第4話 リブラ、男の正体を知る



「しかしおかしな話ですね。現皇帝がシーザー様であらせられるなら、彼の婚約者として妹マリルの名が挙がっていたはず。いくらあの子でも、皇妃の座を拒否したりはしないでしょう? どうして私などにお鉢が回ってくるのです?」


「それは帝都が死の都だからだよ」


「死の都? それってどういう――わっ!」



 流石に看過できない言葉に詰め寄ろうと一歩踏み出したところで地面が光り輝き、一瞬のうちに私の身体を薄い膜が覆っていた。

 お掃除魔法で造り出すシャボン玉の球体に、人体を取り込ませたような状態だ。叩いても引っ掻いても暖簾に腕押し。ぽよんと弾き返されるだけだった。

 中にはもう一つうっすらと青白く光る珠が浮遊しており、意志をもっているかのように手のをばしても逃げられた。


 どういうつもりだ、と顔を上げれば、モーガン殿の手にはいつの間にやら豪華な装飾のなされた大きな杖が握られていた。

 彼はそれの先でトン、と地面を叩くと自らの身体も膜に閉じ込める。



「悪いがマリル嬢の件で随分時間のロスをしてしまってね。帝都の現状は見てもらった方が早い。ほら、百聞は一見にしかずと言うだろう?」


「いくらなんでも強引すぎではありませんか?」


「残念だけど、君の身柄は既に売り渡されているんだ」



 どこからともなく契約書が浮かび上がり、彼の手の平の上でくるくると回る。

 目を凝らすとシーザー・ローラントとの婚約をマリル・メイディックからリブラ・メイディックへ変更する――といった内容が読み取れた。父でありメイディック家の現当主ヒュース・メイディックのサインと捺印もしっかりある。

 疑いようもない。正真正銘、正規の契約書だ。もはやため息すらでない。



「……なんて勝手な」


「悪いね。手段を選んでいる暇がなくてさ。まあ、僕に協力を求めた時点で正規の手段なんて諦めているよ。あの子もね」


「あの子?」


「ああ、シーザー様のことさ。つい昔の癖でね。人間は成長が早い。ついこの間までピーピー泣く子供だと思っていたのに、もう僕より背が高くなってしまって、泣き言一つ漏らしやしない。面白味がないよねえ? どうせなら泣きついてくれたほうが可愛げがあっていいのにさ」



 彼の瞳が細まり、水面のようにゆらりとシアン色の瞳が揺らめく。

 一切悪意の籠らぬ穏やかな声で、何でもないように言ってのけるその姿を見て、ふいに一人の魔法使いが頭の端をよぎった。


 その人物は我が国、ローラント帝国に伝わる冒険活劇に登場する。

 皇帝に仕えていた魔法使いがある時、悪魔に魅入られ町を一つ滅ぼした。彼は天才という言葉すら生ぬるい、人々を魅了する青い瞳を持った世界最強の大魔法使い。死すら超越した人ならざる化物。しかし当時の皇帝と優秀な騎士たちが死力を尽くして彼を追い詰め、ついに世界の理から隔絶された幻惑の塔に幽閉することに成功した――と。

 その魔法使いの名はモーガン。

 モーガン・アンブローズ。



「なるほど、何百年とは文字通りと言うわけですか。モーガン・アンブローズ。どうりで記憶の端に残っているわけです。もはやお伽噺として語られる大魔法使い様が、本当に存在していただなんて」


「ふふ、大魔法使様だって? いいね、その嫌味。とても効果的だと思うよ? でもね、最初から選択権なんてなかったのに、ちゃんと説明しただけ良心的だと思わないかい?」



 まるで雲の上を歩くような軽やかな足取りで私の傍まで歩み寄ると、極限まで顔を近づけてじっと見つめてくる。

 ああ、確かに美しい。この瞳には魅了の魔法が宿っていると言われても納得してしまいそうだ。



「うん? どうかしたかい?」


「……肯定されるとは思っていなかったもので。カマをかけただけなんですけど、本当に? 本当にあのモーガン・アンブローズなのですか?」



 私の問いに、彼は目をぱちくりと瞬かせ、ややあって腹を抱えて笑い出した。



「あはははは! 僕相手にカマかけただって? いい度胸しているよ君!」


「では本当に?」


「ああ。ローラント帝国が国総出で幽閉した化物とは僕のことさ。今はわけあって自由の身だけどね」



 彼は茶目っ気たっぷりにぱちんと片目を閉じた。

 信じられない。冗談ではなく本当に世界の脅威とも称されたあの大魔法使いなのか。


 幻惑の塔へ出入りできるのは皇帝一族の血筋――ローラント家の者のみとされている。

 この国に良い感情を抱いているはずもない彼を塔から引っ張り出し、あまつさえ配下に加える皇帝が出てくるだなんて。にわかに信じがたい。どんな手法を用いたというのだろう。現皇帝シーザー様、なんと豪胆な人物であるか。


 しかしそれ以上に――彼に頼らなければいけないほど、帝都の現状は酷い有様だと否が応でも理解できた。

 マリルが皇妃の座を拒絶したのもそれが理由だろう。いや、マリルが拒絶しなくともあの両親が認めない。可愛い一人娘を危険な場所に送り込もうとはしないはずだ。絶対に。



「意外だね。僕の正体を知ったらもっと動揺するかと思ったけど」


「私、あの物語嫌いですし、信じてもいないので。でも興味はわきました。あなたのような人を傍に置いている現皇帝シーザー・ローラント様とは一体どういった方なのか。そして、帝都の現状にも」


「人? ふふ、君も面白いことを言うのだね。まあ気が合いそうで良い事だ」



 モーガン殿がトン、と杖で地面を叩くとふわりと身体が浮いた。いきなりのことにバランスが保てずぐらりと揺れた私を、彼は事もなげに抱きとめて柔らかく微笑んだ。

 どうやらこの膜は何かに触れようとすると肌や服に張り付いてサイズを調整するらしい。



「君が望むままに帝都の現状を教えよう。さあ、しっかり掴まっておいで。ショートカットをするから僕の手を放さないで。ぎゅっと握ってて」



 縋るような声色に覚悟を決める。

 自由の身は今日で終わり。まさかまだメイディックの名に縛られているとは思わなかったけれど、引きこもっていた間に世界は随分と様変わりしてしまったらしい。

 伸ばされた手を掴もうとして、少し躊躇する。



「その前に一つだけ」


「一つだけ?」



 私はくるりと振り返って宝物を指差した。



「マイホームの保護を求めます。それだけは譲れません」


「……まいほーむ」



 モーガン殿は可笑しそうに笑って「オーケイ。とっておきの保全魔法をかけておこう。家だけでなく家財もろとも完璧にね」と快諾してくれた。歴史に轟く大魔法使いの保全魔法ならば安心して飛びたてるだろう。

 私は今度こそ彼の手をしっかりと握りしめた。

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