第8話 リブラ、真意を理解する



 今までの歩みが走馬灯のように駆け巡る。

 ああ無情。窮屈な暮らしを強いられてきた分、もう少しくらい自由を謳歌したかった。けれど仕方がない。それもまた運命。

 私はカツカツとシーザー様の下へと歩みより、スカートを持ち上げて軽く頭を下げる。



「お初にお目にかかります、シーザー・ローラント皇帝陛下。メイディック家長子、リブラ・メイディックでございます。妹をご所望のところわたくしのような出来損ないがしゃしゃり出てきて大変ご不快にと存じます。申し訳ございません。我がメイディック家が行ったシーザー様に対する不義理は到底許せるものではございません。わが身をもって贖いましょう。……ですが、どうかご慈悲がおありならばメイディック家の名を使えるだけ使い倒してから一思いにこの命、枯らしてくださいませ」



 泣きごとなど言うものか。腐っても元貴族。最後くらいは気高く散ろう。

 私は顔を上げてシーザー様をじっと見つめた。

 体格も威厳もすべて叶わないが、せめて瞳の強さだけは負けないように。私には人を射殺せそうな眼力はないけれど、ただ黙って食われてやるほど弱くはない。

 シーザー様の目が見定めるようにすぅと細まった。


 ああもう馬鹿みたいに足がガタガタと震える。怖いか怖くないかと言われれば怖いに決まっている。少しでも気を抜ければ涙が出そうだ。

 なんなのこの圧。メイディック家の名を利用しろなんて言っちゃったけど、出来ることなら今すぐこの世とおさらばしたいくらい怖いわよ!



「ほらぁ、ただでさえ怖い顔してるのに、声の圧と隈のせいで最恐だよ。可哀想に」


「……ぐ」



 モーガン殿の言葉に不快感を表したのか、彼の纏う圧が更に強くなる。駄目。気絶しそう。今でさえギリギリなのに、なんてことをしてくれるの。



「……リブラ君」


「え!? あ、あの、陛下!」



 突如シーザー様は跪き、私の手を取った。



「怯えさせてしまってすまない。言い訳になるが、どうにも混乱すると顔が強張るらしい。怒っているわけでないし、もちろん命で贖えなど一切考えていないので安心してほしい。むしろ、よく我が願いを聞き入れてくれた。感謝する」


「ひえ!」



 唇を寄せられ、思わずのけ反る。威圧感が先走るだけで十分すぎるほど顔が整っている方だ。いくら膜の上からだとはいえ、恥ずかしさが勝ってしまう。

 マリルならば様になろうが、私では絵にもならない。



「あはは! 出奔したとはいえ伯爵家の御令嬢だろう? 生娘みたいな反応だね。社交場などで慣れていないのかい?」


「……わ、私は基本妹の――マリルのサポート役、でしたから」



 真っ赤になった顔を悟られぬよう、前髪で隠しながら数歩後ろへ下がる。そういえば。陛下の行動に驚いてスルーしてしまったけれど、怒っていないとおっしゃってくださったような。ではなぜ契約書をビリビリに破いて捨てたのだろう。

 シーザー様は立ち上がって、じろりとモーガン殿を睨んだ。凄まじい迫力に私の方がビクリと肩を震わせる。



「モーガン、君は気付いていて彼女に何も説明していないな?」


「はて、なんのことやら。数百年閉じ込められていたから現世の魔法には疎くってぇ」


「嘘を吐くな。何年の付き合いだと思っている。モーガン・アンブローズにとってはその程度、なんの障害にもならないはずだが?」


「……もう、そこまで全幅の信頼を寄せられちゃあ言い訳できないじゃん」



 モーガン殿は床に散らばっている紙の切れ端を拾い上げ、顔の横に掲げた。親指と人差し指でつくった円ほどの大きさなので、読めるのはせいぜい「婚約者」という単語くらいである。



「これは堆積紙といって、近年ちょっと遠くの国で開発された魔力が宿っている紙でね。この国ではまだ知っている人は少ないと思う。何ができるかっていうと――」



 一瞬だけ紙が光り輝き、次の瞬間には「婚約者」という文字が消え去り、別の文字が浮かんできた。



「え!?」


「こんなかんじにね。元々の文章の上に別の文章を重ねることが出来るんだ。見た目も質感も完全に一枚紙。キーとなる筆者の魔力を流せば元の文字が浮かび上がってくるんだけど、僕にかかれば解除くらいお手のものさ。まあ、簡単に言えば文書偽造だね」


「ぶ、ぶんしょ、ぎぞう……?」



 ガン、と頭を鈍器でぶん殴られたような感覚に陥った。

 モーガン殿の言葉からそれを行ったのは父ヒュース・メイディックだと推測される。

 なんて馬鹿なことを。

 陛下への協力を拒んだだけでなく、契約書を偽造するだなんて。下手をすればお家取り潰しだ。バレないとでも思ったのだろうか。浅はかな。侮辱にもほどがある。あいつの脳味噌にはなにが詰まっているの。綿か。綿なのか。


 たとえ私が何も知らない生贄だったとしても、そんな言い訳は通じない。メイディック家としてこの場に立っている以上、責任の一端は私にもある。

 この場で首を切られなかったことが、奇跡にも思えた。



「も、もうしわけ、ございま……」



 震える身体を叱咤し、どうにか頭を下げようとするが身体が固まって上手く動かない。

 今まで様々な尻拭いを押し付けられてきたが、こんな酷いのは初めてだ。どうしたらいい。どうしたら――。



「君は関わっていない。それくらい分かる。だから顔を上げたまえ。私は、君を責めるつもりはないよ」


「で、ですが!」


「私はまだ若く、経験も浅い。一年を費やしても帝都の現状は回復するどころか悪化の一途を辿っている。ローラント家と密接な関係にあった諸侯たちならまだしも、婚約で地盤を強固にしようとしていた段階のメイディック家ならば、心が離れてしまうのも無理はないだろう」


「……だからといって、父のしたことは到底許されるものではありません」


「君は真面目な子だな」


「お互い様だと思うよぉ? あとシーザー君は甘すぎ!」



 モーガン殿の力強い言葉に、私もうっかり頷きで返してしまう。

 シーザー様の優しさは素晴らしい美徳だが、人は甘やかすと付け上がるものだ。時には厳しくいかないと舐められてしまう。いや、この場合厳しくされる立場にあるのは私なんだけど。それはそれ。

 メイディック家の落ちこぼれとして生まれた以上、こういう負の部分を受け持つのは私の定めだ。昔から、そうであった。



「陛下。どうか」


「安心したまえ。私とてすべてを不問に付すほど甘くはない。ただ、責任を取ってもらうのならば当人に、だろう。リブラ君が気に病む必要はない。だから、……その、怖がらないでもらえると嬉しい。己の顔の凶悪さついては重々承知の上だが、妻となる女性に怯えられるのは……寂しいものだ」


「……シーザー様」



 私を怖がらせぬよう大きな体をきゅっと丸め、困ったように頬を掻く姿からは先程の威圧感は感じられなかった。というか、なるほど。テディベア。ようやくモーガン殿のシーザー様評に納得できた。確かにこれは――。



「……かわいい」


「む? 何か言っただろうか?」


「い、いえ! なにも!」



 うっかり呟いてしまった一言に慌てて首を振る。シーザー様の隣でモーガン殿が愉快そうに笑っているのが見えた。

 不味い。聞こえていた――いや、唇を読まれたな。大魔法使い様は何でもありか。そりゃあ重宝されるはずである。


 ――ともかくだ。

 シーザー・ローラント陛下。不思議な魅力のある方だ。ほんの少しの粗相で首をはねられそうな外見に反して、とても真面目で大らかな性格をしている。

 妹マリルや家の失態に私は関係ないと言っていただけたのは初めてだった。


 私自身は蚊帳の外。何も知らされていなかった。いくらそう訴えても皆、私と家を切り離したりはしない。この身体にメイディックの血が流れている以上、家の失態は私の失態と同義だった。尻拭いはすべて私に押し付けられた。

 しかしシーザー様は私を家で一括りにせず、温情を示してくださった。

 私はメイディック家の落ちこぼれでも、尻拭い役でもない。リブラという一人の人間だ。それを、認めてもらえた気がした。


 見た目で怯えてしまった自分が恥ずかしい。


 あのモーガン・アンブローズが絆されるほどの人だものね。納得である。ちょっと優しすぎて手ぬるいところも含めて放っておけないのかもしれない。


 なんて事を考えながらモーガン殿に視線を投げると、彼は少し照れくさそうに「一緒にお守、頑張ろうね?」と言った。すかさずシーザー様に睨まれていたけれど。

 先程のような恐ろしさは感じなかったので仮婚約者としては一歩前進といったところだろうか。


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