第6話 リブラ、部屋に通される
結界を抜けて宮殿へと降り、皇妃のために設えたらしい部屋へと案内される。
部屋自体は広めだが、調度品などはシンプルな白系統でまとめてあった。なんとも堅実な様子にほっと一息つく。どれをとっても質がよく、落ち着いて過ごせるようにとの配慮が感じられた。
マリルであったならば地味だと一蹴していたかもしれないが、私はとても気に入った。
「いかがですかな? 皇妃様」
「本当に人を茶化すのがお好きなのですね、モーガン殿は。まだ決まったわけではないでしょうに。シーザー様が首を縦に振らなければこの契約は無効ですよ」
「えー、僕は絶対振ると思うけどな。賭ける?」
「……いえ、賭けにはならないでしょう。責任感のある方ならば特に」
メイディック家からマリルを連れてくることに失敗した今、おちこぼれでも、数年前から出奔していても、メイディック家の名さえついているのならば使い道はある。
私は一通り部屋の中を見回って着替えなど必要なものを確認したのち、モーガン殿に「ここで暮らすうえでの禁止事項などは?」と尋ねた。
メイディック家で暮らしていた頃は、父ヒュースの機嫌を損ねぬよう様々な禁止事項が設けられていた。もちろん、私にのみだ。
なぜかベッドの端に座ってくつろいでいたモーガン殿はぱたりと横向きに倒れて「うーん」と考え込んだ後、私たちを包み込む膜を指で突っついた。
「これを壊さないこと、とか? といっても、僕の魔法を容易く破れる魔法使いなんてそういないけど」
「それだけ、ですか? 絶対に口答えをしないとか、すれ違う時は止まって顔を上げるなとか、機嫌の悪い時は近づくなとか、そういった制限は?」
「……君」
モーガン殿は立ち上がると、私の頭を撫でながら首を振った。
「何もないよ。好きに過ごしてくれていい。陛下もそれを望むはずだ」
「あら、お優しい方なのですね」
「……うん、そうだね」
少し含みのある言い方が気になったが、特に追及するような内容でもない。陛下がお優しいのなら有難いことだ。それよりも私たちの周りを覆うこの膜が何の役割を果たしているのかが気になる。
最初は移動魔法かと思っていたが、宮殿内でも解除してはいけないとなると防疫関係か。
内側から膜に触れると、モーガン殿が「ああ、忘れてた」と茶目っ気たっぷりに舌を出した。
「これね、周囲の膜が見えない菌すら通さない鉄壁の要塞で、中に浮かんでいる玉が空気の浄化を行っているんだ。イルヴァラ感染症は空気感染。これが壊れない限りは安全でいられるよ」
「なるほど、さすがはモーガン・アンブローズの魔法。シーザー様がご存命であられるのも貴方のおかげなのですね」
「真正面から素直に褒められるのも照れくさいものだね。でも、そう手放しで褒められたものじゃないさ。だって――……いや、それはいいか。この膜は不要なものは通さないけど、必要なものは通すようになっているから、普通にご飯もお風呂も問題ないよ。だから特別何か気にしなければならない事はないはずだ」
有能すぎる。様々な魔法を扱えている事から万能型だと思うが、極めればここまで自由自在に扱えるものなのか。しかし、彼の力をもってしてもシャンデラの汚染は止められなかった。
イルヴァラ感染症。致死率だけでなく感染力も高いとは。かなり厄介な病だ。
自らを犠牲にしてまでシャンデラに閉じ込めようとご決断成されたシーザー様には頭が下がる思いである。そうしなければローラントという国自体が滅んでいてもおかしくはなかった。
私はカリ、と爪を噛んだ。
「モーガン殿」
「うん? 他に気になることが?」
「ええ。感染症の解析について、どこまで進んでいるのです?」
「……それは、うーん、困ったな。そっち方面は専門外でね。シーザー君の方が詳しいから後で聞くといいよ。ただ、……このシャンデラに、専門家はいない。発生源はつかめたけど、凍らせても活動を少し鈍らせることしか出来なかったから、持ち運ぶ事も不可能でね」
「メイディック家からの支援は」
「人はやれない。かわりに機材を貸してくれたかな。……まあ、あっちも人材が命なところがあるし、仕方がないといえば仕方がないんだろうけど。速攻ローラント家が滅ぶ前提で損得勘定してくるあたり、相当なタヌキだよね、メイディック家の現当主様は」
モーガン殿は少し不機嫌そうに鼻を鳴らした。
恩を売ることに価値を見いだせない――と、そう考えたのだ。あの男は。あろうことか皇帝相手に。なんという不遜。
病の研究機関はここシャンデラよりも遠く離れたメイディック家の領地内にある。シーザー様の将来性を有としたならば、病の解析を引き受けて一族総出で薬を作り、皇帝家に恩を売っていただろう。
ヒュース・メイディックとはそういう男だ。マリルを擁しているのなら調薬にもそれほど時間はかからないはず。
だが現状、特効薬はないとモーガン殿は言った。
危機察知能力だけは無駄に高いあの男のことだ。この病の危険性を一瞬で見抜き、ゆえに研究員を派遣することすら拒んだのだろう。
義理として機材の貸出を行ったが、専門家もおらずにどう扱えと言うのだ。
伯爵家でありながらそんな無理が通せるのは、この国全土を探してもメイディック家だけであろう。いや、違う。そんな薄情な家はメイディック家だけなのだ。
すべてにおいて自分が一番大事。ノブレス・オブリージュなんて言葉、鼓膜を通り抜けたこともないはずだ。ああ、反吐が出る。
メイディック家が関わっていたら解決できた問題だ、と言いたいわけではない。それはやってみないと分からない。それでも、価値はないと思ったら見捨てるというやり方は嫌いだ。大嫌いだ。
「リブラ嬢?」
「……え? あ、すみません。少し考え事を」
「ごめんね、無理をさせちゃって。それじゃあ僕は今から陛下に婚約者殿の御到着を報告してくるよ。時間が出来たら挨拶に来ると思うから、それまでのんびりしておいで」
「いえ」
私は首を振った。
「こちらから出向きましょう」
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