではありませんよね?」



 立ち上がってスカートの皺を伸ばす。



「おや、お気に召さなかったかい? それじゃあ戻そう。……リブラ嬢、シーザー君はシャンデラの民に希望を灯せと言ったが、僕としては彼にも幸せになってもらいたいんだ。あの子は随分と苦労しているから。最期くらいはね」



 最期、の言葉が身体に突き刺さる。

 私はシーザー様の妻として、彼の最期を看取らなくてはならない。あのお方は努力家で、苦労人で、何もかも自分の責だと抱え込んで、両手を広げてもなお零れ落ちるなら布でも何でも使って全てを掬おうとする人だ。

 幸せになってほしいというモーガン殿の願いには賛同しかない。

 でも正直、私に出来るかと問われれば軽率にはいとは頷けなかった。



「……最大限努力してみます」


「ありがとう。それで十分さ」



 それじゃあ行こうかと微笑んだモーガン殿の表情は、友人でも部下でもなく、まるで子を見守る親のようだった。



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