第10話 リブラ、お話しする



 薄ら寒い予感がして私は身体を強張らせる。

 そこへシーザー様がカップを机に置いてくれた。穏やかな声で「どうぞ」と言われたので、手に取ってふぅと息を吹きかける。湯気がまばらに散った。この膜、本当に必要なものは自然と入出できるみたい。

 一口飲んで、ほうと息を吐く。温かい。


 シーザー様は自身のカップを机に置くと、私の向かい側に腰掛けた。

 いきなり婚約者になれと連れてこられた私に、ちゃんと話し合いの場を設けてくださるらしい。想像していたより何十倍も待遇が良くてびっくりしてしまう。メイディック家にいた時の方がずっと酷かった。

 これなら普通にやっていけそうだ。

 仕事が辛いより、人間関係が壊滅的である方が耐えがたいもの。



「あの、シーザー様」


「ん?」


「実は私、ずっと山奥に引きこもり生活をしておりまして。帝都の現状も、シーザー様についても、知識が足りておらず……」


「そう、だったのか。いや、実はメイディック家は四年前に長子を亡くし、子はマリル殿一人だと聞いていたのだ。ゆえに先程はどういったことかと驚き、あのような失態を。申し訳ない。……しかし、そちらの事情も闇が深そうだな。心中お察しする」



 シーザー様は苦虫をかみつぶしたような顔でカップを手に取った。

 なるほど。急な婚約者変更、しかも相手が死んだとされているマリルの姉。偽物かと疑ったが腹心の部下モーガンが連れてきた上に、契約書にあるメイディック家のサインと捺印が正真正銘本物のリブラ・メイディックだと示している。

 そりゃあ混乱するなという方が無理な話だろう。


 迷惑に思われていないことが分かってちょっと安心した。そしてクズはクズだったと再確認した。人を勝手に殺すなクソ親父。何から何まで自分勝手で反吐が出る。

 怒りで髪が逆立ちそうだ。うっかり般若の顔になりかけたので、コホンと咳払いを零して心を落ち着かせる。



「えと、それでは……シーザー様のお歳は?」


「二十四だ。以前は帝国軍軍団長の座についていた。他国へ出ることが多くあまり公の場には顔を出せなかったゆえ、君が詳しく知らないのも無理はないだろう」



 シーザー様は五つ年上。ふむふむと頭の中のメモ帳に書き込む。ただならぬ貫禄のせいでもっとずっと年上かと思っていた。


 ローラント帝国は資源に乏しく、人材を派遣することで資金を得る――いわゆる軍事国家である。

 今でこそマリルを擁するメイディック家の力で薬の輸出も軌道に乗り始めているが、帝国の軍事力は絶大だ。その軍団長ということは相当力のある方なのだろう。


 皇帝の血筋であり、帝国の花形である軍の軍団長。

 そんな方と伯爵家でありながら婚約を結ぶことになったのは、単に帝国におけるメイディック家の地位が向上しているからであろう。本当にマリルの力は凄い。



「そういえば、帝国軍は帝都ではなく周囲の領地と領主さま預かりだと聞いたことがあります。ゆえに帝都が閉鎖されていても軍事国家として体裁は保てているのでしょうか?」


「その通りだ。帝都は政をする場。知っているかもしれないが、帝都を囲んだ四つの領地はローラント家ゆかりの者たちが治めることとなっている。現在北と南は父上の弟――私からいうと叔父上たちだな。彼らの治世下にあり、東と西は従弟のロレンス殿とランドール殿が統治している。……こんなことがなければ、ゆくゆくは私もそうなっていたのだが」



 シーザー様は紅茶を一口含むと力なく笑った。

 つまり、シーザー様は王位継承権第一位ではなかったということだ。日々生きることに必死で身の周りのことしか見ていなかったから、皇帝一族のお名前など憶えている暇もなかった。



「あれ? ということは……」


「元々メイディック家との婚約は王位継承権第一位の者、となっていた。しかし、一人目の兄も、二人目の兄も、父や母と同じく病で死去した。ゆえに全てが私に下りてきたというわけなのだ。……帝都がこの有様であっても、叔父たちの協力でだましだまし治世は行えている。本当に助けられてばかりなのだよ、私は」



 もちろん君にもだ、と言って彼はカップを置いた。

 なんて人だろう。――私はぽかんと口を開けたままシーザー様を見つめた。


 親兄弟を相次いで失い、悲しむ間もなく皇帝へと祭り上げられたにも関わらず、すべての問題を素早く的確に処理し、今まで持ちこたえてきたのだ、この人は。

 おそらく何もかもが紙一重。恐ろしいまでの判断力と求心力。それなのに驕りもしないなんて。


 この人に頼まれたのならば、あのモーガン・アンブローズだろうと折れざるを得ない。よくよく理解した。本当に人間だろうかと不思議に思うレベルだ。顔は怖いけどね。めちゃくちゃ怖いけどね。

 ギャップが凄すぎて風邪を引きそうだ。


 あの下劣が服を着て歩いている男に爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ。

 カップを持つ手が震える。



「ところでリブラ君、本当に聞きたいのは宮殿についてだろうか」


「え!?」


「いやなに、外を気にしているような素振りが見て取れたのでね。私が茶を入れる姿も不思議そうに見ていただろう?」


「あ……はい。気付かれていたのですね。すみません。なんだかとっても静かな気がして。それに……」



 シーザー様の顔に色濃く残った隈。

 ちゃんと休まれているのだろうか。先程から自分を蔑にしているような言い方が気になって仕方がない。無理をされていないかが心配だ。


 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、彼は鋭い視線をカップの紅茶に落とした。鏡のように映った顔が波紋により歪められる。それはどこか、苦しんでいる表情に似ていた。



「モーガンのこの膜はイルヴァラ感染症に非常に有効だが、シャンデラに住むすべての民たちに施すことはできないのだ。ここで働く者たちが精々。病にかかった者たちは宮殿の地下などを解放し、我が使用人たちに看病を頼んでいる。ゆえに、彼らの手を煩わせることなどとても」


「そう、だったのですね。……良かった」



 宮中でご存命なのはシーザー様とモーガン殿だけ――そんな最悪の結果も想定していたから、少しだけほっとする。

 でもきっとそれに近い状況には陥っているのだろう。良かった、といった私を見るシーザー様の表情は寂しげだった。



「……それで、すべてをご自身で?」


「さすがに何もかもとはいかないがね。掃除や支度、配膳などもしなくてよいと言っている。自分の世話くらい自分でせねばな。皆には本当に助けてもらってばかりだ」


「……陛下」


「特に、この一年常時魔法をかけ続けているモーガンには頭が下がる思いだ。どうか、君さえよければ彼を気にかけてやってはくれないだろうか。いくら死すら超越した大魔法使いとはいえ、疲労は感じるだろう。だから――」


「陛下」



 私はカップをソーサーの上に置いた。



「あなたは先程から他人の心配ばかりされています。……陛下、あなたがお眠りになったのは、一体いつですか?」


「そんなに酷い顔をしているかな」


「少なくとも、健康にはとても」



 皇帝陛下の話を遮るなど不敬も良いところだ。分かってはいた。分かってはいても止められなかった。私は絶対に譲らないぞの気持ちで彼の瞳をじっと見据える。



「あー……そう、だな。五日前、だったか」


「――ッ、眠ってください! 今すぐに! ベッドはどこですか、私がメイキング致します!」



 一瞬、五日前って何日前だっけと脳が混乱しそうになった。

 五日間も寝ていないのなら、そりゃあ酷い隈にもなるはずだ。

 私は立ち上がってシーザー様の手を取った。



「リブラ君」


「私にすべてお任せください。貴族のお姫様ではないので、大抵のことは出来ます!」



 シーザー様の背負っている重圧がどんなものかは私にはわからない。だからといって分からないまま、はいそうですかと納得できるような聞き分けの良さもない。

 皆を大切に思う気持ちは素晴らしいけれど、自分を犠牲にして倒れてしまったら元も子もないじゃない。一人引きこもり生活が長かったので、ベッドメイキングはお手のものだ。完璧に仕上げて快適睡眠をお手伝いしましょう。

 しかし、シーザー様は私の手の上に自身の手を重ねると、力なく首を振った。



「……すまない。眠れぬのだ」


「眠れない?」


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