第5話 元婚約者の浮気

 商会を出た後、イエナはラテを連れてパンケーキのお店に向かった。ラテは少し興奮しているので、イエナが腕に抱いている。お店に到着すると、イエナはさっそく注文した。この店は、店内で食べるところがあるが、イエナは持ち帰りをするのだ。


「苺ジャムとクリームのパンケーキを一つと、……ラテ、他には?」

「みぅ! みゃみゃみゃー! 【バナナとチョコとクリーム!】」

「バナナとチョコとクリームのパンケーキも一つ。あと、マンゴーとクリームのパンケーキを一つと、あとは、甘くないパンケーキでトッピングはソーセージにレタスにトマトソース、それを二つ」

「ありがとうございます! 少しお待ちくださいね!」


 マンゴーのパンケーキと甘くないパンケーキの一つはイエナの分である。もう一つの甘くないパンケーキは、ラテに食べさせる予定だった。


 お金を払い、パンケーキを受け取ると、ラテを抱いたままイエナは歩き出した。途中で瓶入りのミルクとオレンジジュースを買い、少し歩くと人気がなくなり公園が見えてきた。丁度昼時で、公園で普段遊んでいる子供たちはいない。


 少し大きい木の木陰に座ると、ラテを地面に降ろした。ラテはすぐに人間の姿になり、わくわく、わくわく、と足踏みしている。ラテよ、ヨダレも垂れてるぞ。


「イエナ! 見せて、見せてー!」

「はいはい。少し待ってね」


 大袋からパンケーキの小袋を取り出し、袋を開けてあげると、袋を覗き込んだラテから、じゅるじゅると音が聞こえる。


「ラテ、ヨダレが滝のように……」

「ボクの! ボクのはどれ!?」

「苺とバナナ、どっちから食べるの?」

「苺!」


 イエナは苺のパンケーキの小袋を取り、袋を半分開けた。


「うーん、少し大きいかな? 千切ってあげようか?」

「ううん、バクってするの!」


 ここのパンケーキは、小さめの二枚のパンケーキの間にクリームや苺を挟んだものだ。小さい口のラテでは大きいが、まあいいでしょう。細かく千切らずにラテにパンケーキの小袋を持たせる。


 ラテはぱぁっとキラキラした顔でパンケーキを凝視し、イエナを見た。


「食べてい?」

「いいよ」


 ラテは顔ごとパンケーキにダイブした。パンケーキから顔を上げたラテは、想像通り、頬や鼻先にべっとりとクリームを付けている。イエナはぷくくっと笑いながらも、頬や鼻先のクリームはそのままにしておく。どうせ、この後もたっぷり付くことになるだろうから。


「うまっ! うまぁ!」


 なかなか食い意地が張っているラテは、すごい勢いで食べ進めている。頬っぺたがもりもりに膨らんでいる。


 イエナも食べようと、甘くないパンケーキをまずは手に取った。うん、甘くないパンケーキも美味しい。あまり大きくないパンケーキを、イエナが一つ食べ終わるころには、ラテも一つ食べきっていた。


「ラテ、二つ目に行く前に飲み物を飲みましょう。ミルクとオレンジジュース、どっちがいい?」

「ミルク!」


 ミルクの瓶をラテに渡すと、ラテは半分くらい一気飲みした。


「二個目はバナナと甘くないパンケーキ、どっちにする?」

「バナナ!」


 バナナのパンケーキの袋を半分開けてあげて、ラテに持たせる。すぐにパクつきだしたラテを横目に、イエナも二個目のマンゴーのパンケーキを口にした。


 結局、ラテは三個目の甘くないパンケーキもペロリと食べきり、パンケーキは全て完食した。イエナはクリームだらけのラテの顔を拭いてやる。


「美味しかった?」

「美味しかった! 今度はね、イエナが食べてたマンゴーにする!」

「分かった。今度また行きましょ」


 食後の休憩を少しして、人間から猫姿に戻ったラテを連れて買い物に向かった。ラテはお腹がすごく膨らんでいる。猫姿のラテは短足のため、膨らんだお腹が地面スレスレになっている。


 まずは薬草を売っている店に寄る。イエナの温室では育てていない薬草で、薬作りに必要な薬草を買う。それから、薬作りに使えるキノコ、スパイス、木の実などを購入する。


 そして、趣味の植物を見るため、いろんな植物の苗を売っている店に寄る。最近お店でよく見る植物しか売っていなかったため、この日は植物は何も買わずに帰宅するのだった。





 七日後の朝。


 この日は、十日に一度の大聖女の仕事の日だった。イエナは神官服に着替え、ラテは屋敷に置いたまま、馬車に乗った。ローゼン伯爵家の領の隣にある王都へ向かうのだ。目指すは、王都の王宮である。


 約一時間半馬車に揺れ、昼前には王宮に到着した。


 すでに王太子ミハイルの婚約者でなくなったイエナは、次期大聖女でもなくなったため、大聖女の仕事はしなくてよいはずである。しかし、結婚式まで一ヶ月を切り、次の大聖女である妹のクララは結婚式の準備で忙しいからと、結婚式前ギリギリまでイエナが大聖女の仕事は継続することになった。


 クララの結婚式は、イエナの結婚式の日でもある。同じくイエナも忙しいはずなのに、イエナ自身は結婚式の準備は何もしていない。両親曰く、婚約者側の第二王子ユーリとその母が準備してくれているらしく、イエナは何もしないでいいらしい。


 せめて、ウェディングドレス用のサイズを測ったりする必要はないのだろうか。クララは婚約者を交換することが決まった次の日には、王宮へサイズを測りに行っていた。イエナも一年ほど前に、ミハイルとの結婚のためにウェディングドレスのサイズを一度測ってもらったが、それからドレスができたとも何も連絡はなかった。もしかしたら、サイズを測っただけで、作ってもいなかったのかもしれない。


 ミハイルの事はただの政略結婚で好きでもなんでもないが、かといって、まさかドレスを作っていなかったかもしれないという悲しい想像に、少しだけ溜め息をついてしまう。


 そんなことを考えていた時、王宮の中庭に面する渡り廊下を歩いていると、ミハイルを発見した。どこかで見たことのある貴族の令嬢と二人でベンチに座り、談笑している。


 イエナはミハイルに近づいた。その間に、ミハイルは令嬢の唇に軽く口づけしながら、何やらイチャついている。


「ミハイル様」

「わぁぁああ!? ……な、な、なんだ、イエナか。驚かすな」


 ミハイルと一緒にいた令嬢も驚いていたが、イエナを見ると、ニヤっと笑みを浮かべた。


「あら、元大聖女様ではありませんか」

「はい、どうも、元大聖女です。あなたに用はないので、黙っていてくださいね」

「な、なによ! 似非大聖女のくせに! 殿下! この人、いまだ殿下の婚約者気取りしていますわ! 怒ってくださいませ!」

「イエナ、俺の事は諦められないのかもしれないが、俺の婚約者はクララに――」

「その婚約者交換のことですが、陛下にはご報告されました?」


 バサッと会話を切ったイエナに、ミハイルはむっとしながらも口を開いた。


「昨日陛下が休暇から帰ってこられたから、ご報告した。了承も得られたぞ」

「……そうなのですか?」


 息子がこんな感じなのに、我が国の陛下はとても厳格な方だった。もしかしたら、息子のやらかしに、大激怒して、婚約者の交換は無しになるのでは、と少し心配だったのだ。しかし、陛下の同意も得られたのであれば、ミハイルは本当に夫にはならないということだ。嬉しい。嬉しすぎる。大聖女という大役を辞めることができて、しかも婚約者の前だというのに、堂々と浮気をするミハイルを夫にしなくていいのだ。


 つい、イエナは笑みを浮かべた。


「ありがとうございます!」

「は? 何が?」

「いえいえ! では、お邪魔致しました。続きをどうぞ」


 スキップをしそうな勢いでくるっと踵を返すと、イエナは歩きだした。


「ま、待て! イエナ!」

「……?」


 イエナはミハイルを振り返る。


「どうなさいました?」

「クララには、言うなよ!」

「何をですか?」


 ミハイルはちらっと横の令嬢を見た。


「ああ、浮気のことですね。承知しました。クララに言うつもりはありませんので、ご心配なく」


 そんなことをクララに言おうものなら、イエナがクララからどんな仕打ちをされるか分からないではないか。


 それにしても。ミハイルはイエナには浮気がバレようが何も気にする様子はなかったが、クララにはバレたくない、と思っているのだな。ここでもクララとの対応の差に、笑えてくる。まあいい。もうイエナには関係のない話だ。


 イエナは再び踵を返した。もうイエナを呼ぶ声はない。


 ミハイルは、金髪碧眼で顔が美形なものだから、小さい頃から令嬢が集まってきていた。だからミハイルが複数の令嬢に手を出しているのは知っている。ただ、クララは知らないのだろう。それに、ミハイルに手を出されている令嬢たちも、ミハイルが実は自分以外にも複数の令嬢に手を出しているとは知らないと思う。


 だから、次代の大聖女という大層な肩書を持つイエナが魔力が少なく、似非大聖女だと見下されていたため、浮気相手の令嬢たちは、揃いも揃って、第一王妃は無理でも第二王妃の座を狙っていた。ルキナ王国の王は、第三王妃まで認められているのだ。


 国で認められている以上、まだ王太子のミハイルとはいえど、イエナは浮気相手の令嬢たちを放っておいた。未来の第二王妃や第三王妃の可能性があるから。昔から浮気三昧のミハイルには、イエナは何も希望を持っていなかったから、諦めていたのだ。ただ、クララはどうだろう。あの子は、自分だけが唯一ではないと、許せないタイプだから。


 まあ、イエナはミハイルに言った通り、クララに告げ口などするつもりはない。


 イエナは足取り軽く、仕事へ向かうのだった。

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