第9話 リブラ、お掃除する



「ご配慮ありがとうございます、陛下。しかし父は一体、どのような契約を結ばせようと?」


「ああ、それなんだけど。メイディック卿の不義理は陛下に対するものじゃなくて、むしろ君に――」


「モーガン」



 シーザー様は目を閉じて首を横に振った。



「内容は言わなくて良い」


「いや、でも、僕が言うのもなんだけどメイディック卿ってびっくりするほどクソ――」


「知らぬ方が良い事もある」



 陛下は少し寂しそうに眉を寄せ、気遣うような視線を私に向けた。

 知らなくても良い事。なんとなく想像はできる。どうせマリルに都合のよい内容が盛り込まれているのだろう。父も母もマリルが一番大切。いつものことだ。そう、いつものこと。


 心の底に沈殿していく暗い気持ちに蓋をして「ご配慮痛み入ります」と頭を下げた。顔を上げた時、やはりシーザー様は居た堪れないような寂しそうな瞳をされていて、ほんの少し心が温かくなった。

 やはり不思議な人だ。私の境遇など彼には関係ないはずなのに。



「モーガン、これらを正式な書類へ修正してくれ。サインと捺印は拾えるか?」


「あらら、偽造しちゃうんです? 皇帝陛下様」


「何を言う。堆積紙を使用し偽装してきたのはあちらの方だ。我々は何食わぬ顔で当初の契約を順守すればいいだけのこと。だろう?」


「ですねぇ。それじゃあ難癖付けられないように、君が破り捨てた紙から契約文も拾っておこうかな。筆致やインクも同じものの方がいいだろうしね。紙も同じものを用意しよう」



 パッと空中に浮かび上がった杖をモーガン殿が手に取った瞬間、床に散らばった契約書の切れ端たちが光り輝く。同時に紙から文字が抜け出て、くるくると彼の周りを舞い始めた。

 この文字たちを別の紙に移動させ、文字通り寸分違わぬ契約書を用意せよとのお考えなのだろう。

 それをさらりと出来てしまうあたり、さすがはモーガン・アンブローズその人である。いくら父ヒュースとて、これに難癖はつけられまい。筆致も、インクも、正真正銘『本物』なのだから。



「少し休んでからでいい。君には無理をさせている」


「やだなぁ、シーザー君に比べたら全然だよ。気にしないで」



 それじゃあ後はお若いお二人で、なんて軽口を叩きながらモーガン殿は文字たちを引き連れて部屋を出ていってしまった。お若いお二人って。言動がお年寄くさいな。

 見た目は二十台そこそこの美青年なのだが、中身は百歳越えのおじいさんだものね。そう考えると普通なのかしら。



「あれぇ? 今、何か失礼なこと考えなかったぁ?」


「いえ何も!?」



 入り口からひょっこりと顔を出したモーガン殿に、慌てて首を横に振る。まさか聞き耳を立てていたのか。いや、声には出していないから勘か。虫の知らせか。

 ふぅん、と訝しげな眼を向けられたが、彼は「ま、いっか」と呟いてもう一度部屋を出ていった。セーフセーフ。

 また戻ってこられてはかなわない。

 私はそろりそろりとドアの前まで移動すると、耳を近づけて足音を聞いた。うん、大丈夫だ。今度こそ完全に部屋から遠ざかっていったようなので、ほっと胸を撫で下ろした。すると後ろから笑い声が聞こえてきた。

 しまった。シーザー様の存在を忘れていた。



「す、すみません、つい!」


「ふ、ははっ! 随分達観した子だと思っていたが、可愛らしい一面もあるのだな。安心した。さて、遠路はるばるこちらの我が儘を聞き入れてくれたのだ。汚い部屋で申し訳ないが茶でも出そう。おいで」



 恥ずかしい。先程から情けない姿ばかり見せている気がする。せめて何か有用な点をみせなければ、メイディック家から役立たずな方を押し付けられたシーザー様に申し訳が立たない。


 私は杖を出現させると、先端でトンと地面を叩いた。



「リブラ君?」


「わ、私、実はお掃除魔法が得意でして、よろしければお部屋をピカピカに致しますが!」



 シーザー様の服の裾を掴んで「ぜひ」と嘆願する。



「ふふ、それではせっかくなのでお願いしよう」


「ありがとうございます!」



 さっと杖を掲げて球体を出現させる。

 とりあえず埃や塵、その他部屋を汚す要因になるもの、そして床に散らばった契約書の切れ端などかな。シーザー様に確認して、丸まった紙類は捨てていいそうなので、それもまとめて集めることにする。

 後はいつも通りの手順。

 さすがに執務室の中で爆発させるのは忍びないので、窓を開け球体を外に放り出してから火をつけた。

 まあ、これで少しは綺麗になっただろう。新築とまではいかないが大掃除後くらいにはピカピカになった。私は満足げにうんうんと頷いて窓を閉めた。



「陛下、こんな感じでいかがでしょ――ひゃぁ!」



 振り返ると、なぜか凶悪面のシーザー様に肩を掴まれた。――恐らくは真剣な表情をされているのだと思う。思うのだけれど、眉間に刻まれた皺、吊り上がった眉、開かれた瞳孔、視線だけで射殺さんばかりの強烈な圧に生存本能が恐怖を叩きつける。

 すみません。分かってはいても怖い。怖すぎる。気を抜けば意識を持っていかれそうだ。



「リブラ君。尋ねたいことが二つある。いいかね?」


「は、はひ……ッ!」



 ぶんぶんと首を縦に振る。一瞬、お花畑が見えそうになったが気合と意地で踏ん張った。仮でも陛下の婚約者――ひいては妻になるのだもの。この程度で根をあげては務まらない。



「まずこの魔法、収集対象は限定されているか?」


「しゅ、収集対象? ……えと、ゴミなら大抵は」


「生物などは?」


「た、たた対象による、でしょうか? で、出来るものと出来ないもの……がございます」



 過去、森にすむリスやウサギで試したことはあるが、さすがに集められなかった。でもマイホームに入り込んだ害虫はさくっと集められたので、何か基準があるのかもしれない。

 仮説を立てるとするなら、私が害悪だと認識したものは集められる――とか。検証したことはないので分からないけれど。



「ふむ。ものによる、か。では二つ目。閉め切った状態で、たとえば丸太などを集めた場合は――」


「壁を突き破り、ます」


「……そう、か。うむ。……いや、すまない。ありがとう、リブラ君。おかげで部屋が綺麗になった。今度こそ茶を出そう。座ってくれたまえ」



 シーザー様に促されるままソファへと腰掛ける。

 先ほどまでの圧は消え、代わりに秋の穂が揺れるようなもの悲しい静寂が陛下を包んでいた。彼は慣れた手つきでポットにお湯を注ぐと、茶葉を蒸らしてからティーカップに注いだ。紅茶の良い香りがこちらにまで漂ってくる。


 それにしても自ら率先してお茶を入れてくれるなんて。使用人は不在なのだろうか。自室からここへやってくる時も人の気配は感じられなかったし、何よりも静かすぎる。

 まるでシーザー様とモーガン殿以外、この宮中にはいないみたいな。

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