第2話 大聖女の所以

 第一王子ミハイルは、イエナが生まれた時からの婚約者であった。イエナは現在十八歳なので、婚約期間もすでに十八年。自分勝手なミハイルの性格は知っていたが、さすがに、婚約者交換は勝手すぎるのではないだろうか。


「ユーリ様は、婚約者を交換することに納得されておられるのでしょうか?」

「まだユーリには言っていないが、ユーリにはそのうち伝えればいいだろう」

「そのうちって、すでに結婚式まで一ヶ月しかありませんよ!?」


 ミハイルとイエナの結婚式、ユーリとクララの結婚式は、それぞれ一ヶ月後の同じ日に決まっているのである。


「ユーリに拒否はできない」

「……それでは、陛下はご存じなのでしょうか?」

「結婚相手を交換するとはいえ、姉妹の交換に過ぎない。王太子の俺には、クララの方が王太子妃に相応しいと、誰もが言っているのをイエナも知っているだろう。父上も納得されることだろう」


 納得されることだろう、って、陛下は知らないってことだよね?


 現在陛下は、年に一度の休暇で地方へ行かれている。今の内に、契約を変えてしまおう、ということなのだろう。きっと、ミハイルの母である第一王妃も協力しているに違いない。


 二の句が継げなくて、唖然とするが、その拍子に欠伸が出そうになり、イエナは口元を手で抑え、下を向いた。こんな時なのに、すごく眠い。


 欠伸を誤魔化しつつ上を向くと、これまで黙っていたクララが笑みを浮かべた。


「ショックのようね、お姉様。でも、仕方ないの。だって、お姉様の魔力が弱いからいけないのよ」


 いえ、全然ショックではありません。ミハイルとの結婚は重荷だったので、これが陛下や第二王子ユーリも納得しているなら、諸手を挙げて喜びたいところである。


 両親を見ると、ミハイルとクララの結婚に納得しているようで、上機嫌なのが見て取れる。これでは、今イエナが何を言っても無駄だろう。


「……承知しました。婚約者の交換に承諾致します」


 もう知らない。イエナには、彼らを止めることはできないのだ。





 イエナは応接室を出ると、自室に戻ってきた。イエナの自室はとても狭い。机とベッド代わりの棺桶、それに積み上げられた木箱が三つ。これだけしかないのに、部屋はギュウギュウである。


「みぃあ 【おかえり! お腹空いたよ】」

「あ、ごめんね、ラテ。すぐにご飯を用意するね」


 イエナは木箱からパンとハチミツ、それにミルクを取り出した。全て今日のイエナに与えられた食事から、こっそりと隠し持ってきたものだ。それを椅子の上に置く。


「今日はこれで我慢してね。明日は街に行きましょ。パンケーキを買ってあげるわ」

「み! 【パンケーキ! やったぁ!】」


 猫のラテは、目を細め、それからくるんと一回転した。すると、猫だったラテは、体の大きさはそのままに、人間の姿になった。人間の姿といっても、顔だけであるが。首から上だけ人間の二歳くらいの幼児の顔で、クリーム色の髪の毛、金色の目、もちもちのほっぺ。耳だけは頭の上に垂れた猫耳があるので、そこだけは人間ではない。しかし、とっても可愛い幼児である。首から下も体の形こそ人間だが、クリーム色の毛に覆われ、手先と足先は猫足、尻尾もある。人間の幼児が猫の着ぐるみでも着ているような姿で可愛い。


 イエナはラテのこの人間のような姿を、第二形態と呼んでいる。ラテと二人っきりの時だけ、この姿に変態するのだ。ちなみに、完全な猫姿は、第一形態である。ラテは魔獣の一種である。イエナ以外、ラテが従魔だとは知らないので、普段は猫の姿でいてもらっている。


 イエナは、床に座ると、椅子の上に置いたパンを取って千切った。それをラテに手渡す。ラテは小さい手でそれを受け取ると、ニコニコとパンを口に入れた。


 ラテは、人間の二歳の幼児に比べると、体の大きさはその半分くらいしかない。どうみても人間ではないため、他の人がいる前でご飯など食べさせられないのだ。猫用のご飯なら、第一形態の猫姿で食べてもらえばいいのだが、こう見えてラテは食に煩い。猫用のご飯は食べてくれないのだ。


 今度はパンにハチミツを掛けて、ラテに渡した。ラテはキラキラと目を輝かせ、パンに嚙みついている。


「ハチミツ、美味しいー!」

「良かった。明日は、街でパンケーキにクリームたっぷりを注文しようか」

「……!! うん! 苺ジャムも付けて!」

「いいわよ」


 人間の姿であれば、念話でなくともラテは人間の言葉を話せるのだ。

 ニッコニコのラテが可愛くて、つい頬が緩んでしまう。和むなと思いつつ、ラテの頬に付いたハチミツを拭ってやりながら、さきほどの応接室のことを思い出していた。


 婚約者の交換。どうせするなら、結婚式の一ヶ月前でなく、もっと早くすればよかったのに、と思えてならない。


 ローズスト王国のローゼン伯爵家は、大聖女が生まれる唯一の家系であった。大聖女とは、聖魔法が使えて、かつ魔力量が膨大である家系のことだ。そして、今では古代語と呼ばれるソウェル語が理解できなければならない。


 この世界には、魔物や魔獣といった、人間に危害を加える生き物がいる。王族の発行する薔薇水晶というものがある。薔薇水晶は、大聖女の加護が付与されている。それを持っていれば、A級以下の魔獣を除けてくれる。森だけでなく街中にも隠れて潜む魔獣なんかから守ってくれる、大事な役割をする水晶なのだ。


 大聖女となれば、王宮の祈りの部屋で薔薇水晶に聖魔法で加護を付与しなければならない。国民を守る大事な役目であり、王としても大聖女であるローゼン伯爵家を大事にします、という意味合いを込めて、三世代ごとに一度、王太子と次代の大聖女を結婚させる、ということを大昔、王とローゼン伯爵家で取り決めをした。


 そして、次の王太子と結婚する世代が、イエナだったのだ。


 ローゼン伯爵家に生まれる女児の長女と王太子を結婚させる。その取り決めにより、双子だったものの、先に生まれたイエナが、この世に産み落とされたと同時に、二歳だった王太子ミハイルの婚約者となった。

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