第6話 大聖女の仕事

 浮気現場にいた第一王子ミハイルと別れ、王宮内を歩いているとイエナの前にある女性が現れた。


「イエナ嬢、王妃殿下がお呼びです。一緒に来ていただきます」

「え……。私、これから仕事が」

「私についてきてください」

「……」


 有無を言わさずか。相変わらずだな。

 彼女は第一王子ミハイルの母である第一王妃付きの侍女。イエナは内心溜め息を吐きながら、侍女の後に続いた。


 あまり寄り道をしている余裕はないのに。これから大聖女の仕事が待っている。しかし、相手はそれを聞いてくれる人ではない。


 王宮の第一王妃のプライベートな部屋。そこに案内されたイエナは、優雅にお茶を嗜む王妃と対面した。


「お呼びでしょうか、王妃殿下」


 お茶を置いて顔を上げた王妃は、微笑んだ。


「十八年もミハイルに分不相応な婚約者がいたことには、腹立たしい思いをしていましたが、やっとあるべくしてあるところに収まったと思うのよ。ねえ、イエナ。あなたもそう思うでしょう?」

「……」


 やはり、嫌味か。それを言いたくて、こちらが忙しいことも無視して呼んだのだ。


「魔力の少ない者が次代の大聖女などともてはやされていたのは、あなたがミハイルの婚約者だったから得られた名誉だったの。それがあなたの勘違いだったと、やっと正せることができるわ」


 誰もイエナを大聖女などと、本気で思っている人はいない。裏でも表でも嘲笑の対象だったイエナの何が勘違いだったと言うのか。


「あなたのように見せかけだけの大聖女は、第二王妃の息子にこそ相応しいわね。ふふふ。魔力が少ないとはいえ、あなたも聖魔法の使い手だもの。あなたが息子の婚約者でも第二王妃は泣いて喜ぶかもしれないわ。イエナ、あちらに行ったら、第二王妃の役にでも立てるように、頑張りなさい」

「……はい」


 言葉少ないイエナに第一王妃は「面白くないわね」と小声で言って、イエナに退出を許した。イエナは礼をして部屋を出る。


 やっと終わった。イエナは王宮に来ると、度々第一王妃に呼び出されていた。いつも嫌味か、イエナが使えない女だとヒステリーに物を投げつけられることもあった。それも、あと少しで終わりだ。


 ローズスト王国の現国王には、二人の王妃がいる。第一王妃はローズスト王国の公爵家の娘、第二王妃は隣国ルキナ王国の王女であった。同じ時期に王妃になったためか、第一王妃は第二王妃にライバル心がある。しかも、互いに最初に生まれた子は、一日違いに生まれた同い年の王子だ。


 同い年の王子は二人だが、しかしながら後継者争いなど起きやしない。なぜかといえば、第二王子はローズスト王国の第二王子であり、ルキナ王国の王太子でもあるからだった。現在、ローズスト王国の第二王妃の称号を持つお方は、ルキナ王国の女王として君臨しているため、この国にはいない。そして、その息子である第二王子も現在ルキナ王国にいる。


 つまり、イエナの新しい輿入れ先は、隣国ルキナ王国なのである。


 すでにローズスト王国でミハイルが王太子となっているにも関わらず、第一王妃が第二王妃を目の敵のようにしているのは、王の寵愛が関係する。十八年前、第二王妃は再び子を身ごもった。第一王妃には子は現在でもミハイルのみだ。二人目の子を身ごもった第二王妃だったが、ルキナ王国で前王が亡くなり、王太子でもあった第二王妃は、第二王子とお腹の子と共に国に帰った。それでも、今でも王の寵愛は、第二王妃に向いていると言われている。


 だからか、第一王妃は魔力の弱いイエナがミハイルの婚約者で、魔力の強いクララがユーリの婚約者だったのが気に食わなかったのだ。


 毎度毎度、第一王妃に八つ当たりされるイエナは、いつもうんざりだった。それも、あと少しの辛抱。


 第一王妃の呼び出しで時間を取られてしまったため、イエナは仕事場所へ足を速めた。


 王宮の敷地内にある神殿に到着した。予定の時間には、ギリギリ間に合った。


 神殿の中では、王宮所属の神官が卓上に山盛りの薔薇の形をした水晶を用意していた。イエナはそれを見て、神官に口を開いた。


「今日はいくつですか?」

「百二十ほどです」


 百二十なら、いつもより少し少ない。普段は百五十前後はあるのだ。


 これから、大聖女として、薔薇水晶に聖魔法で加護を付与するのだ。


 加護が付与された薔薇水晶を持っていれば、A級以下の魔獣を除けてくれるようになる。また、副効果として、若干の健康促進効果もある。こちらはおまけ程度であるが。


 イエナは、薔薇水晶の前に手をかざし、聖魔法を使用した。魔力の流れが、薔薇水晶に向かう。そして、イエナは口を開いた。


『□□□ □□(魔力五倍)』


 古代語である。イエナだけでなく、大聖女が薔薇魔法に加護を与える時は、魔力三倍程度の力を古代語で付与するのだ。


 しかし、魔力の少ないイエナは、本日は五倍に抑えているが、本来ならやってはいけないとされる、魔力七倍まで魔力を増やすこともある。そうしないと、魔力の少ないイエナが百五十ほどの薔薇水晶に加護を付与できないのだ。


 古代語と言われるソウェル語は、言葉で潜在的な能力を引き出したり、増幅させたりできると言われている。しかし、潜在的な能力を引き出すこと以上に、増幅させる力は諸刃の剣で、その塩梅を見極め誤ると、簡単に対象を壊しかねない。つまり、人間であれば、死ぬこともあり得るのだ。


 それから二時間ほどかけて、イエナが薔薇水晶に加護を与え終えると、イエナはふらっと床に座り込んだ。


 神官が慌てて水を持ってきてくれる。イエナは遠慮なくそれを受け取り、水を飲み干す。


「ありがとう」


 イエナは神官にコップを返し、ゆっくりと立ち上がると、近くの椅子に座った。神官が加護が与えられた薔薇水晶を丁寧に箱に入れていっている。


 今日は百二十程度で魔力も五倍までの増幅だったので、これでもマシな方だ。疲れているけれど、魔力枯渇とまではいかないで済みそうである。ひどいときは、魔力が枯渇し、王宮で一日休まないと家に帰れないこともある。しかし、今日は、少し休めば、家に帰れるだろう。


 薔薇水晶は、無料で国民に配布されるものではない。薔薇水晶の加護は、三年程度しかもたず、三年ごとに購入する必要がある。その価格は、一つ金貨三枚。平民の平均月収の二ヶ月分から三ヶ月分というところか。貴族はほぼ全員が購入している。平民でも、三分の一程度の人が購入していると聞いている。


 薔薇水晶はA級以下の魔獣を除けてくれるようになるとは言うが、その範囲は、半径三メートル程度。魔獣討伐に行く専門職では心もとないが、普段魔獣に縁遠いただの貴族や平民であれば、十分な効果と言える。


「また倒れ込んでいるの? 本当に、つくづくあなたは魔力が足りないのね」

「……大聖女様」


 いつの間にか、当代大聖女であるクラミナ公爵夫人がイエナの傍に立っていた。祖母の姉である。


「聞いたわ。ミハイル殿下の婚約者ではなくなったんですってね」

「はい」

「やっとあなたに仕事の引継ぎをしたと思っていたのに。またわたくしがクララに教えなければならないなんて」

「申し訳ありません。どうか、クララを宜しくお願い致します」

「仕方ないわね。魔力が多いクララの方がマシでしょうから。あなたがこのまま大聖女を引き継ぐのは、不安でならなかったもの。今だって、わたくしが七割は受け持っていたのに、あなた一人になったら、どうするのかと思っていたのよ」


 イエナは、三年ほど前から、次代の大聖女として、当代大聖女から引き継ぎを行っていた。


 本来であれば、薔薇水晶への加護の付与は、個数の関係で三日に一度行われる。しかし、イエナが一度加護の付与を行うと、魔力が足りずにぶっ倒れることがしばしばで、魔力回復に時間がかかる。そのため、イエナが加護の付与を行うのは、十日に一回程度。つまり、一度加護の仕事をすると、その後二回は当代大聖女が担当してくれているのだ。イエナは今まで三回に一回程度に免除されていたのである。


「結婚式直前までは、今まで通り私がここへ来ます。結婚式後からクララが担当するそうです」

「分かったわ。もっと早く婚約者の変更をすればよかったのにね」


 本当にそうですね。イエナも内心同意する。

 大聖女は溜め息を吐き、神殿から去っていった。イエナも一休みすると、帰宅の途につくのだった。

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