第5話 ヘッドコーチの台頭
「小田原評定」
という言葉、これは、
「かつて、豊臣秀吉が、天下統一の最中、四国、九州を平定し、後は、関八州に強力な勢力を持っていた後北条氏が、いまだに秀吉に従っていなかった時のことである」
当時は、関東の抑えとして、親戚関係にあった、徳川家康、
「東海道一の弓取り」
と言われた武将である家康が、後北条に対して、
「秀吉に従って、生き残る道を選び方がいい」
と助言していたが、断固として、氏政、氏直親子は従おうとはしなかった。
そこで、秀吉は大軍を率いて、後北条の立てこもる、小田原城を包囲したのだった。
しかし、小田原城というのは、かつて、上杉謙信も、武田信玄も落とすことのできなかった、難攻不落の大要塞として有名だった。
さすがに大軍であっても、簡単には攻城戦は仕掛けられない。
「城を攻める場合は、守る方の3倍の兵力が必要だ」
と言われている。
守る方は、攻めてくる相手に、いろいろな罠を仕掛けることができるからだ。
当然、正攻法で攻めると、相当な被害を被るのは分かり切っていることである。
だからと言って、守る方も、安心はできない。
長期戦になってくると、兵糧が尽きてくる。食べ物、武器弾薬の補充ができないのだ。
どれだけ持ちこたえられるかということと、相手が諦めて、攻めるのをやめて、引き下がるのを待つしかないのだ。
しかし、秀吉は今までの戦法から、一気に攻めて被害を甚大にするということはしなかった。
小田原攻めでも同じことで、
「まだまだ、半年や一年は持ちこたえられるだけの、武器と兵糧はある」
と、北条側では見込んでいた。
このままだと、大軍で来ているだけに、士気にも影響してくるのが攻城側であった。
そこで考えたのが、信長時代からのやり方の一つで、特に秀吉が得意とした、
「一夜城作戦」
であった。
「籠城している間に、相手が攻めるのを諦めて、帰るだろう」
と考えて、秀吉を舐めていた北条にとって、一夜城の出現は、秀吉が、
「腰を据えて、小田原を落とそうとしている」
という決意の表れだった。
さすがにそれを見た北条方は浮足立ってしまい、城内部の人間の中からも、裏切る者は出てくるというありさまであった。
そんな状態に、さすがにまずいと想ったのだろう。
北条親子は、すっかり、戦意を喪失してしまったのだ。
これが、秀吉の狙いであり、これこそ、秀吉の天下統一ができた一番の理由だと言えるのではないだろうか? ある意味、
「信長との違い」
というところが、
「秀吉には逆らえない」
と当時の大名に思わせたのだろう。
それに、
「なんといっても、百姓の出」
というのも大きかったに違いない。
それだけに、武将しか見てこなかった武士の、秀吉に対しての底知れぬ恐ろしさを感じさせられたのかも知れない。それまでは、
「百姓の子せがれが」
といってバカにしていた相手にである。
そんな秀吉に腰を据えられて攻められると、さすがに、籠城組も考え直さなければならない。
いくら兵糧があるといっても、相手が諦めて帰ることを狙っているのに、腰を据えてじっくりを時間を掛ける覚悟だということが分かると、補給路を断たれてしまっている以上、完全に、兵糧攻めは分かり切っていることである、
「このままだと、飢え死にするのを待つばかり」
ということで、小田原城内では、結論の出ない会議を続けるだけだったという、
このことを、つまりは、
「いつまでも、結論の出ないことを、毎日繰り返して論議する」
ということを、
「小田原評定」
というのであった。
「このままいけば、確実に状況は悪くなるのだが、どうすればいいのかが、なかなか決まらない状態に使うのだろう」
たとえば、大東亜戦争をどう終わらせるか? ということを政府が模索し、外交に任せながら、国民には、
「一億総火の玉」
などと言って、国民全員に、
「玉砕」
を迫るゆなものである。
確かに、どう転んでも最悪にしかならない状態で、しかも、できることというとそれほどないというほど追い詰められている時に限って、
「小田原評定」
が繰り広げられることになる。
ということは、
「小田原評定を始めれば、運命は決したも同じなのだ」
といってもいいだろう。
そのプロ野球球団も、結局、監督を生え抜きに変えて、起死回生を狙った。そもそも、今までの監督で行くのが一番だったものが、体調不良では仕方がない。ということで、
「これからの監督になられる人が一番大変だ」
と言われていたのはしょうがない。
何と言っても、
「あれ以上の監督はなかなかいない」
と言われていたので、元々、金のある球団でもないので、有名な監督を、生え抜きでもなければ、引っ張ってくることは難しい。
この球団の生え抜きの選手は数人はいるが、なかなかコーチまではできても、監督というとなる人がいなかった。
確かに、選手としてはそれなりの成績を残してはいたが、監督としては未知数で、
「下手をすると、選手と衝突しかねないほどの、個性派の人だ」
と言われている。
「個性派とは言い方が穏やかだが、選手時代から、何かと、マスゴミからいろいろ言われていたり、
「指導者としては、なかなか厳しい」
と言われていたのだ。
それを思うと、
「監督としてできる人は、今の解説者であったり、他のチームのコーチをしている人に、監督としてきてもらうことは難しいだろう」
というのが、フロントの考えであった。
そこで、白羽の矢が立ったのが、引退間近の選手だったのだ。
フロントとしては、
「どうせ、断られるだろう。引き受けてもらえたとしても、コーチか二軍監督くらいだよな」
と思っていたのだが、何と、
「引き受けますよ」
と、快諾されたのには、さすがにフロントがビックリした。
実は、彼としても、引退が迫っている時から、監督の様子を見て、
「そろそろ引退が近いのでは? このままいけば、自分の現役と一緒に引退ということになるかも知れないので、ここはひとつ、その花道を選手の自分の花道として、一緒に飾ってあげよう」
と思い、大いに奮闘したのだった。
だが、他の選手はというと、シーズン中盤で首位とに、十数ゲーム離され、三位のチームとも6ゲームほど、まだ何とかなる成績ではあるが、夏場に入り、主力が次々にリタイヤ、そこに持ってきての監督ということなので、とても、うまくいくはずもない。
それを考えると、選手も次第にやる気がなくなってきていて、楽をすることを考える。
といっても、
「無理をせずに、けがをしないようなプレイに走るか?」
あるいは、タイトルに手の届きそうな選手は、
「自分のタイトル奪取に向けて」
にしか興味がない。
ホームランが視野にある選手は、一発しか狙っていないし、ベンチから、バントのサインが出ないのをいいことに、本当に、ホームランしか狙っていない。
これは、プロの選手なので、チームプレイとはいえ、仕方のないことであろう。そのまま給料に直結することであるし、無理をしないというのも、今年がダメなら、来年、万全な調子で迎えられるように、たとえば、打撃改造に取り組むなどの、いわゆる、
「消化試合」
として、練習している気持ちでプレイをしている選手もいるだろう。
それはそれで悪いことではない。ただ、問題は、
「ファンが見に来ている」
ということだ。
だが、彼らに言わせれば、
「優勝できないのであれば、せめて、シーズンの愉しみとして、球団からタイトルホルダーを出すというのも、ファンサービスではあいか?」
というのだ。
もちろん、それも一つの考えなのだが、球団としては、溜まったものではない。
球団の本音とすれば、
「優勝もしないのに、タイトルホルダーばかり増えれば、その連中の年棒を挙げてやらなければいけないじゃないか? 収入よりも支出の方が嵩んでは、球団経営としてはたまったものではない」
ということになる。
そうなると、球団としては、たまったものではない。
「有名選手ばかりを抱え込んでいるのに、優勝できないとは、どういうことだ?」
と言われかねないのだ。
今までは、監督が名監督だったので、タイトルホルダーの数に比例した成績を上げてきたので、
「選手と監督、首脳陣がmうまく噛み合っているから、優勝できた」
と言われてきた。
ただ、今回は、そのタイトルホルダーの常連が引退し、そのまま監督に就任したのだから、当然、自分の穴を埋める選手を育てるか、他から取ってくるかしかないだろう。
正直、チーム内に、
「後継者」
となるべく選手はいない。
正直、
「四番候補はたくさんいるが、実際に固定できるほどではない。帯に短し、たすきに長しという選手が多すぎるんだよ」
ということであった。
そこであらためて、
「前監督は、そのような選手を起用に適材適所で起用することで、うまく行ってきたのに、今となってみれば、なかなかうまく機能しないというのはどういうことだ?」
ということになったのが、今シーズンであった。
さすがに、最下位ではないが、今までの球団からいけば、かなりの低迷で、少なくとも前監督の時には、ここまでひどいことはなかったと言われている。
そのせいもあって、世間では、
「史上最悪の成績」
という言われ方をしていて、ファンもその通りだと思っていた。
監督である本人もそう思っているくらいで、いつも、
「どう責任を取ればいいのか?」
ということで悩んでいたようだ。
そんな時、午前中に行われる、首脳陣の会議は、まさに、
「小田原評定」
で、負けが確定している戦争を、いかに被害を少なく終わらせることができるかということが問題なのだ。
「このままいけば、チームは、悲惨な末路を遂げる。何とかしないといけない」
という会議であるのだが、皆考えていることはバラバラだ。
すでに来シーズンのことを考えている人もいる。
それは、もちろん、自分がこのチームに残れるかどうかで決まってくるので、残れる残れないで考えなければいけない。
残れるとする場合は、まだ前向きな考えを出せるというものだ。
ただ、今シーズンを棒に振ってでも、来年をいかにスタートさせるかということにしか頭の中にはない。
今年を何とかしようと思っている人は、
「どうせ、俺はこのままお払い箱だろうから、せめて、解説に回るとしても、有終の美だけは飾っておけば、またどこからコーチの口もあるだろう」
と考えている。
さすがにこの時点で、来年、どこかのチームから誘いが来るというようなことは考えにくいと思っていたし、少し充電期間がほしいというのも、本音ではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「もう、この球団のことはどうでもいい」
という思いの方が強くなってきた。
そうなると、却って気は楽だった。
今まで下で活躍していた選手を上に挙げて、その選手が活躍すれば、
「活躍した選手を下から引き揚げた」
という実績が残り、
「スター選手を一人発掘した」
とも言われるかも知れないのだった。
そんなチームで、一人のコーチがいるのだが、彼は、選手時代には、結構自分よがりの選手で、いわゆる、
「自分流のプレイで、個人プレイに走りがちな選手」
であった。
ただ、あまり知られていないが、そんな彼は、ベテランになった頃に、自分の派閥を形成していたのだった。
「俺は、そのうちに、コーチから監督になるから、お前たちはこの俺についてくるか?」
という感じで、チーム内で、密かに広がった派閥だった。
首脳陣はウスウス分かっていただろう。
しかし、選手としての成績は抜群なので、ここで怒らせて、下手に他球団に移籍でもされたら大変だ。しかも、同一リーグに移籍などされると、
「昨日までの頼れる選手が、あっという間に、敵に回るのである」
しかも、派閥形成が結構うまく行っているようなので、このままでいくと、
「他の選手まで一緒に移籍ということになり、戦力だけでなく、
「お家騒動が明るみに出る」
という結果になってしまい、球団としてのイメージにまで波及してしまうのだ。
そんなことになれば、ファンも離れていくかも知れないし、いい選手も入ってこない。
「負のスパイラル」
を一直線に駆け下りるだけになってしまうことだろう。
それを思うと、下手に扱うことのできない選手として、球団も甘やかすしかなかった。
本当は、そのまま引退させればよかったのだが、前任監督が、
「彼をぜひともコーチとして残してほしい」
ということをフロントに直訴した。
本人は、どうやら、解説者になるつもり満々だったようだが、監督に頼まれると、嫌とは言えないというところがあった。
結構、あざといところがある人間ではあったが、任侠のような仁義であったりが好きな選手だったので、そこまで監督に言われれば、その気になったのであった。
むしろ、選手時代から、
「扱いにくい選手だ」
と思われていたのは分かっていただろうから、監督に慕われていると思うと、
「冥利に尽きる」
ということで、引退後、ヘッドコーチとして、チームに残ることになった。
考えてみれば、チームには自分の派閥があるのだから、コーチになるのも悪くはないはずである。
問題は、フロントの方だったが、
「監督がそこまでいうのであれば、しょうがない」
と、何とか折れたのであった。
正直、フロント側としては、コーチに問題があれば、監督の連帯責任ということを最初から監督に告げていたので、
「それでいい」
と監督から言われると、ヘッドコーチ就任を妨げるものは何もなくなったのだ。
その男がコーチになってからというもの、爆発的な打撃のチームに生まれ変わった。
コーチの手腕が脚光あを浴び、チームも連戦連取、これも監督の、
「マジックだ」
と言われたものだ。
そんな彼が、自分が慕っていた監督が休養するために、事実上の退団ということが分かり、しかも、
「ひょっとすれば、新監督になれるかも知れない」
という内部昇格としては、二軍監督と同じ立場かそれ以上だった、ヘッドコーチだっただけに、まさか、現役選手の引退とともに、彼が監督となるということになるのは、当然のことながら、
「やってられない」
と思ったことだろう。
だから、周りは、
「絶対にあいつは、退団届を持ってくるに違いない」
とフロントは思っていたのだが、なぜかその様子はなかった。
契約更改の時、
「来シーズンもよろしくお願いします」
と、選手の頃を知っている人は、皆キョトンとして、開いた口がふさがらなかったことだろう。
「彼を容認していた監督が辞任することになって、しかも、自分が監督になるわけでもなく、選手から一足飛びに監督になる人がいるというのに、これは一体どういう心境なんだ? こんな屈辱、今までの彼であれば、耐えられないはずなんだけどな」
と言われていた。
だが、彼はその後も、チームからのヘッドコーチの打診に、抗うことなく、しかも、何ら条件を付けることなく、承諾した。
さすがにチームとしても、彼を屈辱的な立場に追いやったという後ろめたさと、今までのことでも、
「確かに監督が名監督だったのだろうが、彼がヘッドコーチを務めてくれていたことが、この成績に繋がったのかも知れない」
という意味での彼を見直すというフロントも多かったようだ。
そのため、少し年棒は、監督並みの年棒に挙げ、破格といってもいいほどの立場を彼に与えた。
新監督には、
「ヘッドコーチの助言をしっかりと聞いて、今年はまだ初年度なので、しっかりと、今後のチーム作りに邁進していってほしい」
といい、ヘッドコーチには、
「監督には、君の助言を必要とするように言ってあるから、君の現場での今までの経験をフルにいかして、選手と監督の間の懸け橋になってもらえばありがたい」
というような話をした。
さすがに、
「君を次期監督に考えている」
などということは言わなかった。
しかし、今回の監督人事で、ヘッドコーチの昇格という方が、二軍監督昇格よりも可能性は高かった。ただ、
「時期尚早」
という考えと、ある意味、彼のプライドをくすぐるという意味での、今回の屈辱的な人事も、主張する人もいなくもなかった。
だが、前任監督からの依頼でもあったので、さすがに、今回は、新監督を選手からということにしたのだった。
「それにしても、ヘッドコーチを断るかと思ったんだけどな」
というと、彼の性格を知っている人は、心の中で、
「偽善者的な性格が表に出てきたのかな?」
と思っていたようだったが、実はそのことに間違いはないようだった。
「偽善者というのは、実にうまく世間を渡り歩けるもので、偽善者の皮をかぶっていれば、ほしいものは、何でも手に入るし、人に恩を売って、いざという時に、返してもらうこともできる」
という、偽善者というものが、都合のいい役回りであるということを、知っている人は、意外と多いようだった。
そんな偽善者は、世の中に。ごまんといることだろう。
「自分を偽善者などとは思っていない」
という、自分を否定することから、入ろうとする人間であったり、
「偽善者と言われるのは、嫌だ」
という、プライドが邪魔をするタイプの人。
しかし、プライドが邪魔をする人間であっても、
「屈辱感さえ、何とか克服できれば、偽善者になりえることはできる」
と思っていた。
そもそも、このヘッドコーチは、選手時代から、プライドの塊であり、昔気質の選手のように、年功序列や、生え抜きの選手というものが、当たり前の世界だと思っていた。
もちろん、今のように、コンプライアンスの問題であったり、社会人でいえば、転職というものが、
「ステップアップの象徴だ」
というくらいに思われる世界に、プロ野球界もなってきている。
FAなどを行使し、有名選手になれば、他球団と直接交渉し、行きたい球団に行くことだって可能になった。
さらに、実力が認められれば、メジャーにだって行くことができる。
先人がつくってくれた道ではあるが、その道が今や、
「有名選手が目指す当たり前の道」
のようになってきたのだ。
時代というのは、ある日突然、まったく違った顔を持つというわけではないが、積年のちょっとした変革によって、いずれはまったく違う世界ができあがっていることだってあるだろう。
このヘッドコーチは、そこまで選手としてすごかったわけではない。確かにこのチームではなくてはならない選手だったが、他のチームでは、その扱いが難しかったかも知れない。
いろいろ器用なところはあるが、チーム事情や、チームカラーが他の球団とは合わなかったといってもいい、
なぜなら、他のどの球団でも、彼のような選手を自前で育成しようと、二軍では躍起になっている。
「いまさら、他のチームから、高い買い物をするとうのも、考え物だ」
と考えているチームが多く、トレードの申し込みもなかった。
FA宣言をしなかったのも、
「他の球団で自分を必要としているところがない」
ということが分かっていたからだ。
今の球団では、
「FA宣言をすれば、チームにとどまることはできない」
という内規のようなものがあったのだ。
それにも関わらず、FAすることもなく、彼の年齢では、メジャーも視野に入れるとうわけにもいかなかった。
なぜなら、彼は、
「大器晩成」
だったからだ。
活躍を始めたのが、入団から7年目くらいであっただろうか? やっとレギュラーを取って、そこから、実力をどんどん発揮、最初は、
「左キラー」
として頭角を現したが、徐々にいろいろなピッチャーを打てるようになり、そして、その頃から長打力がついてきたのだった。
その頃に、あるセミナーに参加するようになった、
そもそもは、入団5年目くらいの時に、
「このまま芽が出なければ、引退をして、普通の仕事をしないといけないんだろうな」
と思っていた。
そのため、引退してからも、何か手に職を持っていないといけないということで、練習が終わってから、他の選手が夜の練習をしている時、自分は、第二の人生を目指して、別の勉強をしていたのだ。
まさか、彼がそんなことを考えているなど知らない首脳陣だったが、彼が、そろそろ第二の人生と考えていた頃に、ちょうど一軍で選手枠が開いたのだ。そこで呼ばれて、唯一のチャンスと目された場面で活躍をして、そこから才能が開花したのだった。
それも、本当は、
「定められた道」
だったと言われるようになっていた。
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