第4話 植物と薬師

「みぃ、みぃー 【イエナ! 起きてー!】」

「ぅ……ん……」


 ラテの声に、少しずつ覚醒し、イエナは目を開けた。部屋にある小さな窓からは、朝日の明るい光が漏れている。もぞもぞと棺桶の中で寝返りを打ち、またもや眠りの世界に落ちようとしたイエナの頬を、ぺろぺろとラテが舌で撫でた。


「みぃあ! 【お腹空いたよ! イエナ!】」

「ふぁあああい。……起きますぅ」


 イエナは大きく欠伸をして、棺桶から体を起こした。ぼーっとしたまま、ラテを置いて、自室を出る。そして、近くのトイレに入ると、トイレの手洗い場で顔を洗った。うん、目が覚めた。


 自室に戻ったイエナは、今日も茶色のドレスに着替えて、使用人用の食堂へ向かった。イエナが両親や兄や妹が使う食堂へ行くと、みんなが嫌がってイエナに対する嫌味を言われるのが始まるので、イエナは心の平穏のために使用人用の食堂に行くことにしている。


 ローゼン伯爵家の令嬢なのに、使用人用の食堂をうろつくのを誰もおかしいとはすでに思っていない。食堂でパンを四つとスープ、そしてミルクとオレンジを受け取ると、イエナはそれを持って自室に戻った。


「ラテ、ご飯だよ」

「みぃ! 【待ってました!】」


 イエナは床に座り、椅子に食事を置いた。ちなみに、机があるのにそこで食べないのは、机の上に所狭しと薬が置いてあるからである。


 猫姿から人間姿になったラテと一緒に朝食をする。パンを千切ってラテにあげつつ、イエナもパンを頬張った。


「街には昼前に出発しましょ。今日はその前に薬草の世話をしなくちゃ」

「わかったぁ」


 スープとミルクを飲み、オレンジもラテと半分にする。ラテは果物が好きなので、皮を取ってあげた実を、頬っぺたをぱんぱんにしながら頬張っている。可愛い。


 食事が終わると、食器を食堂へ持っていき、それから猫姿に戻ったラテを連れて、イエナの温室に向かった。


 温室の大きさは、棺桶四つ分程度の広さで狭い。祖母が生きている時から、この大きさだ。しかし温室には、植木鉢が所せましと並んでいる。テーブルもあり、テーブルの上も下も植木鉢が置いてあり、温室の天井からも植木鉢が吊るしてある。


 植木鉢の中は、薬草以外の植物もある。祖母もだが、イエナも薬草だけではなく、植物自体が好きなのだ。


 植木鉢に水をあげたり、枯れかけた葉を取ったり、植物の健康状態を見て回る。


「あら、蕾を付けてる」


 イエナが蕾を付けた植物に話しかけると、その植物が揺れた。


『□□□□□ □□□□ (素敵な花を咲かせてね)』


 イエナは古代語で話すと、蕾の植物は、ツヤツヤと輝いた。


 そのようにして、植物たちの健康状態を見ながら、古代語で話しかける。すると、植物たちは生き生きとする。


 古代語で植物に話しかけるのは、祖母がしていたことだ。古代語には力がある。本来なら、大聖女の仕事でしか使わない古代語だけれど、大聖女でない祖母も古代語を学んでいたので、それの応用で植物を育てたり、薬剤を作ったりするときに古代語を使用するのだ。


 温室の状態確認を終えると、イエナはラテに口を開いた。


「じゃあ、街へ行く準備をしましょうか」

「み! 【行く行く! パンケーキ!】」

「はいはい。でも、先に商会に行くからね。パンケーキはその後」

「みぃぃ…… 【えぇ!? パンケーキ……】」


 しゅんとしたラテを連れて自室に戻り、机の上に置いてあったイエナお手製の調合した薬品をバッグに入れる。そして、フード付きローブを羽織り、ラテを連れて部屋を出た。


 屋敷を出て、敷地の塀がある裏門から外へ出る。そして、ローブのフードを深くかぶり、道を歩き、街へ出た。まずはイエナの馴染みの商会へ行く。


 馴染みの商会には、表に店舗、裏に商談用の入口がある。イエナは裏の商談用の入口から中に入った。


 扉に付いた鈴がカラカラっと音を立てる。


「お、待ってたぞ。猫耳頭巾のお嬢さん」


 猫耳頭巾とは、イエナがかぶっているローブのフードに付いた猫耳から、勝手にあだ名を付けられたのである。フードの猫耳は、イエナが付けたわけではない。フードローブは祖母がイエナにプレゼントしてくれたもので、その頃から猫耳が付いていたのだ。


「こんにちは、おじさん。前に卸したものは、在庫はありますか?」

「ないよ。猫球印の薬は、良く効くから人気だと言っただろ。ちょっと待ってろ。売り上げ表を持ってくる」

「はい」


 猫球印とは、イエナが作った薬に付けているマークだ。猫の肉球のマークなのである。もちろん、ラテの肉球が可愛いので、そこから付けさせてもらった。


 部屋にはテーブルがあり、イエナはテーブル前の椅子に座った。一緒に来たラテがテーブルの上に飛び乗り、座る。

 おじさんは売上明細書とお金を持ってきた。


「売上は金貨二枚と銀貨七十五枚だ。落とさないようにな」

「ありがとうございます」


 この国の平民の平均月収は金貨一枚から金貨二枚程度と言われているので、イエナのこの売り上げは、まあまあと言えるだろう。ちなみに、銅貨百枚が銀貨一枚と同じ、銀貨百枚が金貨一枚と同じである。


 イエナが調合した薬は、いつもこの商会で売ってもらっている。商会の手数料は四割だ。まあまあ手数料は取られているが、イエナが卸す薬は多くないので、これで十分だと思っている。


「いつもの倍くらいに卸す量を増やせないか? 量が増えるなら、手数料はもう少し安くできるんだが」

「私が一人で作っているので、この量が限界なんです。すみません」


 本当は、もっとたくさん作れるが、イエナはお金儲けをしたいわけではない。ラテに好きなものを食べさせたいとか、薬にもなる変わったキノコとか、変わった植物とかを手に入れるために、少しばかりの自由になるお金が欲しいだけなのだ。両親はイエナにはお金をくれないので、自分で稼ぐしかない。


「それと、実は結婚が決まっていまして」

「ああ、そう言えば、前にそんなことを言ってたな」

「はい。それで、薬を卸せるのは、次回が最後かと思います。なので、次回は買取でお願いできますか?」

「は? 困るよ! 前は卸す頻度が減るだけと言っていなかったか?」

「それが……嫁入り先が王都ではなくなったので。……すみません」

「遠い地に嫁入りすることになったんか! そりゃ、困ったな……」


 おじさんはガシガシと頭を掻いた。

 すみませんね。嫁入り先が、第一王子ミハイルではなく第二王子ユーリになったんです。イエナだって、予想外である。


「仕方ねぇ。困るが、嫁入り先が、遠い地じゃあな。その代わりと言っては何だが、次回は、いつもより多めに薬を卸してもらうことはできないか?」

「分かりました」


 そのくらいの要望は聞いてあげるべきだろう。嫁入り先が変わったのはイエナのせいではないとはいえ、商会のおじさんには世話になった。感謝だってしているから。


 それから、イエナは今日持ってきた分の薬を出した。風邪薬、のど薬、鼻水薬、熱さまし、痛み止め、かゆみ止め、胃薬、化膿止め、魔獣除け、などなど。基本的には、平民が使う薬ばかりだ。


 おじさんに卸した薬の明細を貰い、イエナは商会を出た。

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