第9話 案外平和な朝食
――カリカリカリカリ
イエナの意識の遠くで、そんな音が聞こえる。
「猫様じゃないかしら?」
「そうね。妃殿下を起こして差し上げてもいいかしら?」
「きっと、いいと思うわ。猫様が起きてらっしゃるもの」
複数の人の話し声がして、扉を開ける音と共に、ラテの「にゃにゃ!」という鳴き声が聞こえた。
「まあまあ、猫様。おはようございます。……あら? ベッドに妃殿下がいらっしゃらないわ!?」
さすがにこの段階になると、寝ていたイエナも覚醒していた。どうしよう。動けません。
「……あの~どなたか助けてくださいませんかぁ?」
「あら!? 妃殿下の声がどこからか……まあ! 妃殿下、そんなところに!」
目が覚めて早々、動けないイエナは、何やら浮遊感を感じた。そして、どこかに下ろされた。それから、コロコロと転がされる。
「大丈夫ですか、妃殿下」
「大丈夫です……すみません」
三人の侍女に顔を覗き込まれ、イエナは恥ずかしくて、小さい声でそう告げて体を起こした。
どうやら、イエナはブランケットをくるくると巻き込み、ベッドの下に落ちて、それでも気づかずに爆睡していたようだ。寝相が悪すぎる。広いベッドがいけないのか、棺桶ではないからいけないのか。
微笑ましそうに笑みを浮かべた侍女が、イエナの背中から光沢のある生地のガウンを着せた。
「妃殿下、おはようございます。朝食はすぐにお召し上がりますか?」
「おはようございます。はい。お願い致します」
「にゃっ、にゃっ 【ごはん! ごはん!】」
「承知しました。……妃殿下、どうぞ、私どもには、口調を崩してくださいませ」
「え? あっ、はい、分かりました」
そうだった。使用人にはもう少し楽な言葉でもいいんだよね。
ベッドルームから出て、自室へ戻る。自室の奥に、もう一つ部屋があった。そこにはテーブルが用意されており、侍女が椅子を引いてくれたので、イエナはそこに座る。一緒に付いてきたラテは、イエナの膝の上に座った。
「本日はお好みが分かりませんでしたので、一般的な朝食をご用意しました。もし、ご希望のものがあれば、おっしゃってください」
「ありがとう」
イエナの前に、スープやサラダ、パンや果物などが用意されていく。
「妃殿下、こちらは猫様の朝食にとご用意したのですが」
一人の侍女が見せたのは、猫用の皿に乗った猫の餌だった。
「にゃにゃー! 【ボク、猫のご飯は食べないんだぞ!】」
「あはは……。えっと、ごめんなさい。ラテは人間が食べるものと同じものしか食べなくて。人間が食べるものは大抵食べられるので、私と同じものを用意してもらえると嬉しいのですが」
「人間と同じもの、ですか? 猫様に毒となるようなものは?」
「一般的な猫が食べてはいけないものなんかも、ラテは食べられるんですよ」
侍女たちは互いに顔を見合わせた。
「もしかしてですが……猫様は、魔獣ですか?」
ドキッとして、イエナはぎゅっとラテを抱きしめた。魔獣だなんて、バレてしまったら、ラテが追い出されてしまう。
「いいえ! ラテは猫ですよ」
「……あの、妃殿下。魔獣でも問題ありません。妃殿下に懐いていらっしゃるようですし、もしや従魔ではありませんか?」
「え……」
「ローズスト王国では、魔獣は絶対の排除対象と聞きます。ルキナ王国でも基本的には野生の魔獣は危険ですし排除対象ではありますが、必ずしも排除するものではないのです。柔軟に対応することになっていて、ルキナ王国では、排除せずに逃がしたり魔獣を従魔として契約する人も一定数います」
「そうなの!?」
それは知らなかった。ローズスト王国では、魔獣は忌み嫌われるもので、嫌悪対象だ。ルキナ王国は、ローズスト王国より魔獣の発生が多いため、余計に嫌われるものだと思っていた。
「はい。私の実家にも鳥の従魔がいます。兄が契約しているのです」
「そうなのね!」
「ユーリ殿下も狐の従魔と契約していらっしゃいますよ」
「まあ……そんなにルキナ王国では、魔獣が身近な存在だったのね」
隣国のことなのに、全然知らなかった。
でも、それなら、ラテが従魔と言ってもいいだろう。
「その……先ほどは嘘を言ってごめんなさい。実は、ラテも魔獣で、私の従魔なの」
「まあ! やはり、そうなのですね! では、すぐに妃殿下と同じ食事をご用意致します!」
ラテが大歓迎され、イエナの食器の隣に、もう一つ食事が用意された。さあ、食べてどうぞ、と侍女たちがラテをニコニコと見ている。
「……ラテ、どうする?」
「にゃ…… 【みんな見てる……】」
「ああ、そうね……。あの、まだラテは恥ずかしいようで。少しの間、後ろを向いていてもらえますか?」
侍女たちは、互いに顔を見合わせ、後ろを向いてくれた。
ラテはそれを確認すると、イエナの膝の上で猫から人間姿になる。
「もうこちらを見てもいいですよ」
侍女たちがこちらを向く。そして、一斉にラテを見た。ラテはイエナの腕に隠れて、顔の半分だけ出している。
「可……!」
え、何? 侍女の一人が真っ赤な顔してぶっ倒れた。
「か、か、か、可愛いっ! 妃殿下の猫様、とっても可愛いですねっ……!」
「人間になれるのですか!? こんな従魔、聞いたことがありません! 猫耳! 尻尾! 可愛すぎやしませんか!?」
侍女たちの勢いに飲まれ、ラテが完全にイエナの腕の中に隠れてしまった。ちょっとビビりのラテは、プルプル震えている。
ラテのこの可愛さを分かってくれる人がいたとは。ラテは猫姿も可愛いし、人間姿も可愛いのだ。かなり嬉しい。しかし、このままでは食事は開始できない。
「ラテが緊張してしまっているので、今日のところは食事は二人でさせてもらいたいのですが、いいですか?」
「あ! もちろんです、妃殿下! 猫様も、どうぞごゆっくり、お食事なさってくださいませ」
侍女二人は、ぶっ倒れたもう一人の侍女を抱えて去っていった。
「ほら、ラテ。二人っきりになったわよ。ご飯にしましょ」
そーっとラテはイエナの腕から顔を出し、きょろきょろと気配を探っている。そして、誰もいないことを確認したのか、体を全て出した。そんなラテを、テーブルの上の隣の食器の横に乗せる。
ちょこんとラテはそこに座って、パンを一つ取った。
「バターを塗ろうか? 蜂蜜もあるみたいよ」
「バターを塗ってくださーい」
「はい、畏まりました、猫様ー」
冗談のように言いあいながら、久しぶりにのんびりとした朝食をするのだった。
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