大聖女失格を告げられた薬師令嬢の交換結婚

猪本夜

第1話 婚約者の交換

 その日、ローゼン伯爵家に王家の馬車が到着した。馬車から降りたのは、この国の第一王子であるミハイル。ミハイルはローゼン伯爵家の長女イエナの婚約者である。


 王子ミハイルの登場に、上機嫌で彼を迎えたのは、ローゼン伯爵夫妻と王子ミハイルの婚約者イエナの双子の妹である次女クララである。


 ミハイルとローゼン伯爵夫妻、そしてクララの四人は、応接室で内密な話を行う。


 そして、一時間ほど話し合いが行われた後、応接室に使用人が呼ばれた。


「イエナを呼んでくるんだ」


 当主の一言に、使用人は頷くのだった。





 この家の当主に呼ばれている当の本人イエナはというと――。


「――ふぁああああん……」

「みぃゃみゃあ 【おっきい欠伸だね。まだ疲れが取れていないんじゃないの? もう少し寝ていれば良かったのに】」

「大丈夫よぉ。魔力は少し回復したもの。せっかく晴れたから、今日の内に薬剤の交換をしておきたくて。……ふぁっ……あぁぁ。でも、まだ眠いわ。交換が終わったら、もう一眠りしようかな」


 ローゼン伯爵家の長女イエナは、伯爵家の敷地をぐるりと囲む塀沿いに歩いていた。塀の横の地面には、十メートル間隔にイエナお手製の魔獣除けを設置している。イエナお手製の魔獣除けは三十日過ぎると効果が薄くなるので、今日は新しい魔獣除けと交換をする作業をしていたのだ。


 イエナの傍には、生まれて半年程度の大きさの子猫がいる。どこからどう見ても猫だが、イエナとだけ人間の言葉で念話ができる、イエナの従魔である。


 クリーム色の体のため、猫の名前はラテ。体は子猫の大きさなのに、実はすでに三歳である。猫なのに、猫目ではなく下が半分の月のようなジト目が独特で、耳は常に垂れ耳なために顔がまん丸だ。そして短足がとっても可愛い。左手首付近に腕輪をしている。


「よし、これで最後かな?」


 魔獣除けを全て交換し終えた。しゃがんで古い魔獣除けを袋に詰めていると、ラテが声を上げる。


「みぃ 【イエナ、呼ばれているみたいだよ】」

「え?」


 イエナが立ち上がると、確かに遠くからイエナを呼ぶ声がする。


「なんだろう?」


 イエナはラテを連れて声のする方へ歩いた。使用人が数名、イエナを探しているようだ。しばらく歩き、イエナは自身専用の温室の扉を開けた。そして、回収した魔獣除けの入っている袋を置いた時、使用人が温室に入ってきた。


「お嬢さま! どこにいたのですか!? 先ほどから呼んでいるのですから、すぐに返事をしてくれないと困ります!」

「庭の塀沿いに散歩をしていたの」


 使用人がイエナを探すなど、今までの経験からろくなことではないことは分かっている。だから、急がなかっただけだ。


「散歩だなんて、そんな悠長な! 旦那様がお呼びなんですよ!? お嬢様を急いで連れて行かないと、私が怒られます!」

「はいはい。それで、どこに行けばいいの? 執務室? 食堂? 談話室?」


 使用人がイエナを見下して、言葉遣いがこの家の令嬢に対しての言葉とは違うのは分かっていても、イエナはそれを咎めなかった。イエナに対してだけは、ここでは、これが普通なのだ。


「応接室です! 第一王子殿下がいらっしゃっています」

「……ミハイル様が?」


 ローズスト王国の第一王子ミハイルは、イエナの婚約者である。ローゼン伯爵家のある領は、王都の隣の領であり、ミハイルは婚約者のイエナとローゼン家の屋敷で半年に一度、定期的に会うことが決められている。とはいえ、一ヶ月後には二人の結婚式が控えており、定期的に会う機会は前回で終了したはずだが。


「もうすぐ結婚式だから、ミハイル様の次の来訪予定はないのよ。それに、一昨日王宮で少しお会いしたときは、何も言われていなかったのだけれど」

「第一王子殿下がいらっしゃった理由など、私に分かるはずもありません。それより、早く応接室へ行ってください!」

「分かったわ」


 使用人の言うことも、もっともだと思いつつ、イエナは温室を出た。


「お嬢様、ちょっと待ってください! その恰好で行くのですか?」

「え? ……ああ、忘れていた」


 イエナは汚れても良いように、茶色の地味なワンピースドレスを着ていた。ただ、スカートが邪魔なので、スカートの裾を上の方に結んでいた。現在、ひざ下の足が丸見えである。


 結んでいたスカートをほどく。


「これでいいわね」

「言いわけないでしょう! 泥が付いてるし、ドレスが地味すぎやしませんか? お会いする相手は、王子様ですよ!?」


 泥と言われ、イエナはスカートをぱっぱと叩く。


「そんなに泥はついてないと思うのだけれど、叩いたからこれでいいわよね? 服はこのドレスか神官服しかないのよ。家にいるのに、神官服はさすがに駄目じゃない?」


 イエナには、ドレスと呼べる服は、地味だと言って着なかった双子の妹クララのお下がりであるこの茶色のドレスしかないのだ。それは使用人もみんな知っていると思っていたが、知らない人もいたらしい。それに、ミハイルはイエナが何を着ようが興味はないので、大丈夫だろう。


 唖然とする使用人を置いて、イエナは応接室へ向かった。


 そして、応接室に入り、イエナの両親、双子の妹クララ、ミハイルがそれぞれソファーに座っていることを確認する。双子の妹クララは、ミハイルの隣でミハイルの腕に自身の腕を絡ませていた。


 はいはい、いつものことですね。ただ、少しだけいつもと違うのは、両親の前で、クララが堂々とミハイルと親密なことを隠していないことである。


 イエナがミハイルとクララの前のソファーに腰を下ろすと、ミハイルが口を開いた。


「イエナ、君との結婚を少し変更することにした。第一王子である俺の結婚相手は、魔力の少ないイエナは相応しくない。魔力が膨大なクララの方がローズスト王国の次期王である俺に相応しいと、君も思うだろう。だから、俺はクララと結婚することにした」

「……はい? で、ですが、クララにもユーリ様……婚約者がいますが、第二王子ユーリ様はどうされるのですか?」

「俺の婚約者はクララとなる。当然余ったイエナは、ユーリの婚約者となるのだ」


 ミハイルは、自分の弟ユーリとそれぞれの婚約者を交換する、と言ってきたのである。

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