第5話 リブラ、帝都の現状を知る



 空気が乾燥している。まだ昼間だと言うのに、カサカサと揺れる木々の音さえ不気味に聞こえた。なんてことだ。これが花の帝都と呼ばれたシャンデラなのか。

 私は眼下に広がる惨状に目を閉じた。


 町を覆う気配に活気はなく、晴れ間のない雲が延々とかかり続けているような沈鬱とした雰囲気に飲まれている。

 ただただ静か。

 遥か上空から一望しても市街地はおろか繁華街にも人の姿は見られない。時折人影らしきものは確認できるが、本当に人かと疑いたくなるほど骨と皮だけの痩せこけたシルエットだ。


 転がるゴミを拾う人も、崩れた家屋を補修する人も、誰もおらず、都へと通じる唯一の門戸は固く閉じられたままである。

 もはや朽ちる寸前でギリギリ踏みとどまっているだけにすぎず、廃墟と言っても差支えないほどに寂れていた。



「嘘、でしょう……?」



 モーガン殿の浮遊魔法と転送魔法のおかげで帝都まで最短距離で辿り着けたのはいい。だが幼い頃訪れた帝都の面影はまるでなく、ただ朽ちるのを待つだけといったシャンデラの姿に身体が震える。

 ここで私に何をしろというのか。何もできない歯がゆさを味わいながら一緒に朽ちろとでもいうのだろうか。

 私は感情に任せて彼の手を思い切り握りしめてしまった。



「このような有様では……首都は既に移動済みなのでしょう? ならば妻の役目はさしずめ国民からの支持を落とさぬよう縫いとめておく、体のいいお人形といったところですか? マリルが嫌がるはずだわ」


「そうであったなら、僕は協力なんてしてないよ」



 寂しげな口調にハッとして手の力を緩める。

 心の底ではそうであってほしかった――帝都を離れて欲しかったと嘆いているようにも聞こえた。彼が無事ならば手は貸さなかった、と。それが真実ならば。



「まさか、シーザー様はこのシャンデラで今も皇帝として政務をこなしておられるのですか?」


「そうなるね」



 ありえない。彼の言葉がすべて真実ならば正気を疑う。一体何が皇帝様をここへ縛り付けているのか。



「逃げたくなった?」


「冗談。皇帝陛下がいらっしゃるのに尻をまくって逃げられますか」


「おや、格好いい」


「茶化さないでいただけますか。とりあえず現状の説明と私の役割を。何も知らぬまま謁見などできません。失礼に値するわ」



 人間に興味はない。期待した所で無意味。どうせ裏切られるだけだ。私が生きてきた世界とはそういうものだった。しかし――、この現状を知ってなお王都を、国民を捨てずに王として君臨し続ける人がどんな顔をしているのか、一目でも見ないとこの胸のざわめきが治まりそうになかった。



「……うん。やっぱりメイディック卿の提案に乗ってよかったよ。君みたいなタイプの方がシーザー君にはお似合いだ」



 モーガン殿は宮殿を見つめながら前髪を掻き上げた。



「さて、どこから話そうかな」






 事の起こりは一年ほど前。

 帝都シャンデラでとある病が確認された。最初は喉の不調から始まり、発熱、身体の痺れと続き、だんだん腕や足が動かなくなっていく。そして最後は腹が裂けて死に至る。

 通称『イルヴァラ感染症』。


 最初の犠牲者は前皇帝ライラック様と皇妃アイリーン様であった。そこから徐々に宮殿から市街へと広がり、たった一年で帝都をここまでボロボロにしてしまった。

 ライラック皇帝が亡くなった後、悲しむ間もなく即位したシーザー皇帝の判断が早かったおかげで現状シャンデラでの封じ込めに成功しているが、未だ病を根治する方法は見つかっていない。


 そこまで一気に話しきると、彼はふぅとため息をついた。



「シャンデラを覆う結界に、この場を離れなくとも政務が滞りなく行えるよう通信手段の確保、物資の受け入れ方法、病を患った者たちの隔離措置やその後の対応。ああ、僕への助力要請も早かったよ。今言ったことの何割かは僕も協力している。とにかく頭の回転が速くて正確な上、目的のためなら化物の僕にですら頭を下げる。そんな子なんだよ、あの子はね」



 自らも感染している可能性がある以上、シャンデラから離れられない。それも理由の一つだろうが、よく留まるご判断をされたものだ。

 いや、だからこそまだローラント帝国が存在しているのか。



「本当なら暴動や反乱が起きて国が滅んでいてもおかしくないのに。人民も、各諸侯も、皆彼を信用している。随分と慕われている方なのですね、シーザー様は」


「そうだね」



 遠くを見つめる瞳は優しく、まるで子を見守る父親のようであった。

 不思議だ。私が知っているモーガン・アンブローズの物語は決して生易しいものではなかった。子供の頃一読したきりだが、最後の最後「ローラントも国民も何もかも許しはしない!」と叫んで幽閉された彼の言葉だけはハッキリと覚えている。


 物語とは得てして勝者側に都合よく改変されるもの。今の彼の様子を見ている限りでは悪魔に魅入られ町を滅ぼしたというのも真実であったかどうか。

 メイディック家において悪い噂はすべて私に擦り付けられ、良い噂はすべてマリルの功績にされた。家も家族も何もかも嫌いだった私は、皇帝側でなく彼に親近感を覚えたものだ。

 だから私はあの物語が嫌いだった。



「なんだい? 僕の顔をじっと見つめて。見惚れちゃうくらい綺麗?」


「……いえ、俄然シーザー様に興味が沸いたなと」


「それはいいことだ。僕のプレゼンテーションは完璧だったみたいだね」



 腰に手を当てて満足そうに頷くモーガン殿。

 ここまで聞けばシーザー様の思惑も、なぜメイディック家でなければ駄目だったのかの理由も大方察しがついた。



「ご説明ありがとうございます。ならば私の役目は束の間の夢をみせること、でしょうか。メイディック家の名は薬事の功績と共に国民にも広く知れ渡っております。せめてもの慰めに希望の光を灯せと仰せなのでしょう?」


「君も頭の回転が速いね、リブラ嬢。そうだよ。僕たちがメイディック家の名が欲しかったのはそのためさ。絶望して死んでいくより、せめて少しでも希望を夢見ながら安らかに逝ってほしい。皇帝陛下はそうお考えなのさ。でも安心してほしい。君に心中しろと言っているわけじゃないんだ。君を病に侵させたりはしない。モーガン・アンブローズの名にかけて、それは誓おう」



 揺れるシアンの瞳がじっと私を見つめている。彼の言葉に嘘はないように感じた。

 恐らく、終わりが近いとの判断なのだろう。

 シャンデラに閉じ込めておくのも限界。シーザー様が薬事の名門メイディック家の人間を妻に娶り、病を根治する薬が徐々に完成していっている。そう、思わせるため。妹メリルが正式な婚約者であったことも好都合だった。


 死にゆく人々の希望の灯となれ――だなんて。まだ何もできないお人形の方がましだったわ。私にはメリルのような調薬技術も知識もない。



「私で、役に立つのでしょうか」


「君で駄目なら誰であろうと無駄だよ」


「なんです? その根拠のない信頼は」



 モーガン殿は少しだけ子供っぽい笑みを浮かべて「大魔法使い様の勘だよ」と答えた。

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