第7話 最悪な結婚式

 第一王子ミハイルから婚約者交換を告げられてから、約一ヶ月近く経った。今日はイエナが結婚相手である第二王子ユーリのいる国、隣国ルキナ王国へ旅立つ日だ。


 イエナは朝早起きして、ラテと一緒に祖母から受け継いだ温室へやってきた。この温室は、イエナが世話をしなくなれば、他の誰も世話などしないので、植物は全て枯れることだろう。だから、イエナが全て持っていくのだ。


「ラテ、準備をお願いね」

「ニャ! 【分かった!】」


 猫姿のラテは、人間姿になる。そして、植物の植木鉢を持ち、ラテの人間姿でも頭の上に存在する寝たままの猫耳を立てた。そして猫耳の中に植木鉢を入れていく。植木鉢は、猫耳の中に吸い込まれていった。


「ラテ、私が植木鉢を入れるから、猫耳を立てたままでいて」

「うん」


 猫耳を立てるように腕で支えるラテ。イエナはその耳の中に、次々と植木鉢を入れていく。


 ラテの耳の中は、マジックバッグと似た性質がある。マジックバッグは高価すぎてイエナは手に入れられないが、ラテの耳があるので問題ない。ラテ曰く、中に入れられる広さや重さは関係ないらしい。ただ、時間の流れは、五分の一ほどらしいので、生ものを長時間入れることはできない。ルキナ王国の王宮までは三日程度の日程なので、植物は枯れることなく維持できるだろう。


 植物を全てラテの耳の中に収納を終えると、中に何もなくなった温室は、狭いはずなのに広く感じる。


「今までありがとう。おばあ様」


 祖母が残してくれた温室は、イエナの心の支えだった。これからは、引っ越した先で、一緒に移動する植物とラテが心の支えになるだろう。


「さあ、行きましょうか。ラテ」


 人間姿から猫姿に戻ったラテを抱き上げた。そして、自室に戻ってたった一個のバッグを取り、馬車に乗り込む。


 馬車が動き出した。家族の見送りはない。元々期待していないので、何も思わない。昨日の夜、父が「明日家を出たらイエナは他家の人間になるのだから、ローゼン家に今後は迷惑はかけないように」と言われた。だから、家族は、イエナが今日出立するのは知っているのだ。


 最後まで優しい言葉などかけてもくれない家族に、期待するのはとうに辞めた。それよりも、やっと家族と離れることができることに嬉しささえある。


 この一ヶ月は、忙しかった。王宮へ最後の大聖女の仕事のために通った。その合間に、薬を多めに作って、商会に卸した。それから、昨日、たくさん魔獣除けを作ったため、ローゼン伯爵家の敷地の塀にあるものと取り替えてきた。もう心残りはない。


 馬車に揺れながら、イエナは膝上で眠るラテを撫でる。


 新しい家族になる、第二王子ユーリはイエナを暖かく迎え入れてくれるだろうか。クララからイエナに婚約者が変わったとはいえ、元々この結婚は十八年前に決まったこと。だから、さすがにイエナを追い出しはしないとは思うが。


 ユーリとは、イエナは年に二回は会う関係だった。半年に一度、ミハイルがローゼン伯爵家に訪れる取り決めと同じように、ユーリも半年に一度、婚約者クララと過ごすためにローゼン伯爵家に訪れていたからだ。


 ミハイルとユーリは、二人とも父である陛下に似て、美形で似たような顔をしている。しかし、髪色と体格が違うからか、まったく違う人に見えるから不思議だった。


 金髪碧眼のミハイルとは違い、ユーリは黒髪碧眼だった。ルキナ王国の国民は、民族的なものからか身長や体格が少し大きい。百七十五センチほどのミハイル、対して二百センチもあるユーリ。ユーリと並ぶクララを見たことがあるが、大げさに言うなら親子かな、というくらい身長差があった。


 しかも、ユーリは普段から魔獣討伐に向かうことが多いらしく、細身のミハイルよりがっちりして野性的だった。そういうところが、妹クララは気に入っていたようで、十代前半くらいまではユーリのことを好きだったような雰囲気だった。


 しかし、年々クララの不満は溜まっていった。ユーリにおねだりしても、豪華な宝石を贈ってくれない、好きとも言ってくれない、いつも無言、などなど。


 ルキナ王国は、魔獣がよく出る国で、聖女もおらず、魔獣討伐や防衛に力を入れている国だ。普段から魔獣関係で財政が圧迫しているらしく、まだ婚約者に過ぎないクララに豪華な宝石など贈るわけないのだ。まあ、イエナの婚約者だったミハイルはイエナに一度も贈り物などしたことはないが、婚約者ではないクララのおねだりにミハイルはクララには贈り物をしていたようだが。


 また、ユーリはいつも無言というより、口下手なのかなとイエナも思っていた。だからクララに好きなど、愛の言葉を言えなかったのではないか。まあ、イエナの婚約者だったミハイルはイエナに一度も愛の言葉など言ったことはないが、クララには愛の言葉を垂れ流していたようだが。


 ユーリは魔獣討伐が常だからか、ちょっと目つきが鋭いため、怖い印象は確かにある。イエナも怖いと思ったことは、何度もある。でも、きっと優しい人だと思っている。


 あれは、五年くらい前だっただろうか。婚約者のミハイルがローゼン伯爵家にやってきたものの、イエナは邪険にされ、仕方なく温室で薬草を取ろうとしていた時のこと。使いたい薬草の植木鉢が温室の上から吊っていたため、イエナは踏み台を温室の外から持って来て、踏み台に乗ろうとしていた。


「上の植木鉢に用があるのか?」


 急に後ろから話しかけてきたのは、ユーリだった。クララと喧嘩したようで、部屋から追い出されたと言っていた。ユーリの背が高くて、見下ろされると、すごく怖い。目つきも鋭利だし。ただ、この時すでにミハイルほどユーリが薄情ではないと知っていたイエナは、「はい」と言った。


 すると、急にユーリはイエナを子供を抱くように、腰を抱き上げた。


「ひぁっ!?」

「上の植木鉢に用があるのだろう?」

「は、はい!」


 抱っこされている間に、薬草を早く取れってことですね。恥ずかしいというより恐縮した気持ちで、イエナは慌てて薬草の葉をむしる。他の吊るされた薬草にも用があったため、恐る恐るユーリに口を開いた。


「ユ、ユーリ様、申し訳ありませんが、あちらの方に移動していただけますか?」

「分かった」


 そんなやりとりを何回か繰り返しながらも、ユーリは嫌な顔一つせずに、薬草取りを手伝ってくれた。そういう優しい面を知っているので、ユーリは口下手かもしれないが、きっと優しい人なのだ。


 そんな風に、時々ユーリとは話す機会はあったので、まったく知らない人というわけではない。婚約者はクララからイエナに勝手に変えられてしまったので、そこは怒っているかもしれないが、それはイエナのせいではないのだから、イエナに辛く当たったりはしないと思いたい。


 途中で宿に泊まりつつ、国境を越えてルキナ王国に着いたのは、イエナの結婚式の前日の夜だった。そして、疲れていたイエナは、新しい婚約者ユーリには会えぬまま、次の日の結婚式を迎えた。


 朝から侍女たちが忙しく動き、イエナにウェディングドレスを着せ、化粧を施した。一度も採寸などしていないのに、ドレスはぴったりだった。


 そして、イエナとルキナ王国王太子ユーリの結婚式。


 主役の新郎ユーリは現れなかった。


 ローズスト王国からも、上位貴族が招待されて来ていたが、その表情は、嘲笑の極み。それはそうだ。新婦はいるのに、新郎がいないのだから。


 針のむしろ状態のイエナは、泣きそうな感情を押し殺し、笑みを浮かべて結婚式を乗り切るのだった。

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